花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

現代社会はどこに向かうか

2014-02-17 21:22:25 | Book
 先々週の土曜日、東京は20年ぶりの大雪でした。その日の朝、私は飛行機の中で一冊の本、ページ数にして60ページ足らずなので正しくはブックレットを読んでいました。著者は見田宗介さん、タイトルは「現代社会はどこに向かうか」(弦書房刊)です。このブックレットの要旨を箇条書き風にまとめると次のようになるでしょうか。
1.ロジスティック曲線を描いて近代に経済活動は飛躍的に拡大した
2.やがて生産力が消費力を上回るようになったが、情報により付加価値をつけることで、消費力の限界を大きく引き上げることになった
3.情報が占めるウェイトが増すに従ってだんだんバーチャルな世の中になってきた
4.バーチャルな世の中になりリアリティが失われてくると、逆に人々はリアリティを求めるようになった
5.地球の有限性によりロジスティック曲線が定常局面に入る中、リアリティをどう摑まえていくかが問われる

 この「現代社会はどこに向かうか」は福岡ユネスコ協会で行った講演を文章化したもので、具体的な事例と論理的な分析がかみ合って非常に分かりやすい内容になっています。ただ、惜しむらくは、「現代社会はどこから来たのか」の説明が主で、タイトルの「現代社会はどこに向かうか」にある「どこに向かうか」の部分が薄いと思いました。けれども、それはこのブックレットを読んだ個々人が考えるべきことなのでしょう。
 「現代社会はどこに向かうか」を読み終わった頃、飛行機は降下を始めました。飛行場へ着陸した時はまだ雪が舞う程度でしたが、それから見る間に降り方が激しくなり、程なく欠航が相次いだようです。中身のある文章が読めたこと、飛行機が予定通り到着したこと、私にとってはふたつの意味でラッキーな土曜日でした。

但馬路

2014-02-09 09:55:22 | Weblog
 天橋立から再び北近畿タンゴ鉄道に乗り込みました。今度はハクレイ酒造のワンカップをいくつか買って、空を舞う雪を見ながらの雪見酒となりました。終点の豊岡で降り、JR山陰線で城崎温泉に着いたのが午後3時少し前でした。円山川の支流の両側に切れ目なく並ぶ旅館やお店や、柳並木を行き交う人々はこの名湯の活気を示しています。志賀直哉が逗留したことで知られる老舗旅館の三木屋はいかにも由緒ありげな雰囲気がありました。温泉に浸った後、こんな旅館の和室に寝ころび、手枕でもしながら盃を傾けられたらさぞ極楽だろうと思いました。そんなお金も時間もないので代わりに外湯に入ることにしました。七つある外湯の中から「一の湯」を選びました。入った湯船は違えども源泉は一緒だろうから、浸かったお湯は志賀直哉と同じだと自分に言い聞かせました。風呂上がり、和の雰囲気漂う城崎温泉街にありながら都会のカフェ風の装いのお店に入って、但馬牛のステーキをつまみにビールを2杯とワインを少し飲みました。午後6時過ぎの特急こうのとりに乗って大阪まで約3時間、城崎で買った香住鶴は冷やでも燗でも美味しそうなバランスの取れた味わい。大阪に着いた頃はすっかり酔いが回り、最終の新幹線の車中では気持ちよく寝られました。

丹後路

2014-02-08 13:17:05 | Weblog
 列車の速度が明らかに落ち、「線路が山間に入ったな」と思いました。大阪のキタで開かれた飲み会に参加したついでに、翌日はそれまで行ったことのなかった北近畿を回ることにしました。先ずは大阪駅から特急こうのとりに乗って福知山へ向かいました。三田を過ぎてしばらく経ったあたりから目に見えて列車はスピードを落とし、車窓に目をやると山と山に挟まれて流れる川の右岸(流れる方向に向かって右側)に沿ってこうのとりは進んでいました。空はどんよりと曇り、時々雨も降っているのでしょうか、窓にはいくつかの水滴がついていました。福知山で北近畿タンゴ鉄道に乗り換えて天橋立で降りました。
 リフトで飛龍観展望所へ上がり、有名な股のぞきで天橋立を観ましたが、いつの間にかみぞれ交じりの雨となり雲は低く垂れこめ、空の青と水の青の区別がつかなくなる股のぞきならではの景観とはいきませんでした。かじかむ指先をもみながら下りのリフトに乗り、次は日本三文殊のひとつに数えられる智恩寺へ行きました。「三人そろえば文殊の知恵」の「文殊」を祀るこのお寺は、もちろん学業向上の功徳があります。向上の望みのない私よりまだしも子どもの方に伸び代はあるだろうと、賽銭を入れて子どものために手を合せました。ついでに智恩寺の横にある知恵の輪灯籠をぐるっと回りました。身体がすっかり冷えたのでちょいと燃料を補給しようと思い、お昼ごはんに海鮮丼と焼き蟹、そして熱燗を頼みました。昨日のお酒が残っていて列車の中ではお酒を控えていましたが、この頃にはいくらか持ち直していたので、お酒が心地よく胃の腑に浸みわたり、いい感じに温まってきたところで、城崎温泉への列車に乗るため駅へ歩いていきました。

浄瑠璃寺

2014-02-02 10:15:21 | Weblog
 秋篠寺へ行った同じ日、バスで京都府木津川市当尾(とうの)地区にある浄瑠璃寺へ行きました。秋篠寺が比較的町中(近くに競輪場も)にあったのとは対照的に浄瑠璃寺は里山的趣の中にありました。和辻哲郎は「古寺巡礼」の中で当尾の里のことを、「村がある、小山がある。こんな山の上にあるだろうとは思いがけない、いかにも長閑な農村の光景である」と言っていますが、確かにバスでやって来る途中の風景、バスを降りてからの参道、いずれも心和ませる長閑な印象を与えるものでした。
 浄瑠璃寺には九体の阿弥陀如来像を収めた本堂、池をはさんだ反対側で本堂をやや見下ろす一段高いところにある三重塔には薬師如来が安置されています。西に位置する本堂の阿弥陀如来は西方極楽浄土を表し、薬師如来は東方浄瑠璃浄土の意味が込められています。本堂=阿弥陀如来、中央の池、三重塔=薬師如来、この3つの取り合わせの妙が彼岸的な安らぎ感を生み出しているのが浄瑠璃寺の魅力なのですが、あいにく池は工事中で水をだいぶ抜かれており、そこに土嚢が積み上げられたさまは、期待していた浄土を模した庭園のたたずまいを感じさせるものではありませんでした。けれどもそれはそれで仕方がないので、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を思い出しながらイメージで補うことにしました。堀辰雄は馬酔木の見事さを書き留めています。寺を案内してくれた娘さんが「あこの菖蒲の咲くころもよろしいおまっせ。それからまた、夏になるとなあ、あこの睡蓮が、それはそれは綺麗な花をさかせまっせ」と説明しているくだりもあり、花に彩られた季節に訪れたらどんなに風情があったことでしょう。
 浄瑠璃寺は吉祥天女像で知られたお寺でもあります。写真家・土門拳が、「眼目広長にして顔貌静寂。小さな唇は見るものに忘れがたい魅力を与える。仏像のうちでは、おそらく日本一の美人であろう」と絶賛した吉祥天女像のご開帳は1月15日で終わっていました。扉を閉ざした厨子を眺めていると、ふと「本当に中に入っているのかい」と声を掛けたくなりました。いろいろと未練を残した浄瑠璃寺へ再訪の機会があることを願いつつ、長閑な参道を引き返しました。本当はここから小一時間ほど歩いたところにある岩船寺の三重塔も観たかったのですが、6時半から大阪で飲み会があるのでそれも果たせませんでした。

伎芸天

2014-02-01 15:11:14 | Weblog
 1月最後の土曜日、奈良の秋篠寺に着いたのは昼過ぎでした。秋篠寺と言えば有名なのは伎芸天、もちろん伎芸天を観るのが目的だったのですが、そのためだけに関西へやってきたわけではありませんでした。先ずもって大阪で開かれる飲み会への参加があり、折角大阪へ行くのだからお寺のひとつふたつに立ち寄ってみたいと思った次第です。焼失した金堂の跡地は苔にすっかり覆われ、冬の弱い日差しの中でも鮮やかな、けれども落ち着いた緑で迎えてくれました。本堂を一回りした後、左側にある入口から中へ入りました。有名な仏像は奥まったところでさも有難げに鎮座ましましているとのイメージがあったのですが、伎芸天は入ってすぐのところにあり、心の準備が出来ていなかった私は思わず目をそらして、そして呼吸を整えてから伎芸天と相対しました。伎芸天とのファースト・コンタクトは予想外だったものの、伎芸天の優美な姿は想像通りでした。肘のところから折り曲げてやや前上方へ向けられた右腕は指の先まですっきりとしており、方や垂らし気味の左腕は肩のあたりから心もち前へ出された様子で、わずかに左に傾げられた顔と相まって堀辰雄が「ミュウズ」と称したような艶めかしさをまとっていました。伎芸天の前に一本のろうそくが灯されていて、その光に映し出されたシルエットも艶やかなラインを示して向かって右後方で伎芸天に寄り添っていました。伎芸天は歌舞音曲の神、個別のある職能を代表する優しげな仏像を観て、国を護ったり他を威圧する役目を課せられた仏教とは役割が変わってきた時代の仏像であることを感じました。

追伸 秋篠寺の十二神将の一体に横綱白鵬によく似たものがありました。