花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

保身のコストは600億円

2017-09-20 21:11:15 | Weblog
 本日の朝日新聞朝刊の一面では、10月22日の衆院選投開票に向けて走り出した自民党が、選挙公約に憲法9条の改正を盛り込む方針だと報じていました。想像ですが、これには二つの狙いがあると思います。ひとつは、東京都議選の敗北で求心力が衰えた安倍首相が憲法改正を軸に党内での影響力を取り戻そうと考えていること。しかも、選挙で負けなければ悲願の憲法改正に対する民意を得たと言うでしょうから、一石二鳥付きです。もうひとつは、選挙後の国会において論戦の焦点を森友・加計問題から憲法改正にすり替えること。そもそも、今回の解散総選挙は森友・加計問題に対する野党の追及から逃れるためだとの批判があります。逃げるために選挙をし、逃げるために憲法改正を掲げる、総理ともなると保身のために日本中を動かすのだから大したものです。北朝鮮のミサイル発射も同じ穴の何とかだとすれば、保身を考えざる者はリーダー足りえずなのかもしれませんが。さて、同じく朝日新聞朝刊の社会面には、選挙に関わる支出として600億円が見込まれていると書いてありました。保身のために600億円とは、ますます大したものです。

中禅寺湖畔逍遥

2017-09-18 16:51:40 | Weblog
 三連休の初日、日光の中禅寺湖畔を歩きました。台風の接近で天気が心配されましたが、幸い雨に降られることはありませんでした。しかし、湖越しに見られるはずの男体山の堂々とした山容は、すそ野まで厚く垂れこめた雲の中に隠れていました。それでも雨も風もなかったことは、九州で大荒れに見舞われている地方に比べれば良しとせねばならないでしょう。
 中禅寺湖の標高は約1200メートル。季節で言えばひと月は先を行っているようで、早くも色づき始めた落葉樹がちらほら見られました。イタリア大使館別荘記念公園を過ぎると、人影はわずかな釣り人のみ。聞こえるのは何種類もの鳥のさえずり、そして水鳥が湖面から飛び上がる時の羽音。落ち葉を踏む「サッサッサッ」という音や、時折遠くを走る遊覧船から送り出された波が岸に当たり、最初は「ザァーブ、ザァーブ」、後からは「チャァープ、チャァープ」という音を立てましたが、それらさやかな物音はあたりの静けさを余計に際立たせました。
 「古代ギリシャの逍遥学派もこのような静寂の中を歩いたのだろうか」と思いつつ、自分にも何か深遠な考えが浮かびはしないかと期待しながら歩きました。でも、普段くだらないことしか考えていない人間に、いきなり素晴らしい思考が現れるはずもありません。どんな脈絡があったのかはとんと分かりませんが、ややあってふと頭に浮かんだのは、「金持ちは足し算と掛け算をし、貧乏人は引き算と割り算をする」ということでした。つまり、金持ちはお金がどんどん増えていくので足し算をし、いくらの利回りで何か月経てばどれくらいになると掛け算をします。一方貧乏人は少ないお金でやり繰りをするため、あとどれくらい残っているかと引き算をし、今月はあと何日あるから一日当たりいくら使えるかと割り算をしなければなりません。我ながら考えることが小さいと呆れるばかり。器が小さい自分はさしずめ「小容学派」かとニヤついていたところ、サルが赤いお尻を向けて私の前を横切っていきました。

二葉亭四迷の「浮雲」

2017-09-09 11:11:31 | Book
 先日、図書館から二葉亭四迷の「浮雲」を借り、通勤電車の中で読みました。教科書で明治時代の文学を記述する際には、言文一致体の小説として必ず出てくる作品なので読むのを楽しみにしていたのですが、内容は下手なドタバタ・ホームドラマみたいで期待外れでした。下宿先の娘に惚れた主人公は、娘といい仲になるのを期待していたものの、急な人員整理で失業してしまい、以来、娘のお母さんから冷たくされるようになります。また、娘との関係がぎくしゃくし出したり、主人公の友人が娘に色目を使いだすやらで、心中穏やかならず、歯噛みする日々を送ります。そこで局面を打開するための積極策に出るでもなく、部屋に閉じこもって疑心暗鬼に駆られるかと思えば、娘のつれない態度を楽観的に全く自分に都合良く解釈してみたりと、中途半端な行ったり来たりが最後まで続き、そのままどっちつかずで話が終ってしまいます。文学史のことは詳しく知りませんが、言文一致で書かれた戯作文学なのだろうかと思いました。
 さて、「浮雲」で付いた離れたの男女関係を演ずる三人に共通しているのは、英語の習いがあることです。主人公の内海文三は「何時の試験にも一番と言ッて二番とは下らぬ程」の秀才、下宿先の娘、お勢の英語を見てあげることや、失業中に翻訳でもしてみようかと思うことから、英語が達者なことがうかがえます。また、お勢も英語の塾に通っているので、多少はかじっているのでしょう。そして、内海文三の恋敵、本田昇は上役の課長の奥さんと娘に英語を教えていると言っているので、これも英語の覚えがあると見て差し支えありません。三人、少なくとも文三と昇は、当時ではインテリと呼ばれても差支えなかろうと思いますが、やってるドタバタからはインテリ然たるところは感じられません。学問は修行ではないので、勉強すれば人間性が向上するとは言えないながら、それでも色恋に終始するありさまは如何なものでしょう。作者の二葉亭四迷がロシアとの外交に携わるべくロシア語を学んだことからすると、英語を学んでも身辺にのみかまける登場人物に、作者がどういう思いを寄せていたのか気になるところではあります。