花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

礫川公園、1週間後

2013-04-14 18:57:05 | Weblog
 4月2回目の土曜日の午後、家族で東京メトロ「後楽園」駅隣の礫川公園へ出掛けました。ママは木漏れ日の下、村上春樹の新刊「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読む心づもりでしたが、子どもにバドミントンをしようとせがまれ、風に翻弄され軌道の定まらぬシャトルを追って、右に左に、前へ後ろへと走らされていました。その間、私はベンチに座って読みかけの文庫本の続きを読んでいました。頁から目を上げてあたりを見渡すと、先週は満開だった八重桜は、かなり葉っぱの割合が多くなっていました。今日は天気こそ良いものの、気温は低く、じっと座って本を読んでいると、風が当たっている方の肩からじわっと冷たさが身体に広がってきます。やおら文庫本を閉じて、「ちょっと替わろうか」とママにバドミントンの選手交代を申し出ました。家に帰ってからは、伏見のお酒「玉乃光」のぬる燗で身体の内側がから温めました。その夜、お風呂の中で子どもが、「今日は給湯温度41℃でちょうどいいね」と言いました。

「花冷えや 日差しを求めて 動きけり」

嵐が来る前に

2013-04-09 00:12:32 | Weblog
 4月最初の土曜日、天気予報では不要不急の外出を控えるよう呼び掛けながら、爆弾低気圧による嵐の到来を告げていました。関東地方は午後から風雨が始まるとのことで、それまでに帰ってこようと、子どもと一緒に上野の東京都美術館へ「エル・グレコ展」を観に行きました。開館30分前に到着、既に数十人の人が並んでいました。
 ギリシアのクレタ島生まれのエル・グレコはイタリア・ヴェネチアで絵画の修業を積み、やがてスペインに移り住み、そこで教会の祭壇画など多くの宗教画を残して生涯を閉じました。風景画と違って、エル・グレコのように宗教画の展示が中心になると、子どもからどういう場面なのか質問が飛んできます。それをどうやら凌ぎつつ、天上へ飛翔するかの如き「無原罪のお宿り」を仰ぎ見て、美術館を出ました。
 外は嵐の気配もない穏やかな天気でした。子どもが「神田まつや」で蕎麦を食べて帰りたいと言うので、おなかを空かせるために上野から秋葉原を通り、神田須田町まで歩きました。子どもはざる蕎麦、私は大ごま蕎麦、そして二人で天丼を分け合って食べました。その後、子どもが井上靖の「しろばんば」が欲しいと言うので三省堂へ行きました。2階の文庫売り場で「しろばんば」を手に取ると500頁を遥かに超える厚さでした。「いったい読めるのか」と思いましたが、人生の中でいずれ読み通すこともあるだろうと、求めることにしました。
 東京ドームの近くにある礫川公園の葉桜の下で、「午後の紅茶」と「ヱビス」でしばし寛いだ後、家に帰りました。家に着いて1時間もすると雨が降り出し、子どもと「良かったね」と話しました。

言われてみれば

2013-04-05 00:24:44 | Book
 以下はジョナサン・ハリス著「ビザンツ帝国の最期」(白水社刊)からの抜き書きです。「トルコ人がコンスタンティノープルの城門を攻撃している時、帝国が破滅の淵に立っている時でさえ、ビザンツ人は、内輪もめを繰り返し、煩瑣な宗教論争を果てしなく続けていた。何が大事なのかについての彼らの見るからに歪んだ判断は、後世の人々を当惑させたり憤慨させて、ビザンツへの同情を妨げるものとなった。」
 確かに、「危急存亡の時くらい一致団結したらどうだ」とは、誰しも思いそうです。しかしながら、一致団結する前にどう事に当たるかの合意が必要で、それなくしては団結のしようがありません。そのあたりの事情を著者はこう述べています。「理想社会においてはすべてのものが合意し、合意された目的に向かって一致して行動するであろうが、現実の社会はどこでも意見や利害の違いがあり、対立はさまざまの方法で表明され、解決されなければならないのである。中世世界においては対立の表明・解決は、政党やテレビ討論、選挙ではなく、国家の最高の地位、通常は国王の地位をめぐる王朝の争いを通じてなされた。」
 また、後生の人間が簡単に過去の出来事や人々に対して云々することについては、「自分たちの社会の富や権力が崩壊してほとんど無に帰し、軍事的にオスマンに立ち向かうことができなくなった時代に生きたことは、まさに彼らの不幸であった。そのような時代を経験したことのない者は、彼らをあまりにも厳しく裁くべきではないだろう。」と、釘を刺しています。私たちが歴史と向かい合った時、当事者ではないので、上から目線で好きなことを言いがちですが、当事者からすれば「我が身が大事」で必死な訳です。歴史に教訓を学ぶと言えば格好良いものの、実際には岡目八目でものを言っているだけなので、生身の人間によって織りなされる営為に対して、幾ばくかのリスペクトを持つことを忘れずにいたいと思います。