このところ朝日新聞朝刊には、いじめについて各界の識者から寄せられたメッセージが掲載されています。7月28日(土)は先に直木賞を受賞した辻村深月さんから「いじめられている君」に対する、「夢中になれる何かを見つけて」との呼び掛けでした。辻村さんは言います。「大好きで夢中になれる『何か』を見つけてほしい。それはきっと、海に投げ出された時にしがみつけるブイのように、つらい現実に溺れそうな自分を救ってくれる。」自身、友達付き合いが苦手だった辻村さんは、フィクションの世界にのめり込むことで、現実とは別の自分だけのもうひとつの世界に楽しみを見いだしていたそうです。辻村さんはこうも言います。「アイドルでも、スポーツでも、何でもいい。つらい状況に追い込まれる前に、夢中になれるものを見つけて、自分の心を豊かに強く、保ってほしい。」辻村さんのメッセージは、「いじめられている君」だけではなく、「いじめている君」へのメッセージでもあると思います。夢中になれるものがある人は、人をいじめている暇はないからです。何かに一生懸命になっている時、つまらないことに時間を使うのは、ひどくもったいなく感じます。「小人閑居して不善を為す」とはよく言ったものです。凄いことじゃなくても構いません。心の拠り所となる、夢中になれるものを持つよう子どもたちを導いていけば、それはいじめっ子もいじめられっ子も作らないことにつながると思います。
最後に付け加えますが、セネカは酒飲みが喜びそうなこんなことも言っています。「少しは羽目をはずして飲酒したりすることも活力を与えてくれるであろう。時として酩酊するまで深酒するのもよいが、溺れるほどではなく、浸かる程度にとどめなければならない。酒は憂いを払い、心底から心を動かして、ある種の病を癒すように、悲哀の情をも癒してくれる。」セネカは哲学史の中ではストア派と呼ばれ、ストア派すなわちストイック、ストイックと言えば禁欲をモットーとする石部金吉だと思っていましたが、なかなか話の分かりそうな賢人のようです。要は浸かる程度にとどめれば良いのです。(おしまい)
古代ローマの賢人の言葉を自分に都合良く解釈し、健康診断を前にしてそわそわしなようにするため導き出した答えが「血液検査を受けない」でした。これまで問診の場で医者から「血液検査はどうしますか?」と聞かれ、「尿酸値が気になるのでお願いします」と答えていたのを、「いえ結構です」と答えれば、健康診断の結果が返ってくるのも何ら怖くありません。知らぬが仏です。結果が怖くなければ、余計な準備も要りません。セネカの言葉に導かれて、いいところに気がついたと思って、健康診断までの日々を悠々と過ごしました。
そして迎えた健康診断。受診票を見ると、なんと血液検査が必須受診項目に入っているではありませんか。選択科目と思っていたのが必修科目と知り「ゲゲッ」と思いましたが、もはやどうしようもありませんでした。30分後には左腕に血止めの絆創膏が貼られていました。しかしながら、この脳天気さが良かったのか、尿酸値は「ちょい高」程度で、私らしいと言えば私らしいのですが、悪くもないけど良くもないという結果でした。とりあえず、今年度前半戦の健康診断をどうにかやり過ごすことが出来ました。(つづく)
そして迎えた健康診断。受診票を見ると、なんと血液検査が必須受診項目に入っているではありませんか。選択科目と思っていたのが必修科目と知り「ゲゲッ」と思いましたが、もはやどうしようもありませんでした。30分後には左腕に血止めの絆創膏が貼られていました。しかしながら、この脳天気さが良かったのか、尿酸値は「ちょい高」程度で、私らしいと言えば私らしいのですが、悪くもないけど良くもないという結果でした。とりあえず、今年度前半戦の健康診断をどうにかやり過ごすことが出来ました。(つづく)
セネカの「心の平静について」を読んだのは、尿酸値を下げるためにまず心の平静を保とうなどと思った訳ではなく、たまには古典でも読んでみようかと思って、通勤電車で読んでいただけでしたが、中にはその時の私をいたわる次のような言葉がありました。
セネカ「できないことを達成したいと望むことも、大いに汗水流して達成したあとになって願望の虚しさを悟るようなこともあってはならないということ、つまり、労苦が結果をともなわない徒労に終わることも、結果が労苦にふさわしくないこともいけないという戒めである。事が成就しなかったり、たとえ成就してもそれを恥じたりする場合、悲哀が生まれるからだ。」
私「尿酸値を下げようと考えること自体がいけないのだ。尿酸値が下がらなくてがっかりするのも、尿酸値を下げるために美味しいビールを我慢するのも、どちらも悲哀を生むことになるだろう。」
セネカ「われわれは心を柔軟にし、予定したことに過度に執着し過ぎないようにもしなければならず、偶然の出来事がわれわれを導いた状況に順応し、静謐さの最大の敵である軽薄さが、取って代わって、われわれを支配しないかぎりは、計画や境遇の変化を恐れないようにもしなければならない。」
私「その場限りのせせこましい節制など軽薄さの極みだ。なるようになれと思って、状況に粛々と順応しよう。」(つづく)
セネカ「できないことを達成したいと望むことも、大いに汗水流して達成したあとになって願望の虚しさを悟るようなこともあってはならないということ、つまり、労苦が結果をともなわない徒労に終わることも、結果が労苦にふさわしくないこともいけないという戒めである。事が成就しなかったり、たとえ成就してもそれを恥じたりする場合、悲哀が生まれるからだ。」
私「尿酸値を下げようと考えること自体がいけないのだ。尿酸値が下がらなくてがっかりするのも、尿酸値を下げるために美味しいビールを我慢するのも、どちらも悲哀を生むことになるだろう。」
セネカ「われわれは心を柔軟にし、予定したことに過度に執着し過ぎないようにもしなければならず、偶然の出来事がわれわれを導いた状況に順応し、静謐さの最大の敵である軽薄さが、取って代わって、われわれを支配しないかぎりは、計画や境遇の変化を恐れないようにもしなければならない。」
私「その場限りのせせこましい節制など軽薄さの極みだ。なるようになれと思って、状況に粛々と順応しよう。」(つづく)
いつも健康診断が近づくと何となく落ち着かなくなります。尿酸値が高いので、血液検査の結果が気になるからです。これまで、尿酸値を下げる効果があると聞いてアメリカンチェリーを食べたり、「やっぱりプリン体の摂取は控えなきゃ」とビールを我慢したり、その都度付け焼き刃でせこい抵抗を試みてきたものです。今年もちょっと前に健康診断があり、いつものごとく何か手を打たなければと焦っていました。そんな時にたまたま読んでいたのがセネカの「心の平静について」(岩波文庫「生の短さについて」所収)でした。(つづく)