花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

西瓜と梨

2017-08-27 10:07:02 | 季節/自然
 もてあます 西瓜ひとつや ひとり者
 これは永井荷風が詠んだ句です。ある夏、友人に郵便小包で西瓜を送ってもらった時、独身者である上に、子どもの頃から瓜類の青臭いにおいが嫌いだったことから、「この西瓜をどうしたものか」と思って詠んだものです。西瓜嫌いではなかったとしても、ひとりで西瓜1個を食べるのは大変です。荷風の時代は電気冷蔵庫がありませんから、少しずつ小分けにして食べる訳にもいかないでしょう。西瓜より半月ほど季節は後ろにズレますが、梨ならひとり者でも大丈夫です。みずみずしさでは西瓜に劣らず、しかもまるまる1個食べても平気です。しかし、ひとりで皮をむいて、ひとりで食べるのは、何やら寂しげな感じはします。小津安二郎の映画「晩春」のラストシーンで、父親役の笠智衆は原節子演ずる娘が嫁いだ日に、ひとり家へ戻ってリンゴの皮をむき、リンゴを手にしたままうなだれます。その哀情多いシーンが思い出されるからです。

太鼓たたいて笛ふいて

2017-08-15 21:34:43 | Book
 井上ひさしの戯曲「太鼓たたいて笛ふいて」(新潮社刊)は、林芙美子の戦中と戦後に時代を設定しています。第一幕は戦中。日中戦争が始まり、林芙美子は新聞社の従軍記者として中国へ赴き、漢口一番乗りを果たし、「私は兵隊が好きだ あらゆる夢を吹き飛ばし 荒れた土にその血をさらし 民族を愛する思いに吹きこぼれながら 兵隊は、今日も 旗を背負って黙々と 進軍する・・・」という詩を詠みます。このことにより、林芙美子はのちに戦争協力者の批判を受けることになります。
 しかし、第二幕になると林芙美子の態度は変わります。戦争を続けるために庶民が悲惨な犠牲を強いられていることを知り、戦局押し迫った頃には「キレイに敗けるしかない」と言ったがために、特高警察に目をつけられます。そして戦後、戦争の爪痕を倦むことなく書いていくのですが、次のセリフでその理由を述べています。「あなた方のつらさを苦しさを、もっと書かなくてはね。歴史の本はわたしたちのことをすぐにも忘れてしまう、だから、わたしたちがどんな思いで生きてきたか、どこでまちがって、どこでそのまちがいから出直したか、いまのうちに書いておかなくてはね。戦さだ何だかんだとムダな欲ばかりで、わたしたちが自分で地獄をつくったということを・・・そんなことより、深谷のネギや練馬の夏大根や銚子のイワシや水戸の納豆や北海道の玉ネギや瀬戸内の鯛の方がずっと大切だということをしっかり書いておかなくては、それをことばにして、だれにでも送り届けなくてはね。」
 フィクションではあると言え、戦争が持つ熱狂と荒廃、高揚と悔悟、この両面を教えてくれるお芝居です。もっとも、歴史を後知恵で見る人には面白くも何ともないでしょうが。

歴史の後知恵

2017-08-12 14:55:19 | Weblog
 日中戦争の従軍記を書いたことから作家・林芙美子を戦争協力者と批判する人があります。それに対して評論家の川本三郎さんは「林芙美子の昭和」(新書館刊)の中で、林芙美子への批判は「歴史の後知恵」であるとして次のように擁護しています。「戦争そのものは理性的に考えればいくらでも否定、批判できる。しかし、いま現在、国家による総力戦という戦争が敢行されていて、ほとんどの国民がその悲劇に巻き込まれている。そんなときに、自分だけが安全地帯いて高いところから戦争を否定できるのか。まして、戦場で戦っている無名兵士たちを批判できるのか。(中略)総論としては、大東亜戦争の大義名分には疑義がある。中国の戦場を見てきた林芙美子にはそれがとても『聖戦』とは思えない。南方での戦争もそうだ。日本人としてどうも居心地が悪い。にもかかわらず、各論で見ていけば戦場で死を賭けて戦っているひとりひとりの無名兵士の痛苦には敬意を払わざるを得ない。総論では否定しても、各論では肯定せざるを得ない。」
 つまり、戦争自体は“No”でも、戦地で飢えに耐え血を流している兵士の人間性を無価値とは言えないと、林芙美子は考えていたのです。悲惨な状況の中で命を懸けて戦っている兵士に対する負い目が、林芙美子を戦場へ赴かせ、かれらの実態をつぶさに書かせたとの弁護には耳を傾けさせるものがあります。「あいつは戦争協力者だからダメだ」と斬って捨てる「上から目線」では、戦争協力者と言われる人たちそれぞれの態度の濃淡、ベクトルや背景の違いが視界から消え失せてしまいます。歴史的事象の帰結や評価を知っている人間が、その渦中にあり自分の思うに任せない力に流されることもあった人たちを、表面的なものだけから判断して一刀両断してしまうことを「歴史の後知恵」と戒める、川本さんの立場は学ぶべきところ大だとと思います。

(追記)歴史の後知恵の上から目線では、歴史に学ぶ態度は生まれにくいと思います。