花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

復興を思うとき

2016-04-28 22:36:20 | Weblog
 先日、仕事で熊本市を訪れました。市の中心部しか見ていませんので、倒壊した建物などはありませんでしたが、タイル、瓦、壁の落下、傾いた店舗や住居、積み上げられたがれきや粗大ごみは至る所に見られ、傷跡の深さは充分に見てとれました。また、滞在中に余震があり、現地の人たちは今なお相当に不安を感じられていることでしょう。ライフラインが復旧すれば、次は復興への動きが進んでいくと思います。もし復興への動きが遅々として進まなかったら、東京オリンピックにかける莫大な金額に対していかなる思いを抱くであろうか、仕事を終えて熊本駅へ向かう車の中でそんなことを考えました。(画像は崩れた熊本城の石垣)

遠い熊本、近い熊本

2016-04-21 21:50:09 | Weblog
 昨日、社外での仕事がありました。仕事を終え戻る時間が見えなかったので、「夜ごはんはいらない」と家族に告げていました。夜、出先から帰り、駅の近くの居酒屋でひとり晩ごはんを兼ねて飲むことにしました。カウンターに座り、つくね串、ししゃも、冷ややっこを肴にコップ酒を飲んでいると、右隣の40歳台後半ぽいおばさん二人組が、熊本の地震について話しているのが耳に入りました。コップに注がれた日本酒をすすりつつ聞くとはなしに聞いていると、被害にあった人たちを心配する話から知り合いが死んだ話になりました。「えっ、地震で亡くなったの」、「いや、死んだのはだいぶ前」どうやら、熊本つながりで熊本の知人が死んだ話になっていて、それを時系列がないまま話したので、聞いた方は地震で亡くなったと思ってしまったようです。その後、亡くなった人が話しの中心になっていきました。一方、左隣には30歳前後ぽいおねえさん二人組が飲んでいて、やはり地震の話をしていました。こちらは、地震の話から職場にいる熊本出身の人の感じが悪いと話題が移っていき、随分盛り上がっていました。その後、右も左も地震に話が戻ってくることはなく、熊本の誰それさんの話に熱が入っていました。日本中の誰もが知っている地震があった熊本は遠い熊本で、自分が見知っている熊本の人は近く感じられ、話すこともたくさんあるのでしょう。新聞やテレビで見る深刻な出来事よりも、直接知っている(知っていた)身近な人への関心が高いのは致し方のないことです。であればこそ、ここは行政の役割が重要になり、復旧に向けての活動に期待しなければなりません。

彼我の懸隔

2016-04-17 11:46:29 | Weblog
 朝、目が覚めると外が明るく、昨夜天気予報で伝えられた天候の崩れは大したものではなかったようです。熊本県の地震で被害に見舞われた地域も、悪天候による被害の広がりがなければ良いがと思います。昨日は、その熊本の地震に関するニュースをずっとテレビで見ていました。時間が経つにつれ、被害状況の深刻さが明らかになってきました。避難所の様子、水や食べ物の支援物資を受け取るために並んでいる人たちを見ていて感じるのは、画面を境とした見る側と見られる側の違いです。私たちはただ見ているだけで、無力さの面では被害にあった方々と同じですが、テレビのスイッチを消せば目の前にあるのは日常の生活です。一方、非難されている皆さんには厳しい現状があるだけで、スイッチひとつで見るものが変わることはありません。昨日の土曜日、朝日新聞の天声人語に「震災という文字は震と災に分けられる。震は地球の営み。人には避けようもない。けれど災なら人の力で減らすことができる」、とありました。この人の力で期待が集まるのは政治の力でしょう。迅速かつ効果的な対応で、彼我の隔たりが一刻も早く埋まることを願います。

興醒め

2016-04-04 22:03:07 | 季節/自然
 昨夜来の雨が上がり、今朝は霧状になった水分が微かに宙を舞っている状態になっていました。早起きをしたので、水に濡れた桜を見ようかと朝食前の散歩に出掛けました。近所の花見スポットに差し掛かると、カラスが桜の枝から枝、枝から地面へ飛び移りながら餌を探していました。花見客が残した食べ物でも漁っているのでしょう。桜のピンクとカラスの黒、これは取り合わせとしては最低最悪。雀が桜の花を根元から噛み千切って落とす様の愛らしさに引き換え、大きな黒い鳥が桜の枝に止まっているのは目障りでしかありません。目の前を横切る度に、「全く興醒めだ」と口を衝いて出そうでした。しかし、それも詮無いことなので、雨の後の早朝の潤いのある空気の中、足の向くまま散歩出来たことを良しとしました。帰りの道すがら、どこかから木魚の音が聞こえてきました。朝早くからお勤めとは偉いものだと思って耳を澄ますと、屋根から落ちる水滴が雨どいを叩く音でした。こちらは何ともご愛敬でした。