先日、上野の美術館に「トリノ・エジプト展」を見に行ってきました。エジプト展ですから、見所のひとつとして子供と大人のそれぞれのミイラがありました。古代エジプトの人たちは、死者の再生を信じ、復活した時に魂が帰るべき肉体を保存するためにミイラを作りました。
今年の春、佐賀県の吉野ヶ里遺跡で甕棺を見ました。こちらは、死者が祟りをなさないように甕の中に入れて葬ったものです。彼岸へいった死者が此岸へ戻って来ないようにする甕棺の埋葬、此岸とつながりを断ち切らないための埋葬であるミイラ。甕棺とミイラを比較してみると、死後の世界に対する双方の考え方の違いが顕著です。
加藤周一さんは日本文化の特徴として、「いま」、「ここ」への執着をあげています。死者を彼岸に封じ込めてしまい、祟らぬこと災いをなさぬことを願うのは、「いま」、「ここ」を共有する生者を最重要なものと考えるところからくるのかもしれません。展覧会の後、上野の叙々苑で豆腐チゲを食べながら、「去る者は日々に疎し」、と思いました。
今年の春、佐賀県の吉野ヶ里遺跡で甕棺を見ました。こちらは、死者が祟りをなさないように甕の中に入れて葬ったものです。彼岸へいった死者が此岸へ戻って来ないようにする甕棺の埋葬、此岸とつながりを断ち切らないための埋葬であるミイラ。甕棺とミイラを比較してみると、死後の世界に対する双方の考え方の違いが顕著です。
加藤周一さんは日本文化の特徴として、「いま」、「ここ」への執着をあげています。死者を彼岸に封じ込めてしまい、祟らぬこと災いをなさぬことを願うのは、「いま」、「ここ」を共有する生者を最重要なものと考えるところからくるのかもしれません。展覧会の後、上野の叙々苑で豆腐チゲを食べながら、「去る者は日々に疎し」、と思いました。
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