花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

アメリカの中国化?

2012-05-26 11:03:15 | Weblog
 5月25日の朝日新聞朝刊の天声人語では、アメリカ大統領選の中傷合戦のことが取り上げられていました。かごに入れた犬を車の上に積んで、カナダまで12時間走ったことを指摘された共和党候補のロムニー氏が、愛犬家へ釈明する羽目になったかと思えば、反対にロムニー陣営が、オバマ大統領が子どもの頃、インドネシアで犬を食べたことを暴き立てるなど、さながら「蝸牛角上の争い」の感を呈しています。政策の内容や実行力といった政治家としての資質を問うのではなく、人物そのものが焦点となってしまうと、徳のあるものが民を治めると考える、中国の易姓革命的な雰囲気になってきます。
 最近読んだ「100のモノが語る世界の歴史1」(ニール・マクレガー著 筑摩選書)の中に、孔子の時代の銅鈴(日本の銅鐸みたいなもの)を通じて中国の政治文化について語った次のような一節があります。「(現中国)指導部は昔の儒教の教えように、徳を体現する人びととして見なされます。有徳であるがゆえに、国民は彼らの支配権を認めているわけです。ですから、この大昔からの調和の理念が採用されているのであって、それを安定した政治制度を正当化するための現代のやり方で見ているんです。支配する権利が問われない制度です」つまり、徳のあるものが民を治めるという考え方では、為政者に徳があるかどうかは問題としますが、為政者と治められる者の関係は重視されないことになります。そこでは、権力の行使に対して、細かなチェックは働きません。政治がうまくいかないと、「それは為政者に徳がないから」と片付けられるだけで、政治の中身を吟味する契機が乏しくなってしまいます。
 今年の2月1日付朝日新聞朝刊に、『西洋化?日本は「中国化」しつつある』と題した歴史学者・與那覇潤氏のインタビュー記事が載っていました。インタビューの最後で、「世界の中国化は、人類に何をもたらすのでしょう?」との問いに対して、與那覇氏はこう答えています。『真の意味で「歴史の終わり」になると思います。中国では宋以降、王朝交代は起きても、「国のかたち」は変わらなかった。明朝と毛沢東時代だけは例外的に共同体を強化する方向に行きますが、結局もとに戻った。進歩ではなく反復しかない世界。それが今日の閉塞感の源泉です』思うに、政治家に対する中傷が過度になれば、それは首のすげ替えに終始するばかりで、政治が成熟していくのを妨げることにつながるのではないでしょうか。

日頃の行いが、まぁまぁ良かったということ

2012-05-22 00:47:15 | Weblog
 5月21日、この日はおそらくいつもより早起きした人が多かったのではないでしょうか。金環日食(東京は午前7時32~37分頃にかけて起こりました)を、日本の各地で相当数の人が観察したに違いないからです。子どもの小学校では、親子で日食を観察出来るよう、普段の7時30分開門が7時10分に繰り上がったので、6時19分の食の始まりを家の近所で観察した後、開門時間に合わせて家族みんなで登校しました。子どもは厚紙に空けた穴を通して射しこむ日光が三日月の形になっているのを見たり、日食グラスで太陽を仰ぎ見たりと、忙しそうでした。ママは日食グラスをデジカメにかぶせて、日食撮影に一生懸命です。私はと言えば、隠れていた太陽が雲から現われる隙を捉えて、もっぱら日食グラスで太陽がリング状になっていく様子を観察しました。日食グラスを通して見ると、周りの景色が消え、太陽しか見えないので、何となく無機質な感じがして、ドラマチックな気持ちの高ぶりは起こりませんでした。「あぁ、月が太陽に比べて見かけ上14%小さくみえる、その14%分がこのリングの内のりなんだな」と、先日の星の手帖社・アベ社長の話を思い出しながら淡々と見ていました。見かけ上小さくなった月の端から漏れてくる太陽の光は思いの外明るく(東京の食分は0.969)、体感的に気温は幾分下がったように感じたものの、もし今日が日食と知らなければ、ひょっとすると太陽が欠けたことに気がつかなかったかもしれない程でした。ほんのわずかの面積から放たれている光しか届いていないのに、太陽の光は存在感を持って私たちを照らしていました。その意味では、太陽が光の輪となる視覚的なスペクタクルよりも、わずかばかりの光でも十分明るい太陽の力強さの方が印象に残りました。ともあれ、見えたり隠れたりではありましたが、人生で初めて金環日食が見られたのは、日頃の行ないがそんなに悪くなかったからだろうと思いました。星の手帖社のアベ社長の「日食が見られるか、見られないかは、日頃の行ない次第」という忠告に従って良かったと思いました。

G.Wに学んだこと その2 ~金環日食と皆既日食の違い~

2012-05-11 01:33:16 | Weblog
 今年の5月21日(月)、日本のかなりの場所で金環日食が見られます。5月6日(日)、この天文ショーを前にして東武百貨店で開かれた「金環日食講座」に子どもと一緒に参加して、星の手帖社のアベ社長の講義を受けました。日食の仕組みに始まり、日食は18年と10日と18時間周期で起こり、この周期を「サロス周期」と呼ぶこと、今年の日食は18年前にメキシコで起こった日食がサロス周期を経て日本に現われるものであることなど、日食に関するあれこれに始まり、「海賊が片目の眼帯をしているのは、望遠鏡で水平線を見ていて、つい太陽を見てしまったために目が潰れたからだ」に至るまで、多方面にわたるお話を披露して頂きました。伺ったお話の中には、日食になぜ金環日食と皆既日食があるのかがありました。その理由は、月の公転軌道が14%の楕円になっているからで、地球に近い時の日食が皆既日食で、遠い時は金環日食になるそうです。月と太陽の大きさはだいたい1:400、地球から月までの距離と太陽までの距離もほぼ1:400(約38.4万㎞:約1億5000万㎞)で、地球から見た時の見かけの大きさが同じなことに加え、14%の楕円軌道が産み出す遠近法によって2つの日食の違いが分かれることを教わり、21日の日食がますます興味深く待たれるようになりました。アベ社長が最後におっしゃっていた、「日食が見られるかどうかは皆さんの行ない次第ですよ」の言葉を胸に、早寝早起き、元気な挨拶、謹厳実直に勤めて、その日に備えたいと思います。

G.Wに学んだこと その1 ~ナウマンゾウは食べ尽くされて滅んだ~

2012-05-07 23:52:46 | Weblog
 新潟県との県境に近い長野県の野尻湖畔にある「野尻湖ナウマンゾウ博物館」へ行ってきました。館内の展示によると、野尻湖人の狩りの方法は、ナウマンゾウを湖のぬかるみに追い込んで身動きが取れないようにしてから襲うというものでした。野尻湖で発掘されるナウマンゾウの化石は、野尻湖人がナウマンゾウを解体した後に残った骨が化石になったもので、ナウマンゾウが滅んだのは、狩り尽くされ、食べ尽くされた結果だそうです。太古から人間は種を絶やしていたことになりますが、ナウマンゾウを食べなければ飢え死にした野尻湖人もいたわけで、その意味ではナウマンゾウによって命をつないだことが、巡り巡って今私たちが生を受けていることにもつながってきます。「ナウマンゾウを食べ尽くした野尻湖人は責められないよなぁ」と思います。