花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

偽瞞的な政策

2011-06-27 23:07:59 | Weblog
 週明け、報道によると菅総理がいろいろ動いたようです。国民新党の亀井代表に副総理を打診して断られ、その代わりに首相特別補佐官に就任するとか、自民党の浜田和幸参議院議員を復興担当の政務官に起用するとか、原発担当大臣を設けるといった動きです。新聞を読んで思ったのは、「総理はやはり‘no idea'なんだな」ということです。策がない人は往々にして人事で目先を誤魔化そうとするからです。フランス革命期からナポレオンの時代、そしてウィーン会議と、長らくフランスの外交を取り仕切っていた政治家であるタレイランの警句に、菅総理は耳を傾けるべきだと思います。その言葉とは、「偽瞞的な政策は決して永続きしない」、それからもうひとつ、「およそあらゆる利害の当事者が反対している問題に介入したり、いわんやそれに固執したりすることは、すべてまちがいの元だといわなければならない」、です。国民が待っているのは人事ではなく、具体的な政策なのです。

驚異的改善

2011-06-25 06:33:39 | Weblog
 春の健康診断の結果が届きました。秋の検診から今回にかけて、特に新たな試みはしていないし、酒量は増えもせず減りもせずだったので、「また、尿酸値で引っ掛かるのか」と思いながら封を切って検診結果を取り出すと、なんと尿酸値が適正範囲内ではありませんか。それも、上限ギリギリで辛うじてセーフではなく、かなりいい値です。尿酸値を測りだしてから、いまだかつてない良好な結果にびっくりしてしまいました。何がこの驚異の数値をもたらしたのか、思い当たるものがなにもないのですが、強いて挙げるなら、「諦念」と「ウォーキング」でしょうか。高原状態が続く尿酸値に、「どんなに数値が高くても痛風を発症しない体質だからビールを飲んでもいいのだ」とか、「発症すれば、その時はビールを止める踏ん切りがつく」、などとうそぶいていたのは、諦念と言うよりはただの居直りです。でも、ひょっとすると、私の潔い(?)態度が神様の琴線に触れたのかもしれません。もうひとつのウォーキングですが、4月以降、月に何回か郊外を歩いています。土曜に子どもの授業がある時、朝7時前に家を一緒に出ます。途中で分かれて、子どもは学校へ、私は電車に乗って奥武蔵あたりのどこかの駅で降りて、そこらを歩きます。そして、授業が終わる時間に合わせて東京へ戻り、子どもと落ち合って家へ帰っています。電車に乗ってる時間が片道1時間で往復2時間、歩いている時間が2時間、計4時間で、だいたい子どもの在校時間になります。そして、子どもより早く待ち合わせ場所に着いた時は、当然、そこらの飲食店でビールを飲んで待っています。こんな具合なので、特に身体に良いことをしている意識ないものの、多少でも自然の中を歩けば、気持ちが良いのは確かです。痛風に苦しんでいる方には申し訳ありませんが、「諦念」と「ウォーキング」以外の理由が思い浮かばず、努力なき成果をどう受け止めれば良いのか戸惑っています。

未来につながる話

2011-06-16 00:05:16 | Weblog
 先週火曜日の朝日新聞夕刊で、作家・池澤夏樹さんは、「希望の話をするのはまだ早すぎるだろうか?何か未来につながる、そして嘘の混じらない話はないものか」という書き出しに続けて、原子力に依存したエネルギー政策からの転換を呼び掛けています。まず、「核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。それを無理に使おうとするから嘘で固めなければならなくなる。まずは自分たちを欺いて安全と信じ込もうとする。そこに科学的根拠はない」としつつ、「数百基の原発を数百年に亘って安全に運転し、かつ廃棄物を安全に保管する能力は人間にはない」と断じています。では、原子力発電に代わる風力や太陽光による発電はどうでしょうか。「量的にぜったいに足りない」、「供給が不安定で、電圧や周波数の面でも品質が低い」、このように電力業界はこれまで過小評価をしていましたが、環境省が先日試算したところによると、「『再生可能エネルギーの導入可能量は五億キロワット』という数字がある。今の日本全国の発電設備総量が約二億キロワットであるというから、その倍を超える」そうなので、電力業界の見立ては間違っていたことになります。しかし、発電量が満たされても、再生可能エネルギーに問題が全くない訳ではなく、池澤さんは、「風力について言えば、低周波騒音とか景観とか渡り鳥の衝突」などの課題を指摘しながらも、それにも関わらず、「これらは既にある技術の延長上にある。その気になれば手の届く範囲内にある。そこのところがどうにも手に負えない核エネルギーとは根本的に違う」と述べ、「日本という高度に工業化された国がその気になれば、エネルギーの風景はがらりと大きく変わり得る」と、希望を抱いています。
 かつて、ハプスブルク家のオーストリアでは、プロイセンの圧力により苦しめられていた時、宰相カウニッツがブルボン王朝と結ぶことを提言します。皆がそれまで敵対してきたブルボン王朝との同盟を難しいと見る中、カウニッツは、「とても実現しそうにない、という理由で実現されないものが数多くある。だが、実行されないという理由だけで困難なこととされるものの方が、はるかに多い!」と言って、フランス、そしてロシアと同盟し、プロイセン包囲網を敷いたと聞きます。(江村洋著 「ハプスブルク家」(講談社現代新書 P.172) カウニッツの言葉は、旧来の方針を墨守しがちな人間の性向を批判したものだと思います。18世紀のオーストリアから、今私たちが直面している困難に目を転じます。実現されていないからと諦めることなく、「未来につながる」決断とは何か、先入主を捨てて、それを考えていくことが求められていると思います。

マニュアル通り

2011-06-10 22:16:21 | Weblog
 先日、同僚に誘われて飲みに行きました。「お得な店がありまっせ」と向かった先は、ジンギスカン・2時間食べ放題・飲み放題付き=3980円でした。ジンギスカンをつつきながら、ビールやらワインやらをガブガブ飲んでいて、「もうそろそろ2時間になるなぁ」と思っていた頃に、「お肉のおかわりは如何ですか」と言われたので、「じゃあ、お願いします」と答えました。だいぶおなかはいい感じになっていましたが、ラストスパートで頑張って食べようと、ジュージューお肉を焼いていたら、さっきとは違う店員がやってきて「2時間になりましたので、これで終わりです」と言うではないですか。「肉も飲み物も追加しないので、今焼いている分まではいいですか」と聞いたら、返事は「2時間と決まっておりますので」でした。お店が混んでいて待っている人がいるなら、「そうですね」と引き下がりますが、ガラガラです。「焼きかけの肉がもったいないじゃないですか」と言っても、「2時間と決まっておりますので」を繰り返すばかり。どう見てもバイトくんのこの店員を責めても仕方ないので、ジュージュー言っているお肉を残して席を立ちました。「おかわり如何ですか」さんは、「お肉の皿が空いていたらおかわりを聞く」のマニュアル通り、「2時間と決まっておりますので」くんは、「2時間経ったら速やかに帰ってもらう」のマニュアル通り、きっとそういうことなのだろうと思います。一緒に飲んでいた同僚と、「なんか気分わるいよなぁ」と言いながら、別の店で飲み直しました。酔いがまわるうちに、先の気分悪さはどこかへ飛んでいきましたが、その分いい気になってウィスキーのおかわりを繰り返していたので、すっかり遅い時間になってしまい、タクシーで帰る羽目になってしまいました。結局、高くついてしまった3980円でした。