Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

思惑

2009年02月25日 | Weblog
色々な人が、色々な思惑を持っているのが人の世。

時として、こちらが思いもしない
受け取られ方をすることもあります。

あるいはまた、
私の考えていることが少しも伝わらないこともあります。

最大限の相互理解のための努力はしますが、
いざとなれば、「本来無一物」と思っています。

何も持たずに生まれてきたし、
何も持たずに死んでいく。

ベストを尽くして、執着せず。
という境地を大切にしたいものです。

河井酔茗の詩に『ゆずりは』という作品があります。


     こどもたちよ、
     これはゆずりはの木です。
     このゆずりはは
     新しい葉ができると
     入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。

     こんなに厚い葉
     こんなに大きい葉でも
     新しい葉ができると無造作に落ちる、
     新しい葉にいのちを譲って――。

     こどもたちよ、
     おまえたちは何をほしがらないでも
     すべてのものがおまえたちに譲られるのです。
     太陽のまわるかぎり
     譲られるものは絶えません。

     輝ける大都会も
     そっくりおまえたちが譲り受けるものです。
     読みきれないほどの書物も、
     みんなおまえたちの手に受け取るのです。
     
     幸福なるこどもたちよ、
     おまえたちの手はまだ小さいけれど――。

     世のおとうさんおかあさんたちは
     何一つ持っていかない。
     みんなおまえたちに譲っていくために、
     いのちあるものよいもの美しいものを
     一生懸命に造っています。

     今おまえたちは気がつかないけれど
     ひとりでにいのちは伸びる。
     鳥のように歌い花のように笑っている間に
     気がついてきます。

     そしたらこどもたちよ、
     もう一度ゆずりはの木の下に立って
     ゆずりはを見る時がくるでしょう。

世の中をどう見るか。
人生をどう見るかと言うときに、
私はこの視点も大切にしたいと思っています。





コメント
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