花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

サントリー・オールド

2019-09-29 16:49:36 | Weblog
 世の中が昭和の真っ最中だった頃、開高健さんの「フィッシュ・オン」(新潮文庫)を読んで、サントリー・オールドを飲んでみたいものだと思いました。新潟県の銀山湖へイワナを釣りに行った時の文章にはさまって、開高さんがオールドを手に難しい顔をしている写真が載っていました。キャプションには、「このかなしみは 何ならむ」とあります。「酒は涙か溜息か」という言葉がありますが、憂愁を帯びた開高さんの表情に、オールドは大人の酒(もちろん子どもは飲めませんが)と深く印象づけられました。

 また、親戚のおじさんたちから、オールドのことを関東では「ダルマ」と呼び、関西では「タヌキ」と呼ぶと聞かされ、「ダルマ」あるいは「タヌキ」と形容されるオールドのボトルに見入ったことも思い出されます。

 それから、ある時奮発して友人とオールドを飲んだ時のことです。だんだん酔ってきたものか、「オールドパー(イギリスの高級ウィスキー)を飲もう」と言って、サントリー・オールドのラベルの下にマジックで「Parr」と書き足したことも、くだらないながら今でもはっきりと覚えています。

 学生の時分は常に金欠病だったため、オールドは高嶺の花で手が出ず、もっぱらトリスやせいぜいホワイトを飲むくらいでした。給料をもらうようになると、ちょっと背伸びがしてみたくて、外国のウィスキーを飲むようになり、結婚してお小遣い制になったら、微妙に手が出しづらい値段に感じられ、オールドとはすれ違いが続いてきました。

 先日、妻の買い物の荷物持ちでとあるスーパーへ行きました。お酒のセールスをやっていて、いつもは1800円~2000円の価格帯にあるオールドが、何と1400円台ではありませんか。消費税が上がることもあり、これは「買い」だと思いました。買って飲むのは実に20年ぶり以上かもしれません。開高さんのように人生を深くは生きていないので、「このたのしみは、何ならむ」と軽い感じで飲むのでしょうが、これからの秋の夜長、オールドのグラスを傾けては小さな幸せに浸りたいものです。

MGC

2019-09-16 21:50:57 | Sports
 東京五輪のマラソン代表選手を決める日曜日に行われたMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)のレースは、日本のマラソン史上、今後長く語り継がれることになるのではないでしょうか。設楽選手の大逃げ、40キロ地点からの3選手によるデッドヒート、五輪への熱い思いが各選手から伝わる、片時も目が離せない熱い闘いでした。私自身、マラソンで手に汗握った度合で言えば、かつて瀬古選手がトラックに入ってからラスト100メートルでイカンガー選手を振り切った福岡国際マラソンに匹敵したのではないかと思います。

 見事1位となった中村選手と優勝候補と目されBig4と呼ばれた4選手のレース後のコメントを、朝日新聞朝刊から拾ってみました。

 優勝した中村選手:「ラスト800メートルのところに上りがある。間違いなくここがポイントになる。夏のレースは大崩れしたことがない。42キロを通して勝負しようと考えていた。」

 2位の服部選手:「流れに身を任せる。絶対に深追いしない。最後は自身があった。まだ足が残っていた。」

 本命と言われながら3位だった大迫選手:「本当にレベルの高い国だと感じた。足が残っていなかった。最後の1キロの短い坂でやられた。」

 スタートからハイペースで後続を引き離し37キロ地点まで1位を走っていた設楽選手:「逃げたことに後悔はしていない。やりきったという思いはある。今は休みたい。何も考えられない。」

 完走中最下位だった井上選手:「頭の中がゴチャゴチャしていて、訳が分からない。」

 勝負の綾が少し変われば結果も違ったものになったかもしれない、それほどハイレベルのレースは見応えがありました。もし、山際淳司さんが生きていれば、どんな文章を紡ぎ出したかと残念に思えるほどでありました。

 ちなみに女子1位の前田穂南選手も素晴らしかった。今回のタフなコースを「夏に!」2時間25分台前半で走ったことは、2007年の東京国際女子マラソンを2時間21分台で走った野口みずき選手に近いものがあると思います。

 MGCは、私たちの気持ちが東京五輪に向けて大いに盛り上がっていく格好のスタートラインとなったような気がします。

理性の狡知

2019-09-09 21:24:45 | Weblog
 ここ数日、読みたいと思っていた本があり、買おうかどうか思案していました。本棚に本が収まりきらず、床積みしている本が少しずつ増えていることや、寂しい懐具合を考えて、図書館で借りて読むことに決めました。土曜日、図書館へ行ってみると、目的の本は貸し出し中。「しょうがないから違う本で間をつなぐか」と、あきらめて家に帰りました。

 翌日曜日の昼頃、散歩に出ました。台風接近の影響で大気が不安定になっているからでしょうか、にわかに黒雲が現れ、ザーザーと雨が降り出しました。出費は痛かったのですが、仕方なくビニール傘を買いました。けれど雨脚が強く、跳ね返りで足がびしょ濡れになってきたので、近くにあった書店でしばらく時間をつぶすことにしました。大型店ではなかったため品揃えはどうかと思いつつ、図書館で借りられなかった本を探してみました。最近出版された本ではないから置いてないかもと思ったものの、あっさり見つかりました。手に取ってパラパラとページを繰っているうち、ふと目を上げると、壁には「9月8日までポイント3倍」の貼り紙。

 買わずに借りようと決めたのに、図書館では貸し出されていて、家を出た時には晴れていたにも関わらず、急に雨が降ってきて雨宿りすることになり、大きな本屋でもないのにしっかりと置いてあり、しかもポイント3倍。ヘーゲル先生は、ある目的を実現するために本人にはそれとは知られないまま、個人を歴史の駒として使うことを「理性の狡知」とおっしゃいました。これこそ理性の狡知に違いない。大いなる意思のお導きとあらば、逆らうことは出来ないだろう。こう考えて本を手にレジへ向かいました。理性の狡知はきっと私の意志の弱さもお見通しなのだろう、と思いながら。