つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

奈良だより 109 都塚古墳

2014-08-25 | 歴史
 久しぶりに前田さまから、奈良だよりが届きました。話題になった都塚古墳の状況です。1000人もの行列に並び、得られた貴重な報告です。以下はメール。

 少し時間が経ちましたが、8月13日に明日香村の都塚古墳がピラミッド型の方墳であると発表され、高松塚古墳以来のフィバーとなりました。16日の土曜日に現地説明会が行われましたが、14日の報道発表以降15日までに千人余りが古墳を一目見ようと押しかけていたようです。

 現地説明会当日は、午前10時~午後4時までの予定でしたが、午前9時にはすでに千人近くの人が行列を作ったため、急遽午前9時15分から現地説明が開始されました。 開始前からたくさんの人が行列を作るのが予測されたので私は第一波が終わる頃を見越して、午前11時頃に訪れたのですが、予測違いで既に石舞台古墳の西側あたりが最後尾の行列で、2時間~3時間待ちと言われました。

 都塚古墳の位置は、石舞台古墳から南東に約400mの高台・標高150米の傾斜地で、石舞台古墳からは見上げる位置になります。この古墳は昭和42年(1967年)に石室の発掘調査がおこなわれ、巨石を使った横穴式石室の中に凝灰岩製の家形石棺が安置されているのが確認されていたが、墳丘の規模や形が不明だった。

 今回は古墳の形や規模を確認すべく、周囲と墳丘部の7地点で発掘調査が行われた結果、墳丘最下段は法面を川原石で固めた基壇(テラス)になっており、その上に段状にした石積みによっ て墳丘が造られています。段状の石積みは石室と方向を合わせて築かれ、上部で四段分が確認されていますが、さらに数段があると推定されています。各段の水平面は、最下段のテラスで6m以上、上部が1mです。上部の石積みの高さは、約60cm~30cmです。

 発掘担当者は、「墳丘をできるだけ高く築くために、急傾斜になっても崩れないように階段状にしたのではないか」と推測しています。今回の調査では、東西の調査区と北側の調査区で墳丘裾部を検出しており、これを基に復元すると東西約41m、南北約42m高さは4.5m以上西側の見かけの高さは7m以上に復元することができるとされています。

 「ピラミッド 形の方墳」と言うマスコミの見出しで、全景が見られると勘違いして来られた人も居たようですが、全面復元してピラミッド形が見られたらロマンがあっていいと思います。また一方では、被葬者を巡っていろんな意見が出ています。今のところ蘇我の馬子の父親「蘇我の稲目」説が有力です。


11時頃の行列最後尾付近

     
     西側裾の石積み

           
           北側裾部周辺と護岸の石積み


東側から見た段状石積み

    
    東側の裾部石積みとテラス面

           
           古墳全景パノラマ写真


石室入口

             
      家形石棺

コメント (14)
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