Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

ICTの普及に思う

2022年12月23日 | Weblog

ICTの普及が教育現場でも推進されています。

基本的には歓迎すべき事だと思います。

しかし、ICTとは、「Information and Communication Technology」(インフォメーション・アンド・コミュニケーション・テクノロジー)の略で、所詮は「情報通信技術」でしかないということです。

ICTは、デジタル化された情報の通信技術であり、インターネットなどを経由して人と人とをつなぐ役割を果たしています。

しかし、ここで問題なのは、 人間にとっての「Communication」とは何かが深く考えられていないことです。

「人と人とがつながる」ことをコミュニケーションと考えるとして、未熟な人間が技術を使って繋がれば、当然、未熟なコミュニケーションの中で、誤解や諍いが起こると思います。

ICTの普及だけでは、いじめ一つなくすことはできないのです。 

テクノロジーもそれを使う人間の意識次第だと私は思いますし、生身の人間の、意識や心、考えは、デジタルで育てられるものではないと感じています。

私たちは技術が進むと人間が偉くなったように思いがちですが、紀元前の孔子やブッダやキリストの教えをすら、未だに身につけることの出来ぬ存在に過ぎないのです。

人間とは何か。人間を育てる教育とは何か。深い人間観無きところに、良い教育が生まれるとは、到底私には思えないのです。

あまりに、人間を、教育を、軽く考えていやしないかと思います。

ま、焼きが回った爺は、そろそろ退場するのが良いのかもしれませんが。

 

 

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危機感の無さ

2022年12月23日 | Weblog

危機感の無さが問題なのだろうと思います。

もう日本という国の足下は崩れかけているというのに、自分が何をすべきかを、自分で情報収集し、自分の頭で考えないから、相変わらずのお気楽な批判・評論の意識です。

働き方改革といっても、何をどう改革するのか、何のための改革なのかわからぬままやるから、結局、上からの指示を待つ受け身の姿勢は基本的に変わらぬままのようです。

受け身の姿勢は、「やらされている」という意識と、「してやっている」という意識を生み出しますから、非生産的な批判と非難を生み出し続けます。

今ほど、自分の頭で考えることが求められる時代はないと思うのですが、勉強とは、「暗記することと問題を解くこと」だと学校で習っているので、自分の頭で考えることが何かも、自分という人間を磨くということもよくわからぬまま大人になるしかありません。

わかっているようでも、まさか、自分が行動しなければならないとは思わない。

テレビとネット情報を鵜呑みにして、自分の頭で真偽を見きわめようとしなければ、ものの見方を誤ることにもなります。

危機感はあっても、自分のことしか考えなければ、より良い未来を築くアクションは生まれません。

私も私の力不足を悲しく思います。私の能力では大したことはできないのです。

しかし、それでも今の状況下で、日本の未来にとって何をすることが最善なのかを考え、行動します。今まで以上に、更なる努力を積み重ねていきます。

未来の子どもたちのために。

 

 

 

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