先週末は注目される野球の試合が目白押しでした。プロ野球はクライマックス・シリーズ、社会人は都市対抗、学生野球では早慶戦や高校野球の地区大会が行なわれました。私も友人と連れだって野球観戦に出掛けました。秋の休日、ビールを片手に球場の雰囲気を楽しみました。大事な試合で真剣にプレーする選手に合わせて、こちらも勝敗の行方に手に汗握らなければならないのですが、、「相手のピッチャーは調子が良さそうだ」と言ったかと思えば、「昔はどこそこのチームにこんな選手がいたよね」とか、「あの試合の時はこうだった」などと、応援するチームがピンチを迎えても勝ち負けには淡泊で、目の前の試合と昔話の間をビールでいい気持ちになりながら行ったり来たりしていました。結局、試合は負けてしまったものの、ゲームが終わるや否や、「どこで飲む?」とお店の相談です。思うに、私たちだけではなく、この日、野球観戦をした多くの人たちによって、ビールやら何やらが、野球場で、そしてあちこちの飲み屋で消費されていったことでしょう。
今、若い人たちの間で「リア充」という言葉が使われています。「リアルな生活が充実している」の略です。手応えを感じながら毎日を過ごしているということでしょうか。この「リア充」をもじって、「ニア充」なる言葉を考えてみました。「ニア」はnear、つまり「近場で充実した余暇を送る」の意味です。ビールを飲みながら、熱くもならず、かといって冷めもせずに野球の応援をし、野球が終われば、ビールだ、ワインだ、日本酒だ、戻り鰹だ、焼トンだと注文し、酔っぱらいにありがちな思いつきであっちへ行ったり、こっちへ行ったりの焦点の定まらぬ話をしながら、ダラダラ飲みました。野球の試合時間よりもだいぶ長い間飲み続けた後、「そのうちまた飲もうな」と別れていった私たちを「ニア充」と言ってよいでしょうか。あるいは、「ニア充」を、「近場で充分」と読み替えることも出来そうです。
今、若い人たちの間で「リア充」という言葉が使われています。「リアルな生活が充実している」の略です。手応えを感じながら毎日を過ごしているということでしょうか。この「リア充」をもじって、「ニア充」なる言葉を考えてみました。「ニア」はnear、つまり「近場で充実した余暇を送る」の意味です。ビールを飲みながら、熱くもならず、かといって冷めもせずに野球の応援をし、野球が終われば、ビールだ、ワインだ、日本酒だ、戻り鰹だ、焼トンだと注文し、酔っぱらいにありがちな思いつきであっちへ行ったり、こっちへ行ったりの焦点の定まらぬ話をしながら、ダラダラ飲みました。野球の試合時間よりもだいぶ長い間飲み続けた後、「そのうちまた飲もうな」と別れていった私たちを「ニア充」と言ってよいでしょうか。あるいは、「ニア充」を、「近場で充分」と読み替えることも出来そうです。