年度替わりは概ね忙しいものですが、今年は特に忙しかったです。いろいろな要素がたまたま重なったのでしょうが、「遅くまで大変だね」と声を掛けられたり、ものを頼まれる際、申し訳なさそうに「忙しいところ済みませんが、・・・」と言われることが、例年になく多かったように思います。
自分のペースで仕事をするのではなく、終日「今」・「すぐ」的な切羽詰まったリクエストに追われる感じだと、家に帰って「今日も忙しかったなぁ」とは思うものの、「ところで何で忙しかったんだっけ」と顧みても、何も思い出せなくて、ビックリと言うか、がっかりと言うか、要は具体的な内容がすっぽりと抜け落ちていることに、唖然としてしまいます。
人間が時間に流されたりせず、流れ去っていくところを眺められるのが通常です。そのような状況で過ぎた時間を振り返った場合、そこには何がしかの記憶が残るものです。ところが、自分自身が時に流されてしまったら、記憶も一緒に流れ消えてしまうようです。思うに、記憶が蓄積されるためには、時間と意識の相対速度が小さ過ぎてはダメで、経験や行為に意味づけをしていく時間的、精神的な余裕が必要なのかもしれません。尤も、「思い出せないのは、ボケてきただけじゃねっ」と言われる恐れが無きにしも非ずではありますが。
自分のペースで仕事をするのではなく、終日「今」・「すぐ」的な
人間が時間に流されたりせず、流れ去っていくところを眺められる