Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

酔いに任せての一言

2021年12月21日 | Weblog

すくすくと伸びていく子どももいます。

なかなか伸びていかない子どももいます。

それでよいのです。

人には「時」というものがあります。

大切なのは、教える側の「信じる心」と「待つ心」です。そして、子どもに「全力で向き合う心」なのです。

子どもが簡単に育てば苦労はないようだけれど、そんなに簡単なものではないのです。子どもの成長を祈りつつ、やきもきしながら「待つ」という忍耐力こそが大切なのです。その試練を経たものでなければ、それは、偽物の可能性が高いのです。

また、育っていると見誤ることは、もっと問題です。子どもの姿を見ることは、簡単なようで、全く簡単ではないのです。

そして、もっとも大きな問題は、手を抜くことです。

妥協をしたり、まだ、わからないだろうと思って手を抜くことほど、子どもたちの成長を阻害するものはありません。

子どもぐらいは騙せるだろうと思う、大人の心根の卑しさこそ、教育から最も遠いものだと思い知るべきだと思います。

 

 

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東京オリンピックへのまなざし

2021年12月21日 | Weblog

東京オリンピックに関しての諸外国の評価が、その報じられ方を通してわかります。

東京2020オリンピック閉幕、大会の評価 | 公益財団法人フォーリン・プレスセンター(FPCJ)

本当に、関係者の皆様はベストを尽くして下さったと思います。

五輪とは関係の無い私ですが、やはり、そこに敬意を表し、感謝を申し上げたいと思います。

この五輪に関しての海外メディアの報じ方を見ると、比較的冷静に広い視野で見て、書いていることが理解できます。これは日常的にそうした姿勢があるのではないかと感じます。(最近は、そうでないところもあると理解していますが。)

それに対して、日本のマスコミは、予断と偏見と思い込みに満ち満ちていたと思います。

これは社会問題でもあるし、教育の問題でもあるかと思います。マスコミの質の向上が、教育の向上にも、社会全体の向上にも繋がっていくと思います。

裏を返せば、今、あらゆるところで、日本の社会に予断と偏見と思い込みが蔓延しているのは、メディアがそのお手本をいつも示しているからだと思うのです。

勿論、社としての方向性や、立場があるのはわかりますが、海外メディアの報道と較べて、何とも残念な印象を今回も受けてしまいました。

私は教育の立場から、何とかしていきたいと思います。

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遠く仰ぎ見る

2021年12月21日 | Weblog

安岡正篤先生の言葉は、実に鋭く物事の本質を見極めておられ、実に奥が深いメッセージだと感じ入ります。私如きが到底たどり着けない境地に憧れるばかりではありますが、まだ、お読みになったことのない方に少し紹介をさせていただこうと思います

人間の「見識」と「胆力」ということについて、お書きになっている箇所です。

 

8月22日     人物の第一条件
「人物たることの第1の条件は理想を持つことであって、理想を持つとその理想に照らして現実に対する反省批判というものが起こって来る。即ち「見識」というものが生ずるのであります。元気と理想と見識、この見識は又人物たることの大事な条件です。見識は「知識」とは違う、知識を獲得することは簡単で、神経衰弱青年でも得られるが、「見識」は性命より生ずる理想を追求して初めて得られるもの、理想に照らして現実の複雑な経験を断定するものである。知識などとは比較にならぬものである。人生に大事なものは知識より見識であります。」

8月23日      胆力
「吾々はいくら智慧があっても、学問があっても、個人と個人との日常生活の細やかな問題の決定一つつかぬことが多い。偉い学者といわれる人がつまらぬ一瑣事に捉われるということは、つまり知識と見識が違うからで、従って見識というものは一つの決断力であり、これは人生においては直ちに行為となって現れなければならぬ。決断は同時に行でなければなぬ。従って見識は実践的でなければならぬ。ところが見識が実践に入るには又ここに一つ勇気が要る。この実践的勇気を称して、古来最も民衆的な言葉でいうと、「胆力」と申します。」

『安岡正篤 活学一日一言』 致知出版社

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