イギリス経験主義の祖と言われる哲学者フランシス・ベーコンは、「知は力なり」という有名な言葉を残しました。経験的知識の蓄積の重要性を述べたものです。知識に基づく合理性、計画性を軽視する「当たって砕けろ」的な行為よりも、知識を積み重ねて不確実性を出来るだけ排除した行為の方が、意図した結果に至る可能性が高いことは、誰の目にも明らかです。ベーコンに異を唱える人はいないでしょう。
しかし、それ一辺倒では足をすくわれることになりかねないように思います。知識を得るとは、あるモノやコトの性質や働きを知ることです。その時、知るは自分で、モノやコトは自分の外部のものとして対象化されます。もし、この態度のみで突っ走ってしまったら、人間とモノやコトとの関係は一方通行の隘路に行き詰まってしまいそうです。
「知は力なり」の「力」がモノやコトに及ぶ際、「力」による作用のことは考えても、モノやコトからの反作用が意識の外に置かれる恐れがあります。その結果、知らず知らず自分を優位的なものとし、モノやコトは単なる操作の対象とみなすことにつながってしまいます。そこからは、共生や共存の考えは生まれにくくなります。
今、世界的、地球的に環境破壊が問題となっています。これはモノやコトを操作の対象と見ることに偏りすぎた結果のように思えます。一方通行的な視点に陥ってないかを反省するとともに、「知は力なり」に再帰的な見方をも加えていくことが求められていると感じます。
しかし、それ一辺倒では足をすくわれることになりかねないように
「知は力なり」の「力」がモノやコトに及ぶ際、「力」による作用
今、世界的、地球的に環境破壊が問題となっています。これはモノ