花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

楽観シナリオ

2021-07-31 19:48:35 | Weblog
 7月最後の日、東京都の新型コロナウィルス新規感染者は4000人を超える4058人で過去最高を記録。全国でも1万2000人超はこれまでの最多。五輪の記録更新は嬉しいニュースですが、こちらは「どうなっちゃうんだろう」と不安が募ります。

 今朝、朝日新聞を読んでいたら、菅総理のコロナに対する楽観的な見方に関する記事が出ていました。五輪開幕間もない頃、ワクチン接種を進め、第5波押さえ込みに自信を見せていたと、ベテラン議員が総理の姿を語ったそうです。

 また、首相周辺のコメントとして、「首相は東京でこのタイミングで3千人もの新規感染者が出るのは想定外だったと思う。首相が見ているシミュレーションは、だいたい2千人以下の範囲で収まるものだった」とあり、楽観論の背景には「首相がそういうデータを出せというから、そうなる」と述べています。「そういうデータを出せ」ということは、希望的観測だけを持って来いということでしょう。その結果が4058人、それから緊急事態宣言対象地域の拡大です。楽観論にどんな意味があるのか・・・、理解出来ません。

 「ワクチン接種を進める」にしても、妻は1回目の予約は出来たものの、2回目を予約しようにも予約枠がないままもう2週間が過ぎました。進むどころか止まっています。

 むかし、中国が雀の被害で穀物の収穫に甚大な損害を被っていた時、時の最高指導者、毛主席のもとへ側近は雀の害が取り除けた極々わずかな例のみ報告し、適切な対策が取られず多くの餓死者が出たと聞いたことがあります。新聞を見て、そんな話を思い出しました。

 菅総理は、「五輪のテレビ観戦で人流が減っている」と言っているとか。おそらく五輪ともテレビとも縁がなく、感染者の治療に従事し消耗しているであろう医療関係者のことを考えると、情けないやら、哀しいやら、こちらが申し訳なくなってしまいます。

 総理は神奈川ほかに緊急事態宣言を出すことを決めた後の記者会見で、「今回の宣言が最後となる覚悟で、政府を挙げて対策を講じていく」と言ったそうです。本当に最後の宣言になればそれに越したことはありませんが、せめてこの総理の下での宣言がこれで最後にならないかなと、私も楽観シナリオを描きたくなりました。

梅雨、明ける

2021-07-17 20:45:56 | Weblog
 7月16日、関東地方の梅雨が明けました。この日の朝、通勤途中、電車の中でおなかが緩む感じが微かにありました。会社までもつだろうと思っていたのですが、一駅ごとに圧が強まってきました。それでも、括約筋で押さえ込めるとまだ余裕があったものの、圧は等比級数的に強まってきました。「むむっ」と気合を入れて、乗換駅まで事なきまま到着することが出来ました。電車が止まってドアが開くまでの間、ふと脳裏をよぎったのは、「もし、ここで痴漢の冤罪になってしまったら、きっと抗弁することも出来ず、括約筋限界を超え、一生の禍根となるような恥辱にまみれてしまうだろう」ということでした。なぜ、急にそんなことを思ったのか分かりませんが、もしかすると広い世の中のこと、これまで可哀そうな人が居なかったとは言い切れません。それはさておき、「この人、痴漢です」と言われることも当然なく、電車を降り、トイレに駆け込むと、いい塩梅に個室が空いていて、すっきりしました。
 尾籠な話で恐縮ですが、「梅雨明け」とのすっきりつながりに免じて、ご海容頂ければ幸いです。天国と地獄は板子一枚の違いであることを感じた朝でした。

雨の護国寺

2021-07-05 18:49:26 | Weblog
 7月4日の日曜日、ヤボ用で文京区音羽に出掛けることになりました。途中時間調整が入り、空いた時間に護国寺をぶらぶら歩きました。本堂の裏は広い墓地となっていて、多数のお墓がびっしりと立ち並んでいました。この日は朝からずっと雨が降る典型的な梅雨空。傘をさしてゆっくりと一回りする間、見るとはなしに墓石を眺めました。墓石に刻まれた戒名の数々はここに眠る方々の多さを示すわけで、歴史の積み重なりを感じました。

 また、立派なお墓を建てて先祖を弔ってきたことは、先祖や家といったものが精神的な力を持っていたからであり、現世を生きる人たちが心の拠り所としてきたことを物語ります。一方、今、遺骨をどうするかが多様化しているようです。樹木葬や海洋葬、あるいは宇宙葬なんてものもあると聞いたことがあります。このような変化は家や家族と個々人との関係が変わってきたことを表しているのかもしれません。かつては拠り所となった家族が、今ではややもするとリスク要因になりかねない、否、実際に大きなリスクとなっている。そんな世相の移り変わりから、自然の懐に抱かれて眠りたいと願う人が増えているのかもと考えつつ、護国寺を後にしました。