花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

関ケ原

2020-07-25 17:21:11 | Book
 本来なら五輪に国中が沸き立っていたであろう4連休ですが、1年前は誰も予想しなかったコロナ禍と、それによる外出自粛の呼び掛けのもと、梅雨に打たれた庭木の枝葉から滴が落ちるのを眺めるばかりです。そのような中、図書館から借りてきた司馬遼太郎の「関ケ原」(新潮文庫)が無聊の慰めとなりました。

 歴史における「たら」、「れば」は古来、世人の興味を掻き立ててきました。関ケ原の合戦もまた然りで、「小早川軍の寝返りがなければ」などは歴史好きに格好のネタを提供する例となっています。「たら」、「れば」に空想を巡らせることは確かに魅力的ではあるものの、司馬さん描く関ケ原を読む限り、結局は徳川の世になっただろうと思わざるを得ませんでした。

 西軍と東軍の大合戦と言っても、とどのつまり豊臣家臣団同士の戦いでした。東軍の大将は家康ですが、激戦の中で兵を動かしたのは福島正則ほか反三成の豊臣大名です。仮に関ケ原で東軍が敗けたにせよ、叩き潰されたのは豊臣の家臣、家康は戦力を温存したまま逃げ延びて、真田勢に阻まれて中山道に釘づけにされていた秀忠軍と合流し、体制を立て直したことでしょう。そして、関ケ原で疲弊した西軍に対して漁夫の利を得たことは容易に想像出来ます。その意味では、関ケ原は天下分け目ではなく、天下の趨勢が決した後、豊臣から徳川へ覇権が移る際の一局地戦だったように思われます。もちろん、私のこの読後感も無聊を慰める「たら」、「れば」ではありますが。

数への隷従

2020-07-21 20:11:45 | Weblog
 「へずまりゅう」と名乗るYouTuberがコロナウィルスに感染した後、訪れた愛知県や山口県でウィルスをばら撒き、新たな感染者が出たそうです。ニュースを見ると、この「へずまりゅう」は迷惑行為の動画で再生回数を稼ぐ、迷惑系YouTuberのひとりとか。再生回数に応じて広告料が支払われるYouTubeでは、時として映像の内容如何よりもインパクトがものを言います。数ばかりが判断基準になってしまうと、数値化出来ない部分の意味がスリップしてしまう危険があります。そして、数を追うことのみに躍起になっていると、そもそもの表現行為の意味を問う精神的態度がだんだんなくなり、品位も何も失われてしまうような気がします。YouTubeは動画の共有によって人と人とを結びつける‘social networking service’ですが、社会性から切り離された人間を生むこともあるとは皮肉なことです。

贈り物か、毒か

2020-07-12 16:17:41 | Weblog
 ゲルマン語系の言語では、“gift“に「贈り物」と「毒」の2つの意味が与えられていたことを、文化人類学者のマルセル・モースは指摘しています(「贈与論」岩波文庫)。モースはまた次のようにも言っています。「贈り物を受け取るということ、さらには何であれ物を受け取るということは、呪術的にも宗教的にも、倫理的にも法的にも、物を贈る側と贈られる側とにある縛りを課し、両者を結びつけるものである。」

 人から物をもらうと縛りを課され、それは負い目となります。さて、昨年の参院選でお金をもらって票の取りまとめを依頼された広島の首長や議員の中から辞職者が出ています。一方、お金を渡したとされる河井克行・案里夫妻は自民党こそ離党したものの、未だ議員にとどまっています。

 思うに、もらった方は断りきれずに悪事に加担してお金をもらったことで負い目が生まれ、良心の呵責にさいなまれやすくなったのかもしれません。渡した方はそもそもが確信犯なので開き直ってしまえば、あとは自分可愛さで自己保身に走るだけです。辞職した人たちはとんだ毒饅頭をもらったものです。そして、河井夫妻に1億5000万円を渡した自民党は頬っ被りして知らぬ態。「触らぬ神に祟りなし」と言いますが、「もらわぬ金に祟りなし」で変なお金には気をつけたいものです。