花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

ニア充

2011-10-31 23:00:00 | Weblog
 先週末は注目される野球の試合が目白押しでした。プロ野球はクライマックス・シリーズ、社会人は都市対抗、学生野球では早慶戦や高校野球の地区大会が行なわれました。私も友人と連れだって野球観戦に出掛けました。秋の休日、ビールを片手に球場の雰囲気を楽しみました。大事な試合で真剣にプレーする選手に合わせて、こちらも勝敗の行方に手に汗握らなければならないのですが、、「相手のピッチャーは調子が良さそうだ」と言ったかと思えば、「昔はどこそこのチームにこんな選手がいたよね」とか、「あの試合の時はこうだった」などと、応援するチームがピンチを迎えても勝ち負けには淡泊で、目の前の試合と昔話の間をビールでいい気持ちになりながら行ったり来たりしていました。結局、試合は負けてしまったものの、ゲームが終わるや否や、「どこで飲む?」とお店の相談です。思うに、私たちだけではなく、この日、野球観戦をした多くの人たちによって、ビールやら何やらが、野球場で、そしてあちこちの飲み屋で消費されていったことでしょう。
 今、若い人たちの間で「リア充」という言葉が使われています。「リアルな生活が充実している」の略です。手応えを感じながら毎日を過ごしているということでしょうか。この「リア充」をもじって、「ニア充」なる言葉を考えてみました。「ニア」はnear、つまり「近場で充実した余暇を送る」の意味です。ビールを飲みながら、熱くもならず、かといって冷めもせずに野球の応援をし、野球が終われば、ビールだ、ワインだ、日本酒だ、戻り鰹だ、焼トンだと注文し、酔っぱらいにありがちな思いつきであっちへ行ったり、こっちへ行ったりの焦点の定まらぬ話をしながら、ダラダラ飲みました。野球の試合時間よりもだいぶ長い間飲み続けた後、「そのうちまた飲もうな」と別れていった私たちを「ニア充」と言ってよいでしょうか。あるいは、「ニア充」を、「近場で充分」と読み替えることも出来そうです。

存えて(ながらえて)

2011-10-19 07:24:00 | Weblog
 10月17日付の朝日新聞朝刊の俳壇に、「存えて 九月の蝉と なりにけり」という句が掲載されていました。東京都の佐藤正夫さんとおっしゃる方の句です。今年は例年になく、蝉の鳴き声が遅くまで聞かれます。10月の初めに植物園に行った時は、足下では蟋蟀が、頭上では蝉が鳴いていました。さて、この句の蝉も、夏が過ぎ秋が訪れてなお鳴いています。「残暑が長かったからなぁ」と言ってしまえばそれまでですが、人間の気持ちを存えた蝉に仮託しているなら、蝉のはどんな気持ちで鳴いているのでしょうか。
 私はふたりの人物が思い浮かびました。ひとりは、「卯の花の 散るまで鳴くか 子規(ほととぎす)」を詠んだ正岡子規です。肺結核を病んでいることが分かった後に詠んだ句で、「命尽きるまで」的な覚悟が感じられます。
 もうひとりは、田宮虎彦の小説、「霧の中」の主人公である中山荘十郎です。戊辰戦争で薩長に家族を殺され、会津降伏人として日陰者の生活を強いられます。新政府への激しい怨みはあれど、それ晴らす方途を見つけられないまま、すさんだ日々を送ります。そして、時代が経つうちにタイトルの「霧の中」が示すように、確たる敵が見当たらなくなり、死に場を失い、「あっぱれ、荘十郎」といったこともなしえず、寂しく死んでいきます。何事も成さないまま、気がつけば自分の死に場所(同時にそれは生きる場所)がなくなってしまった悲哀を感じさせる小説です。
 存えた九月の蝉は、「命が燃え尽きるまで鳴いてやろう」と思っているのか、あるいは、「何のために鳴いてきたのだろう」と取り残され感を嘆いているのか、人それぞれの読みようがあるでしょう。私自身、両様の読み方の片方を捨てたくはありません。さて蛇足ですが、蝉を詠んだ句で次のような句もあります。「啼きながら 蟻にひかるる 秋の蝉」、これは「卯の花」と同じく正岡子規の句です。しぶとさと虚ろさの両方が読み取れる句です。

占い

2011-10-13 23:53:00 | Weblog
 朝のテレビの情報番組には占いのコーナーがありますが、これを見ていて不思議に思うことがあります。番組ではだいたいにおいて、最も良い運勢から最も悪い運勢へ順番に紹介されます。例えば、「今日、一番ラッキーなのは蟹座の皆さん」といった具合に。運勢に順位を付けるということは、運勢の良さの度合を数値化するということですが、それは、何か共通の指標がなければ順位は付けられないからです。でも一体全体、運勢を数値化することは可能なのでしょうか。「今日のラッキーパーソンは蟹座です。新しい出会いが待っています」なんてことを言われても、対人恐怖症の蟹座の人ならゾッとするでしょう。「どこがラッキーなのか」と言いそうです。反対に、「今日、最も運勢が悪いのは山羊座の方です。うっかりミスを連発」と言われれば、大方の人はあんまりいい気はしないと思いますが、普段からミスばっかりしていて、人に迷惑を掛けようが掛けまいがおかまいなしの人なら、うっかりミスの連発は毎日のことなので何とも思わないでしょう。低レベルのミスを繰り返して、こっぴどく怒られても、いつもヘラヘラして蛙の面にしょんべんの人にとっては、「最も運勢が悪い」ことになりません。そうなると、蟹座の1位と山羊座の12位の順位付けは怪しいものです。少なくとも、万人には当てはまりそうにありません。とは言いながら、私自身、毎朝、その当てにはならない占いを見ているということは、心のどこかに物欲しげな気持ちがあり、各チャンネルが揃って占いのコーナーを設けているのは、番組制作者にその物欲しげな気持ちを見透かされていると思うべきでしょう。

季節のせめぎあい

2011-10-09 00:24:00 | 季節/自然
 ようやく落ち着きましたが、ここ暫くは忙しくて、終電に間に合わずタクシーで帰ることもままありました。朝会社へ行くとき、寝不足の目には太陽の光がやけにまぶしく感じられましたが、ふっと目を横にそらすと銀杏の実が落ちているのが目に入り、「秋は確実に深まっているんだなぁ」と気づかされました。一方、我が家の朝顔はまだしぶとく花を咲かせています。夏の盛りに比べるとさすがに花は小ぶりになってきましたが、一日に3つ4つ咲く日もあります。次々とやってくる仕事を片付けるために、会社では半ばマシーンと化していても、朝のひととき、最後の踏ん張りを見せる夏とひたひたと迫ってくる秋に季節を感じることで、心を取り戻すことが出来ました。「そろそろ日本酒をキュッと飲りたいな」、なんてこと考えつつ、これから来る本格的な秋を楽しみにしています。