Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

最期の詩

2018年06月16日 | Weblog
おまえはもう
静かな部屋に帰るがよい。

煥発する都会の夜々の燈火を後に、

おまえはもう、
郊外の道を辿るがよい。

そして心の呟きを、
ゆっくりと聴くがよい。


・・・・・・・・・・・・・・・・

中原中也、最期の詩です。

たった4行の(本来4行詩)詩の中に、

中也の死の数日前の、

心の様子が伝わってきます。

静けさと、ゆったりした時の流れと共に、

この世を去って行ったのであろうかと思います。

否、せめてそうでなければ、

中也の短い人生はあまりに悲し過ぎたと思います。


私は詩の心がわかる人間であり、

言葉にこだわる人間でありたいと思います。

しかし、それは、こだわりを持たぬ人たちに、

理解されない人間になることなのかもしれません。
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私が私である以上

2018年06月16日 | Weblog
私が私である以上、
仕事への強烈なこだわりをもって、
それをやっていきます。

だから、
それを変えろというのであれば、
私以外の誰かがやったら良いのです。

共同制作ならいざ知らず、
自分の作品に、
他人の筆が入るようなことは、
当然、不快を禁じ得ないものです。

おそらく私は、
チームで美味しい食を作生み出す、
料亭のような仕事は不得意です。

だから、そうした仕事をしている人たちに、
心からの尊敬の念を抱きます。
その方が、人財育成の観点からも、
絶対に良いのです。

しかし、私の仕事は、
なかなかそうはなりません。

細部へのこだわりを捨てた時に、
私は良い人として、
みんなに親しまれるのかも知れませんが、
それはもはや私の仕事ではありません。

アドバイスを否定するのではありません。
良きアドバイスをいただくことは、
大変にありがたいものです。

私にとっての良きアドバイスとは、
良く周りを見た上での、
大所高所に立ってのご指摘です。

しかし、
全体観のない部分の指摘はむしろ、
神経を逆なでされることの方が多いものです。

私が怒りを感じるときは、
私が大切に思う人たちのことが、
二の次にされていると感じたときや、

私の他者への思いやこだわりが、
蔑ろにされたと感じる時だけです。

私個人の損得で腹を立てることは、
ほんどないと思います。

ただ、そうした喜怒哀楽も、一期の夢。

別に私が正しいとも思いません。

それぞれが責任を持って、
好きなようにやったら良いのです。

ただ、その時、そこに私はいないだけです。



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