花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

モノよりヒト

2013-02-27 22:52:33 | Weblog
 今年になって読んだ本で面白かったものにロバート・C・アレン著「なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか」(NTT出版)があります。この本では、どうしてイギリスで産業革命が起こったかの答えとして、当時、イギリスは世界的に見て賃金が高かったので、コストを掛けて機械を導入したとしても費用対効果のメリットがあったから、技術革新に積極的だったことを挙げています。逆に、アフリカなどは人件費が安く、労働集約的な方向に進んだとしています。
 さて、先日、弟に誘われて秩父の宝登山に蝋梅を見に出掛けました。池袋から東武鉄道で寄居まで行って、秩父鉄道に乗り換えました。秩父鉄道はSuicaやPASMOが使えず、長瀞駅で降りる際、寄居-長瀞間の運賃を現金で支払い、池袋でタッチしたPASMOはまだ乗車中のステータスなので、「次にPASMOが使える駅でこの紙をPASMOと一緒に駅員に出してください」と言われました。駅員さんは、何人もの人に同じ話をして、長瀞駅で下車したことを証明する紙片を手渡していました。随分手間なことだと思いましたが、先の本に書いてあったことを思い出して、「PASMO導入のコストよりも、駅員の人件費や証明書を作ったりするコストの方が安いんだな」、と思いました。あるいは、秩父鉄道は雇用を創出するために、敢えてPASMOを導入しないのかもしれません。いずれにせよ、古いインフラを大事に使い続けているように見受けられる秩父鉄道では、人を機械に置き換えるincentiveが働いていないのでしょう。
 例年なら蝋梅の見頃のピークをやや過ぎようかという時期にありながら、今年の厳しい寒さのせいか、まだ満開はこれからといった感じの宝登山の蝋梅園でした。黄色い蝋梅の花を見た後、宝登山を下りて、長瀞駅に戻ってきました。電車を待っているホームへ滑り込んできたのは、かなり昔に京浜東北線を走っていた車体の全てが水色の電車でした。

やっぱりハズレじゃないでしょうか

2013-02-06 23:09:44 | Weblog
 昨日のニュースで「今日は大雪」との天気予報が流れ、今朝は足拵えをしっかりして出勤しましたが、朝早いうちはみぞれ交じりの雨だったものの、結局私の通勤経路での積雪はありませんでした。「帰りが心配」とか「明日の朝、路面凍結しなければ良いが」といったことも杞憂に終わり、「良かった、良かった」と思っていたところ、朝日新聞夕刊の社会面には、雪があまり降らなかったのは「雨雲が見込んでいたほど発達しなかった」と気象庁の見解が載っていました。その後に、主任予報官のコメントとして「雪の量は予想通りではなかったが、気圧配置や寒気はおおむね見立て通りだった。予報がはずれたわけではない」と続いていました。でも、いくら気圧配置や寒気が見立て通りであったとしても、天気予報では朝から夕方まで大きな雪だるまが並んでいたのが、ほとんどの時間帯で雨だったので、やっぱり「天気」予報はハズレたんじゃないかと思います。天気予報を見る人は、登山家でもない限り気圧配置なんかを重視したりはしません。予報官のコメントの言い訳がましいところは余計だと思いますが、その余計なところをわざわざ記事にしなくてもいいんじゃないかとも思いました。

励ましになる人、そしてならない人(下)

2013-02-02 12:38:20 | Weblog
 「AERA」の孫崎さん、「マーケティングホライズン」の杉本さん、いずれの言葉も働く者、働こうとしている者を力づけるものと思うのですが、世の中にはそうではない人もいるように思えます。1月13日の朝日新聞朝刊には「マクド難民」の記事が出ていました。定職がなくお金もないのでネットカフェにすら泊まれず、マックの100円ハンバーガーで朝まで粘る人の記事です。そのような人は、「蒔かれた場所で花を咲かせる努力はできる」とか「助かりたいより助けたい」といった言葉に、何の感興も覚えないと思います。アブラハム・マズローの欲求5段階説では、「生理的欲求」→「安全の欲求」→「所属と愛の欲求」→「承認(尊重)の欲求」→「自己実現の欲求」と、人間の欲求はより高次なものへと移行していくとされています。「マクド難民」は「食べる」、「寝る」といった一番低い段階の「生理的欲求」が充分に満たされているとは言えず、仕事を通じて自分の価値を高めていこうとする「自己実現の欲求」に訴える言葉で、何ほどかの励ましを得ることはなさそうです。また、最近では自主退職を促すためにいじめとも思える処遇を与える「追い出し部屋」に関する記事も目にすることがあります。これなどは、「所属と愛の欲求」が奪われ、今にも「生理的欲求」や「安全の欲求」の危機に陥りそうな人の存在を浮き上がらせています。孫崎さん、杉本さんの言葉を「いい言葉だ」と思える幸せな人と、根源的で切実な欲求が満たされない不幸な人の間のギャップに、今、日本が大きく切り裂かれつつあると感じます。