花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

人間は不満の動物である

2018-11-26 20:50:45 | Weblog
 3連休の中日、かねてより訪ねてみたかった茅ヶ崎の開高健記念館へ出かけました。また、ついでに茅ヶ崎から江の島まで歩いてみようかと思いつつ、茅ヶ崎駅に降り立ちました。駅から真っ直ぐ南へ下ると海岸に出ます。海岸沿いに東へ歩いて茅ヶ崎ゴルフ倶楽部のあたりから少し北へ向かうと、かつて開高さんが住んでいた家があり、今は記念館としてゆかりの品々が展示されています。館内ではNHKのインタビュー番組の録画を見せて頂きました。その中で開高さんが語った「人間は不満の動物である」という言葉が心に残りました。開高さんはベトナム戦争に従軍した際、九死に一生を得ます。ホテルへ戻りベッドの上で、生を実感して「生きている!」とベッドを叩いたそうです。しかし、3時間もすると安全なホテルにいることが当たり前に思え、そこで「人間は不満の動物である」との言葉が出ます。隊の大多数が命を落とした作戦にあって、死神の手を免れた僥倖にさえ、感謝の気持ちが持続するする時間はそんなに長くはなく、ほどなく不満が頭をもたげてきたのでしょう。「重いなぁ」と思いつつ、記念館を後にしました。
 海岸に戻り砂浜を縫って続く遊歩道をしばらく歩いて鵠沼海岸まで来ると、江の島がかなり大きく見えるようになり、逆に烏帽子岩は海に溶け込みそうなくらいに小さくなっていました。太陽は伊豆半島の山の連なりに引き寄せられているかのように高度を下げ、海は弱いオレンジ色の光を一面にキラキラと反射させています。波を待つサーファーがボードに寝そべり上下するのを見ながら、途中のコンビニで買ったワインを一口、また一口と飲みました。人間は不満の動物であり、そのことから逃れられないかもしれません。けれど、不満の動物であることへの自覚が有るか無いかは、大きな違いであるような気がします。何か不満を抱いた時、開高さんの言葉を思い出したおかげで、悪い方の選択肢を避けることが出来ると良いなぁ、あるいは今後そんなことがあるとすれば、それはどんな状況だろうか、などと思いながら、陽のあるうちに江の島までと腰を上げて歩き出しました。

小人閑居して不善をなす

2018-11-05 21:39:27 | Weblog
 日曜の夕方、高速道路で渋滞に巻き込まれました。毎週この時間帯、「何とかバス停を先頭に20キロの渋滞」とか「○○トンネルから30キロの渋滞で通過に3時間」みたいな道路情報が出るので、予想していたとは言え、実際にハマってしまうとうんざりしてしまいます。そんな中、ぼんやり外を見ていたら、路肩の標識に「ゆずり合いにご協力を!」とありました。「ゆずり合い」から濁点を取ると「ゆすり合い」。お互いに肩でもつかんで揺さぶり合いをするのか、はたまた「金を出せ」と凄んで脅かし合いをするのか、濁点の有る無しでずいぶん違うなぁと、くだらないことを考えて暇人ぶりをさらけ出していました。
 高速道路の渋滞と言えば、たまに路肩を走って、路肩が切れると本線に割り込んでくる車があります。「せこいなぁ」と思うと同時に、「そんなことをしても家に着く時間が大幅に変わるわけでもないだろうに」とあきれた感じになります。当の本人は何だか得したような気でいるのかもしれませんが、そんなヤツに限って高速を降りた後、コンビニに寄ってエッチな雑誌なんか見たりして、ムダに時間を費やしてしまうのでしょう。

セールスマンの死 おまけ

2018-11-02 00:42:27 | Weblog
 以下、唐突かつ変な結びつけながら、「セールスマンの死」のおまけを。
 ウィリー・ローマンがいろんな人に好かれようとして、かえって自分の存在感を失っていったのに対して、次の言葉は、たとえ嫌われようとも自らの信ずるところに殉じていった人のものです。「おれの日々の目的は、日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている。死を飾り、死を意義あらしめようとする人間は単に虚栄の徒であり、いざとなれば死ねぬ。人間は朝に夕に犬死の覚悟をあらたにしつつ、生きる意義のみを考える者がえらい」。これは、司馬遼太郎さんの「峠」の主人公、河合継之助の言葉です。幕末に越後長岡藩の舵取りを行い、最期は薩長率いる新政府軍との戦いのさなか、病に倒れた人物です。もし、ウィリー・ローマンに犬死の覚悟があったなら、どんな人生だったろうかと考えてしまいます。