Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

弘道館にて

2018年06月15日 | Weblog
水戸の弘道館に行ってきました。
東京から近い研修の場所として、
どうだろうかと下見に行った次第です。

沢山の新しい発見と学びがありました。
行って良かったです。

そのことは、また、追々、
整理していこうと思いますし、
ここでも発信していこうと思います。

ただ、今回、感じたことを一つだけ。

私の前を、
それなりの年配の人たちが、
説明を受けて見学されていました。

教育関係者らしく、
熱心に学ばれていました。

それは良いのですが、
畳の縁の三つ葉葵の家紋を、
全員が踏んづけていらっしゃいました。

昔のドラマ水戸黄門でおなじみ、
「この紋所が目に入らぬか。
 畏れ多くも先の副将軍・・・。」
と言うと、
「ははーっ。」
とみんなが恐れ入って、
土下座してしまうあの三つ葉葵です。

ま、それはともかく、

他家の家紋ですから、
踏むのは失礼というものです。

「畳の縁を踏まない。」という、
和室のマナーとその意味を
本当に心得ているかどうかです。

わかることとできることは違うのです。、

その様子を見ながら、
日本の道徳教育の課題が
そこに体現されているように思いました。

弘道館で「道」を学ぶのは良いけれど、
大切なことを
忘れているのではないかということです。

私は道徳教育反対論者と思われるようですが、
その理由がまさにここにあります。

道徳が大切だと言うのは良いけれど、
足下の大事なことに気づけないような感性では、
そんなことは出来ないと思うのです。

道徳とは、
私にとって、
相手を敬うことであり、
人を思いやる心遣いをすることです。
そして、自らがそうあろうとすることです。

知識を得ていくことが、
道徳を学ぶことではないと思います。

その知識を体現していくことで、
子供たちに伝えていくことが、
道徳のはずです。

自分がやれていないことを
子供たちに偉そうに語ったところで、
見透かされるのが関の山だということを
もっと痛感しなければならないと思います。

畏れ謹むということが、
目の前の所謂「偉い人」たちに対してのみ
行われるのではなく、

子供に対しても、誰に対しても、
畏れ謹む心を持つということが、
道を修めることだと私は思います。



コメント
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