花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

「陰翳礼讃」を思い出した大阪出張(下)

2014-10-11 13:28:44 | Weblog
 仕事が終わった後、新大阪駅で新幹線を待つ間に駅弁を見ていたら、いろんなお弁当の中に柿の葉鮨が並んでいるのが目に留まり、「陰翳礼讃」に柿の葉鮨のことが書いてあるのを思い出しました。その美味しさについては、「鮭の脂と塩気とがいい塩梅に飯に浸み込んで、鮭はかえって生身のように柔らかくなっている工合が何ともいえない。東京の握り鮨とは格別な味で、私などにはこの方が口に合う」、と絶賛しています。家に持って帰れば、家族もひとつやふたつは食べるだろうと、ひと折求めて新幹線に乗り込みました。家に着いた時、子どもは食事が済んでいましたが、鮭の柿の葉鮨を美味しいと頬張りました。私は鯖と鯛のお鮨を前にして、いそいそと日本酒の口を切りました。折しも、この夜は皆既月食でした。お鮨を食べる手を止めてベランダへ出て空を見上げると、赤茶けた月が細い眉のように弓なっていました。白く明るい月から赤茶けたかすかな光へ、これぞ陰翳際立つ天空のショーだなと思いました。柿の葉鮨で終わったと思っていた「陰翳礼讃」でしたが、最後の最後、翳が醸し出す幽なる美での締め括りとなりました。

「陰翳礼讃」を思い出した大阪出張(上)

2014-10-10 21:29:22 | Weblog
 先日、仕事のため大阪へ出掛けました。仕事は午後からだったので、曽根崎にあるお初天神に近いお蕎麦屋さんの「瓢亭(ひょうてい)」でお昼を食べることにしました。お初天神を抜けて、細い路地に入ったところにお店はあります。表通りの賑わいとは一転して、路地は静かです。お店の中は薄暗く、最初に戸を開けた時は様子が良く分からず、ほんの一瞬「営業しているのかな」と思いましたが、目が慣れると大勢のお客さんの姿が認められました。ここは蕎麦に柚子を練りこんだ夕霧蕎麦が有名で、もちろんそれを注文しました。蒸籠に盛られて出てきたお蕎麦は白っぽく、暗がりの中でいよいよ深く黒く見える蕎麦つゆとは対照的です。お蕎麦を食べながら、ふと、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」のことが思い出されました。薄暗い室内での食事についてのくだりです。「その外醤油などにしても、上方では刺身や漬物やおひたしには濃い口の『たまり』を使うが、あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み、闇と調和することか。また白味噌や、豆腐や、蒲鉾や、とろろ汁や、白身の刺身や、ああいう白い肌のものも、周囲を明るくしたのでは色が引き立たない。第一飯にしてからが、ぴかぴか光る黒塗りの飯櫃に入れられて、暗い所に置かれている方が、見ても美しく、食慾を刺激する。あの、炊きたての真っ白な飯が、ぱっと蓋を取った下から煖かそうな湯気を吐きながら黒い器に盛り上がって、一と粒一と粒真珠のようにかがやいているのを見る時、日本人なら誰しも米の飯の有難さを感じるであろう。かく考えて来ると、われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇というものと切っても切れない関係にあることを知るのである。」この文章にお蕎麦は出てこないのでシチュエーションは違いますが、これを思い出して、いよいよますます、お蕎麦のほのかな柚子風味は上品に感じられ、モチモチ感の強いお蕎麦が、生卵が溶かれたおつゆと絡まって口の中でツルっとする食感は、心地よく感じられました。久しぶりに足を運んで良かったなぁ、と思いました。また、これから仕事でなければ、お銚子のひとつでも頼んだものを、と残念に思いました。

ゾロゾロ数

2014-10-02 22:16:06 | Weblog
 妻から「読んでみたら」と、「博士の愛した数式」を薦められました。随分前にベストセラーになり、映画化もされた小川洋子さんの代表作です。読み始めたばかりですが、数学にまつわるトピックスを紹介しながら話は進んでいきます。例えば、博士の身の回りの世話をしている家政婦の電話番号を聞いて、それは1億までの素数の個数であるとか、ある数の約数(自分を除く)を全部足してその数自身になる数を完全数と言い、それより大きい数は過剰数、少ない数は不足数とか、蘊蓄が披露されます。朝、子どもに「1から10まで全部足すと?」と聞いたら、子どもは既に知っているので「55」と即答。「じゃぁ、1から11までは?」には、「66」と答えました。「サイコロで同じ数字が並ぶことをゾロ目と言い、10と11は1から全部足した時に、55、66とゾロ目が続くから、この2つの数字をゾロゾロ数と言うんだ」と、さも小説に出てくる博士であるかのように口から出まかせを話しました。子どもは感心するでもなく、「今日はバスケットボールの練習をするから、いつもより早く学校に行くね」と、さっと家を飛び出して行ってしまいました。