花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

賢く怖がる

2011-03-26 09:57:29 | Weblog
 24日の朝日新聞朝刊の天声人語では、「えたいが知れないゆえに、放射能はその怖さを百倍にも千倍にも膨らます」と、震災後の放射能汚染に対する不安感の高まりを取り上げ、そして、「どうか、賢く怖がりたい」と、冷静な対応を呼掛けています。この記事の前日のことです。外出先から会社へ戻る途中、雨が降り出してきました。傘を持って出なかったので、仕方なく雨に濡れながら、会社へ急ぎました。あたりにも傘を持っていない人はたくさんいましたが、さして慌てる様子もなく、「あれぇ、降ってきちゃったよぉ」といった感じで、私と同じくやや速歩きで歩いていました。職場では、東京都の浄水場から放射性ヨウ素が検出された話題が出ていました。「きっと、ペットボトルの水を買い占めるのが出てくるだろね」とか、「ビールがあれば水道の水は飲まなくてもいいや」みたいに、まるで人ごとのような感じで話していました。外資系の会社では、外国人社長が続々と本国へ帰ったり、大阪へ本社を移す動きが出ています。それに引き替え、一部過剰反応の人がいるにしても、大勢としては平穏を保っているのはどうしたことでしょう。単に鈍感なだけなのか、諦めなのか、それとも大人なのか、あるいは3つがミックスされているのか。どちらにせよ、長期戦を覚悟して、軽率な反応はしないように心掛けたいものです。例え買い占めに走ったとしても、そんなものは長く続けられるはずはありませんから。

おうちへ帰ろう

2011-03-18 00:44:44 | Weblog
 3月17日木曜日、海江田経済産業大臣が関東地方に大規模停電の恐れがあると発表し、電車が止まって帰れなくなるのを心配した各企業は社員を早めに帰宅させました。私は仕事を終え会社を出、駅を目指して8時半頃銀座を歩いていました。普段であれば、この時間帯、銀座は人に溢れ、和光のある交差点は行き交う人や信号待ちの人でいっぱいですが、今日は閑散としていました。たまに、勢いあまって深夜2時、3時まで飲んでしまい、自責の念に駆られながらタクシーを探す時、銀座もこんな具合に人影も車もまばら、店舗はシャッターが降り、自分の靴音のみがやけに響き渡りますが、8時台では考えられない光景です。
 東日本大震災以来、首都圏の企業活動は大きな影響を受けています。自宅待機の社員が多くいたり、今日のように速やかな帰宅を命ぜられたり、電力消費を抑えるため工場の操業を停止したりしています。経済的には大きな損失を蒙っています。しかしながら、もしかするとこの未曾有の大震災は、私たちにある実験の場を与えてくれているのかもしれません。これまで経済的拡大を是としてきたことから方向転換し、エネルギー消費や経済活動を抑制しつつ、まあまあ許容できる生活水準とはどの程度なのであるか、その折り合いのつけどころを模索する良い機会ではないかと思います。少なくともそう思うことで、この1週間、全てに渡って後手後手の無能ぶりをさらけ出している政府に対する怒りを、ぐっと呑み込むことにします。

もうひとつの彼我の差

2011-03-15 00:10:25 | Weblog
 日曜の夜、テレビを観ていたら、震災に遭い、避難所での生活を余儀なくされた家族が紹介されていました。その避難所では、食事の配給は1日1回、朝、おにぎり1個とカットしたフルーツだけだそうです。小さい子どもを抱えたお母さんは、配給されたものは先ず子どもに与えて、自分は子どもの残りを食べていると言っていました。方や、私の近所のスーパーはどうでしょう。ウンカの大群が過ぎ去った後の畑のように、スーパーの棚には何も残っていません。きっと、みんなが買いだめをした結果でしょう。ここでも、あまりにも違いすぎる彼我の差に言葉を失ってしまいます。

彼我の差

2011-03-14 01:56:00 | Weblog
 未曾有の大地震から2日過ぎた日曜日、朝刊とは別に配布された朝日新聞の特別号外に、「生きている 声よ届け」、「頼みの衛星携帯も不通 道路寸断」の見出しの下、孤立した宮城県女川町の状況が報じられていました。「本当に陸の孤島になってしまった」、「町の状況が外部に伝わらないから、ラジオのニュースも『女川の情報はない』と言うばかりだ」、「食料もない。水もない。トイレや赤ん坊のオムツもない。しかもこの寒さ。みんなまだ興奮状態にあるが、気持ちが落ち着いてきたらいろいろな物資の不足がストレスになって襲ってくる。とにかく助けがほしい。早く助けに来てくれ。そう伝えてください」、記事の中の住民の声は悲痛です。テレビでは被災地の惨状が次々と流れているのに、取材される側は何の情報もなく不安を募らせています。電気もガスも水も物資も十分な私たちは情報量も多く、電気やガスや水や物資が一番必要な人たちは情報に飢えています。マンションのどこかの部屋からは、練習しているピアノの音が聞こえています。我が家のベランダでは、暖かな陽ざしを浴びながら洗濯物が揺れています。彼我のこの懸隔に茫然としてしまいます。救助活動にあたっている方々の努力が最大限の成果を産むよう祈るばかりです。

特別ママの日

2011-03-04 23:29:24 | Weblog
 東京マラソンによる都心の喧噪をよそに、2月最後の日曜日、我が家では「特別ママの日」を粛々と迎えました。「特別ママの日」とは、ママを家事から解放して楽をさせてあげるという、要は5月の母の日のようなものです。いつだったか子どもの発案で始まり、以後、子どもの突然思いつき的提案で何回か設定されてきました。
 今回の「特別ママの日」では、先ず、お昼はお弁当を作ってママに食べてもらおうとなり、子どもと一緒になって、手羽先の中華風照り焼き、玉子焼き、スパゲティナポリタン、サラダをおかずにしたお弁当を作りました。ママだけデザートのフルーツが付きました。盛りつけは全部子どもがやり、3人でTOKIOの国分太一さんが東京マラソンを走っている姿をTVで見ながらお弁当を食べました。
 午後は、いろいろと家事をしつつ、夜ごはんの準備をしました。普段食べない料理を作ろうと思い、ポルトガルの家庭料理であるゴジドー・ポルトゲーズを作ることにしました。ゴジドー・ポルトゲーズとは、食通の作家、壇一雄によれば、「豚の足だの、豚の耳だの、牛の『ミノ肉』だの、心臓だの、バラ肉だの、鶏だの、何でもござれ、馬鈴薯、玉葱、人参、ポルトガル・キャベツなどと、ゴタ煮にしたものだ。云ってみれば、日本の田舎煮とか、『ガメ煮』とか云った類のものだが、血の『チョリッソ(ソーセージ)』とか、モツのチョリッソとか、ソーセージにフォークで穴を開けて、一緒の煮込み、そのソーセージの味をしみつかせたものである」(壇一雄「美味放浪記」中公文庫)、というものです。モツ類や血のソーセージが入っていては子どもが食べられないので、肉類は豚バラと牛肩、それにサラミソーセージにしました。ちょびちょび味見をしながら作ったのですが、なかなかサラミからダシとなる味が出なくて、ついにはチキンコンソメ投入となりました。出来上がった料理は、おそらく本場のゴジドー・ポルトゲーズとは似て非なるものとなったはずです。ママも子どもも不味いと言って不評。私もノルマ喰いで食べました。日曜の夜ごはんに慣れないものは作るべきではないなと反省しました。日曜の夜ごはんが美味しくないと、明日からまた仕事だという、ややもすると萎えがちな気持ちに、さらに拍車がかかります。
 これまでは、子どもの突然思いつき的提案で日付指定された「特別ママの日」ですが、次回は私の捲土重来的「今度はどうだ!」の意気込みで日にちを設定することになりそうです。