花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

エントリーシート

2010-03-19 22:37:24 | Weblog
 就職試験を受けるにあたって、昔は履歴書や志望理由書みたいなものを企業に提出していたように思いますが、今では自己PRや志望動機を書いたエントリーシート(ES)と呼ばれる書類を提出するのが一般的になっているようです。先日、2011年度入社希望者のエントリーシートを読む機会がありました。就職難の表れでしょう、びっしりと自己PRが書き込まれた、気合いの入ったESが多く、こちらも真剣に読んでいったので、最後はやや疲れる程でした。何枚もESを読んでいて気がついたのは、書き方に流行らしきものがあることです。自由記入欄に人間の絵を描いて、頭の部分に吹き出しを入れて、「知性44% 大学ではマーケティングを勉強し、TOEICはxxx点」、胸のあたりのハートマークの吹き出しには、「フレンドリーな性格35% 誰とでもすぐにうち解けて話せます」、みたいな感じで、成分分析に見立てて自己紹介するスタイルが複数のESで見られました。これは偶然の一致ではないのでしょう。おそらく、何か就活本みたいなものに、例として書いてあったのかもしれません。文章と違って、ビジュアルな表現で似ているものがいくつかあると、「パクってる」感が強く印象付けられます。人の絵が出てきた時点で、「ほら来た」 と思ってしまいます。もし、ESで人の絵を使おうと考えている方がいらっしゃれば、気をつけた方が良いかと思います 。

思いつきでものを言う

2010-03-15 23:28:00 | Book
 「上司は思いつきでものを言う」といったような新書の広告を、いつだったか新聞で見た記憶があります。その時は、「そのまんまだなぁ」とか、「タイトル先行の傾向にある、新書にありがちだなぁ」などと思った気がします。以前、目にした書籍広告を今頃になって思い出したのは、D・ハルバースタムの「ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争」(文芸春秋社刊)に描かれているマッカーサー将軍が、まさしく「思いつきでものを言う」タイプの司令官、もっと言えば夢想する司令官だったからです。仁川上陸作戦のようにマッカーサーの思いつきがひらめきとなった幸運な例もありますが、思いつきの結果失った、あまたの命は悲劇や喜劇を通り越しています。この本の中には、偉大なるマッカーサーの思いつきに現実を合わせるため、無謀な作戦を強行したり、偽りの報告をする部下が次々と現われてきます。おそらく、思いつきでものを言う人がいるということは、しかも偉い人が言うとなれば、それが思いつきではなく、あたかも素晴らしい洞察力の賜物であるかのように、一生懸命糊塗している人たちがいるのでしょう。そのため、思いつきでものを言う人は、反省する契機を与えられないまま、ますます増長することになります。同じ「ザ・コールデスト・ウィンター」には、中国の毛沢東についてのエピソードが挿まれています。毛沢東による「大躍進運動」は大失政で、数千万の餓死者を出しているにも関わらず、極めて稀な上手くいっている事例のみ報告として上がり、政策の転換を具申する側近はひとりも出てきません。唯一、農村の現状を見てくださいと言った、朝鮮戦争の英雄である彭徳懐は、毛沢東の不興を買い、ついには紅衛兵に撲殺されてしまいます。
 上司が思いつきでものを言うことは、ものを言う人の偉さ加減、影響の及ぶ範囲の如何、それは大から小まで程度はさまざまでしょうが、ハルバースタムの本のみならず、これからも繰り返されていくことと思います。自分が言う方に回らないよう気をつけることはもちろん、一方で言われる側になった時にどうするかは、とても悩ましい問題です。相手が権力を持った人であれば、個人のレベルでプロテストするのは難しいことです。であれば、そういったシチュエーションを作らないことが大事になります。私たちの身近な局面はさておくとして、少なくとも「ザ・コールデスト・ウィンター」は次のことを示唆してくれます。軍隊に対する文民統制は絶対に必要である、と。

日本中が固唾をのんだ日

2010-03-01 23:31:33 | Sports
 バンクーバー冬季五輪が閉幕しました。バンクーバー大会で一番の注目競技は、もちろん女子フィギュアだったでしょう。先週の金曜日は、日本中が固唾をのんでテレビを見守ったことと思います。私は同僚たちと一緒に職場のテレビを見ていました。浅田真央選手の前がキム・ヨナ選手でしたが、キム・ヨナ選手がジャンプをした時、誰かが「転べ」と声を発しました。この声を聞いて、私はある意味ほっとしました。と言うのも、思わず声を出した人は、キム・ヨナ選手が浅田選手よりも金メダルに近いと思っているので、キム・ヨナ選手のミスを期待したわけで、浅田選手が金メダルを獲って当然とは考えていないことになるからです。つまり、キム・ヨナ選手の力を十分認めたうえで、浅田真央選手がキム・ヨナ選手に勝つためには、相手のミスによるしかないと考えていることになります。そこで、私がほっとしたのは、もし金メダルを獲って当然と考えられていれば、獲れなかった時のバッシングが予想されますが、そうでなければ、金メダル以外であっても祝福は得られるだろうと思ったからです。その意味では、浅田選手より先に私の方がメダルの重圧から解き放たれたと言えるでしょう。
 結果は、キム・ヨナ選手が金メダル、浅田真央選手は銀メダルでした。職場でテレビを見ていた一群から、「あーあ」との声は聞かれましたが、浅田選手を非難する人は居ませんでした。競技終了後のインタビューで、浅田選手は、「長くて短い4分間」と言っていました。浅田選手の気持ちがよく表れている一言だと思います。この4年間のプレッシャーが如何ほどであったかを思えば、本当に「長くて短い4分間」だったのでしょう。女子フィギュアが終わって、テレビの前を離れ何事もなかったかのように机に戻り、いつもと変わらず仕事をしている同僚たちを見て、やはりまたほっとしました。その夜はたまたま遅くまで会社に残って仕事をしていて、何となく残っていた仲間と軽くウィスキーを飲みに行くことになりました。お店に入って、他のグループが女子フィギュアについて話しているかどうか、ちょっと気になりましたが、落胆のようすで女子フィギュアの話をしている人は見受けられませんでした。
 「銅メダルで大騒ぎするなんて、おかしな国だ」とか、「国家を背負わない者が、いい成績を出せるはずがない」と発言されたどこかの首長がいらっしゃるようですが、私にはメダルを国威発揚の手段とする必要のない国は素晴らしいと思います。たとえ金メダルは獲れなくても、頑張った選手の姿が私たちに何かを伝えてくれれば、それで良いと思います。メダルの数が多いのは誇らしいことだと思いますが、一方で、「次は頑張ろう!」との思いを胸に帰国する選手の多い国も誇りに思って良いのではないかと思います。