花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

「生活保護があるさ」と首相が言いますか?

2021-01-30 14:02:47 | Weblog
 徒然草の第211段には、こころ穏やかに暮らす秘訣が書いてあります。何事も当てにしないことが良いそうで、その当てにしない、当てにならないものとは、例えばこんなものです。

「勢ひ」:権力を持っていても、滅びるのは強いものから。
「財(たから)」:財力があっても、わずかな間に失ってしまう。
「才(ざえ)」:才能ある孔子だって時世に合わなかった。
「徳」:孔子の弟子で徳があるとされた顔回(がんかい)は短命だった。
「寵(ちょう)」:主の寵愛を受けていても、いつ罰を受けるか分からない。
「従」:自分に従う者に背かれることがある。
「志」:他人の好意も変わりやすいものだ。
「約」:約束を守る人は少ない。

 これらに変な期待を掛けなければ、良いことがあった時は喜んで、悪いことがあっても恨むことはない、気持ちが「緩くして柔かなる時は」、髪の毛1本たりとも損なわないで自分が傷つくことはない、と兼好法師はおっしゃってます。「寛大にしてきはまらざる時は、喜怒これにさはらずして、物のためにわづらはず。」心をゆったり広く持てば、煩わしい思いをすることはない、ともあり、バートランド・ラッセルが「幸福論」で語っていることを先取りしているような気がします。

 およそ700年ほど昔の言葉を前にしてみて、我執の虜になるという点においては、人間は進歩していないなぁと思いつつ、だからこそ時を超えて兼好法師の処方箋は私たちに力を貸してくれるように思います。ただ、個人レベルではそれで良いとしても、世の中でおかしなことが起こっていれば、「緩くして柔か」ではいられません。苦しんでいる人を助けなければならないのに、手を差し伸べる方策を述べるどころか、「最後は生活保護がある」などとのたまう方々には、呆れるばかりです。だって、生活保護を受けるってことは、困窮を極めるってことでしょ。こういったことを平気で言う人たちに対しては、物分かりの良い顔をしないで大いに憤っていかないと、社会がどんどん痛んでいってしまいます。

鹿が山を下りて高校へ行きました

2021-01-29 22:14:39 | Weblog
 今日、神奈川県立大井高校に鹿が現れたとのニュースがありました。10時に登校、ちょっと寝坊したのかも。窓ガラスを割って校舎に入ったのはいただけません。先生に見とがめられて動揺したのでしょうか、トイレに立てこもったところ、暴れられては困ると、職員がトイレをベニヤ板でふさぎました。雪隠詰めの末、お昼過ぎに鹿は取り押さえられ、山へ強制送還と相成ったとか。

 大井高校の先生方は、日ごろから魅力あふれる授業を行っていらっしゃるのでしょう。向学心に燃えた鹿が、つい学び舎を覗きに来てしまったと考えてみたくなりました。さすが、二宮尊徳を生んだ土地柄と感心させられたニュースでした。

鹿1頭が高校に侵入、トイレに閉じ込める 神奈川・大井:朝日新聞デジタル

 29日午前10時20分ごろ、神奈川県大井町西大井の県立大井高校の校舎に鹿が入ってきたと、同校職員から通報があった。オスとみられる鹿1頭が入...

朝日新聞デジタル

 


ポスト・コロナの社会

2021-01-23 10:16:59 | Book
 歴史人口学者のエマニュエル・トッドさんは新刊の「エマニュエル・トッドの思考地図」(筑摩書房刊)の中で、コロナ後の社会に関する予測を述べています(2020年5月時点)。箇条書きにまとめてみると次のようになります。なお、トッドさんは人口統計を読み解くことでソ連邦の崩壊やアメリカの覇権の衰退を予測したとして有名です。

・コロナ以前の傾向がより明確になり加速されるが、コロナ自体で何か新しいことが起こるわけではない。
・アメリカやイギリスの国家の力を取り戻そうとする動きは強まる。フランスにもその動きが現れるかもしれない。中国とアメリカの関係はさらに悪化。
・ユーロ政策失敗の影響が深刻化。フランスでは貧困化が進み、社会経済的な衝突が起こる。
・不平等の拡大が支配層の正当性を破壊。フランスの公衆衛生の破綻は政府への反抗の動きにつながる可能性がある。

 さて、トッドさんは日本についても触れています。「表面的にはうまく収束を迎えることができるかもしれませんが、そうした場合、内部で人々のある程度の満足感が得られることにより、これまでよりもさらに、高齢者を救うことよりも子どもを産むことのほうが大切であるという事実を見えなくさせてしまう可能性はあるでしょう。そうして、思想的にまどろんだような状態がますます強化されるのではないでしょうか。」

 予測は歴史や経験に基づきながらも、データの裏付けはなく、最後は本能的、直感的に将来をイメージすることと語るトッドさん。その意味ではリスクを負う勇気が求められるわけですが、この本を次の言葉で結んでいます。「リスクを負えるかどうかは、その性格以上に、その人自身が社会にどのように関わっているかということにかかっているのです。」社会を所与のものとせず、問題意識を持って社会を見つめる、まどろわない思考が基盤にあることを感じさせる言葉だと思います。

霞が関のブルシット・ジョブ

2021-01-06 20:23:58 | Weblog
 昨日、5日の朝日新聞夕刊の一面では霞が関官僚の過酷労働が取り上げられていました。長時間労働の様子について記事から拾ってみます。「午前3時に仕事を終え、タクシーで1時間ほどかけて自宅へ。シャワーを浴びて、うとうとすること2~3時間。電車に揺られて霞が関の職場に戻ると、男性職員たちは椅子を並べて眠りこけていた・・・。」

 過労死ラインとされる月80時間の残業時間を、総合職20歳台では3割が超えているそうです。その結果、2019年度に中央官庁では87人の総合職が退職し、その人数は2013年度の4倍に当たります。30歳未満を対象とするアンケートでは男性の14.7%、女性の9.7%が数年以内の退職を考えていると回答しています。

 このようにブラックな職場環境がどうして生まれているのか、記事ではいくつかの理由を挙げていますが、そのひとつが「閣僚の尻ぬぐい」。ある女性官僚が語るところによると、「閣僚など政務三役が直接、野党と納得できる議論ができないから、官僚にしわ寄せがいく。官僚が尻ぬぐいしている」とのことです。

 この記事を読んで一冊の本が頭に浮かびます。「ブルシット・ジョブ」(デヴィッド・グレーバー著 岩波書店刊)です。サブタイトルに「クソどうでもいい仕事の理論」とありますが、仕事をしている本人が意味を見出せない、けれども意味があるように取り繕わなければならない仕事を論じたものです。著者は「尻ぬぐいの仕事」を「ブルシット・ジョブ」の類型のひとつとしています。元々ある欠陥に対処しようとせず放置したままにしているため、垂れ流される問題の尻ぬぐいをさせられることを言っています。

 ある人を偉く見せるための「取り巻きの仕事」も「ブルシット・ジョブ」とされています。ちゃんと働かない政治家が不祥事を起こす、国会で突っ込まれる、そんな議員の体面を整え、取り繕うために残業はしたくないのは良く分かります。若い人たちが辞めていくのが常態化していくと、そのうち組織の年齢構成が崩れて機能不全が起こらないか心配です。