花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

エリカ様

2011-05-28 10:58:19 | Weblog
 某日の通勤途中、誰かと誰かが話しているのが聞こえてきました。曰く、「沢尻エリカってなかなか離婚しないねぇ」、「すぐにも離婚しそうな感じだったけど、離婚届はまだ出してないんでしょ」 確かに、何日か前の朝の情報番組で、離婚届を出すの出さないのと言っていたような気がします。思うに、エリカ様は自分の商品価値が良くお分かりのようです。「離婚はいつか?」の話題で自分の露出がある間は、きっと届けは出さないと思います。離婚するのは、離婚ネタに賞味期限が来そうになった時、その時に最後っ屁的にするのではないでしょうか。そして、次は「新恋人出現」みたいな話題に乗り換えるのかもしれません。ありがちですが、プライバシーの切り売りで、当面食べていくのでしょう。

みどりの自然観察会

2011-05-23 21:30:00 | 季節/自然
 22日の日曜日は、日比谷公園へ出掛けました。妻が新聞で見つけた『「みどりの自然観察会」in 日比谷公園』に参加するためです。5月22日は国際生物多様性の日で、それに合わせて「NACS-J自然観察指導員東京連絡会(NACOT)」が主催した、身近な自然を観察するイベントです。日比谷公園へは年に何回かは遊びに行っていますが、いつも目にしている風景の中にも、自然観察指導員の方の説明で、興味深い自然の営みがあることを教わりました。例えば、「ツツジの花びらは5枚あるけれども、1枚だけに筋が入っていて、それは虫を誘うためであること」、「アーモンドの木は桜にそっくりであること(同じモモ科だそうです)」、「街路樹に楠が植えられることが増え、それに伴い西日本に多く生息していたアオスジアゲハが東日本に広がってきたこと」、「ミツバチにも日本ミツバチと西洋ミツバチがいて、日本ミツバチは黒っぽく、西洋ミツバチは茶色っぽいこと」、などなどです。注意深く観察すれば都心でも豊かな自然の姿が見られることが分かり、有意義な観察会でした。
 同じ日、同じ日比谷公園では、オクトーバーフェストが開かれていました。オクトーバーフェストは、ミュンヘンで10月に行なわれるお祭りだそうです。5月にオクトーバーとはこれ如何にと思いましたが、デカデカジョッキのナミナミビールを手にした老若男女家族連れ友達同士恋人たち、さまざまな人たちがソーセージを食べながらビールを飲んでいました。私たちも折角だからと言って、ソーセージとジャーマンポテトを買って家族3人で食べました。「ビール飲んだら」と妻が言うので、ビール売り場へ行ってみたところ、400mlで1000円くらいするではありませんか。「ちょっと高いなぁ」と思い躊躇しました。そう言えば、ソーセージは2本で1100円、ジャーマンポテトは4個で600円、全体的に値段が高いような気がします。「お祭りにしては商売気を出し過ぎてるんじゃないか。あたりの賑やかな雰囲気に乗せられて財布の紐を緩めてはならぬ」と、自らを戒めました。挙句、デカデカジョッキのナミナミビールの皆さんに伍するを潔しとせず、独りすね者として、いつもの売店でサッポロ黒ラベルを買って飲みました。

ニュートンの林檎

2011-05-17 23:26:24 | 季節/自然
 日曜日、子どもの提案で小石川植物園へ行くことになりました。園内の日本庭園にシートを広げて、子どもは写生を始めました。その横で、私は久しぶりに開高健の「流亡記」を読み返しました。「流亡記」は始皇帝の時代の話です。黄土を水でこねた後、型に入れて乾かして作る日干し煉瓦で町を囲む壁を築き、その壁の中の日干し煉瓦で作られた家に住むある雑貨商の男が、ある日突然、何の咎もないのに、囚人として夫役に駆り出されます。男は、いつまでにどれだけの量の仕事をするかのみに関心を払われる、個性を持たない存在となって、匈奴が国境を侵すのを阻む長城の建設のため、ひたすら日干し煉瓦を作って、そして積んでいきます。行間からあたかも黄色い土埃がたちこめているかのように感じながら本を読み進めていると、腕のあたりがムズムズするのに気がつきました。見ると、レモン色をもう少し薄くしたような色の小さい虫が何匹も動いていました。それは黄砂ならぬ油虫で、おそらく風に乗って植物園のどこかから飛んできたのでしょう。子どもが写生を終えるまでは、その場所を離れられないので、しばし油虫の降砂と戦いながら「流亡記」を読み続けました。黄土にまみれながら、いわれのない苦役を強いられる男の話を読んでいる間に、子どもは鮮やかな新緑と色とりどりの草花の世界を画用紙に写し取っていました。子どもが書き終わった後、「さぁ、行こうか」と声を掛けて、油虫がまだついていないか、身体をはたきながら立ち上がりました。園内を散策してから、最後に、この日、子どもが「植物園に行きたい」と言った目的である、ニュートンの林檎の木を見に行きました。この木は、ニュートンが万有引力を発見するきっかけとなった林檎の木の枝を接ぎ木したものです。林檎の形とはまだほど遠い、いちじくにちょっと似た草緑色の小さく固そうな実が付いていて、その間にいくつか白い花が咲いていました。何で読んだのか、子どもが「ニュートンの林檎は美味しくないんだよね」と言い、「そりゃ、津軽とかジョナゴールドとは種類が違うだろうからね」と話しながら、家へ帰りました。

東一の生酒

2011-05-07 09:52:19 | Weblog
 G.Wのある日、タケノコご飯を食べながら日本酒を飲みました。銘柄は五町田酒造の東一・生酒です。ひと口で言うなら、「しっかりとしたお米の存在感があるお酒」でした。普通、飲み口の良いお酒は、お米の存在感を薄くする傾向にあります。「ワインのような」と形容されるお酒などは、まさしくそうです。一方、お米の存在感が充分ありそうなお酒でも、杯を重ねるうちに口の中に甘みが残り、だんだんくどくなってくるものもあります。しかしながら、この東一の生酒は、飲み続けてもくどくはならず、それでいて「依然としてお米の存在感は変わらず」でありました。
 このような実直で美味しい日本酒は、正々堂々と飲みたいものです。我が家でお酒を飲むのは私ひとりなので、ややもすると日陰者の悲哀を感じつつ、こっそりとお酒を飲むことがあります。冷蔵庫で冷さないとなかなか飲めない安いワインなんかで、何度も席を立ち、冷蔵庫の扉を開けてグラスにワインを注いでいると、「何杯目?」とか「飲みすぎよぉ」といった声が飛んできて、申し訳なさげに、「これで最後」と答えて、小さくなっています。でも、この日は、東一のボトルをどんと置いて、さも当然といった素振りで杯を干したり、「どうだい、芳醇な香りだろ?」と家族にお酒の匂いをかがせたりしました。家族も、私が堂々と飲んでいるせいか、いつもの「飲みすぎ」の言葉は出ず、「そうね、いい香りねぇ」なんて言っています。
 さて、若山牧水の歌に、「妻が眼を盗みて飲める酒なれば 惶(あわ)て飲み噎(む)せ鼻ゆこぼしつ」というのがあります。最初、この歌を目にした時、身につまされるというか、同情を禁じえないというか、でもどこか滑稽であるとか、そんな風に感じたものです。今にして思えば、牧水翁も安酒を飲んでいたのかもしれないなという気がしてきます。東一なら妻の眼を盗んで飲まなかったかもしれません。もっとも、牧水の奥さんは、牧水があまりに大酒飲みだったので、身体を気づかって飲みすぎをたしなめていたのでしょう。そうであれば、"適度に飲む"東一なら妻の眼を盗んで飲まなかったかもしれない、と言い換える方が良さそうです。