つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

奈良だより 93

2012-12-20 | 国内旅行
 一昨日、奈良の前田さまから、植山古墳の発掘現地説明会についての情報が届きましたので報告します。上の写真は、東石室全景。以下はメール。

 「史跡「植山古墳」の三回目の発掘現地説明会がありました。植山古墳は推古天皇と子供の竹田皇子の陵墓と推定されており、2000・2001年に橿原市教育委員会によって発掘され、2002年には国の史跡に指定されています。当古墳は2030年を目途に古墳公園として整備すべく、周辺の調査が続けられています。

 古墳は丘陵の南斜面に築かれた長方形墳で、南側に入口を向ける2基の横穴式石室が設けられています。このような形式の古墳は
「双室墳」と呼ばれています。(一つの石室を真ん中の壁で仕切った「牽牛子塚古墳」(斉明天皇の陵墓?)とは異なる)墳丘の規模は東西約40m、南北約30m。墳丘の主軸はほぼ南北方向です。

 埋葬施設として、2基の横穴式石室が東・西に並んでいます。東石室は古墳築造と同時期の6世紀後半に、西石室はやや遅れて7世紀前半に築かれています。西石室は後から造り足されたものですが、墳丘自体は、当初から横長に造られており、2基の石室を並べることはその段階から計画されていたようです。(これらの状況が古事記や日本書紀の記述と合致することから、推古天皇とその息子の竹田皇子の陵墓と推定されている。)

 東石室には熊本県宇土半島産の「阿蘇ピンク石」製の家形石棺が遺存しています。石棺の蓋は身から 外され、割れた状態で発見されています。西石室は玄室と羨道の境界部分(玄門部)には、兵庫県高砂市で算出する凝灰岩(竜山石)製の閾石(しきみいし)がおかれています。閫石は石製の扉の底板であると考えられ、扉の軸受け穴と方立をはめ込む溝が掘られています。

 この扉材の一部と考えられる石材が、植山古墳周辺に所在する春日神社・素戔嗚命神社・八咫烏神社の境内に踏石の一部として転用されています。西石室内には棺は残されていませんでした。

 今回の調査で、石室入口が「閉塞石」で封じられるのが一般的であるが、盛り土で封印されている特異な例であるとされています。

(現地説明会の配布資料から抜粋)

追伸
今回は古墳前部の調査で、入口付近は地山まで掘り下げられており、写真は墳頂部の北側から南に向かって撮影しています。従って写真手前は石室奥壁で、石室入口に向かって撮っています。西石室が推古天皇、東石室が竹田皇子と考えられます。」

追記; 昨夜のNHK「ためしてガッテン」に片田先生(12/2~3の記事) が予告通り出演されました。(最下段の写真)
追記2; 昨日は韓国の大統領選挙があり、パク・クネ候補が当選。史上初めての女性大統領が誕生しました。昨年5月、韓国旅行した時、パク候補が優勢と聞いていました。パク元大統領の娘さんでもあります。


西石室全景                              西石室閾石

        
         東石室石棺

    
     「ためしてガッテン」の片田先生
コメント
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