自分たちに不都合なことはなかったことにしようとする安倍政権の姿勢に対する識者のインタビュー記事が、本日の毎日新聞朝刊に掲載されていました。その中の一つを書き写してみます。
「下流」層を取り込む自民 白井聡・京都精華大専任講師
「金融庁の報告書はもうない」などと事実をもみ消す現政権の言動の背景には、民主主義を成り立たす大前提の崩壊がある。国民全体が政治と社会の知識を広く得ている、せめて得ようとしているという前提の崩壊を、現政権は徹底活用している。
新聞も野党も政権の論理矛盾や隠蔽体質を批判している。だが、麻生太郎財務相いわく「新聞読まない人は全部自民党支持だ」。批判が効果を発揮しないのは、自民党が論理整合性に関心を払わない有権者層を主たる「顧客」として取り込んでいるからだ。野党が同じ土俵で「顧客」獲得に励んでも勝利は望めない。資金力で勝負にならないからだ。
小泉純一郎政権(2001~06年)時代、広告代理店が政府に提出した広報戦略資料が話題になった。政権の支持基盤である「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する」主婦や若者、高齢者を「B層」と名付け、彼らに「分かりやすい」宣伝を提案していた。
同時期にマーケティングアナリストの三浦展氏は、低い所得だけでなく、意欲に欠ける生活習慣や思考様式を共有する階層「下流」の出現を説いていた。
「B層」は「下流」の言い換えともいえよう。小泉政権向けの広報戦略資料が暗示したのは、政権が新たな格差の拡大を防ぐのではなく、利用し尽そうという意志ではなかっただろうか。
これは、自民党の自己否定ともいえる。自民党は、少なくとも建前では、あらゆる社会階層の利益を調和的に実現する国民政党を標ぼうしていた。その自民党が特定の階級・階層に依拠する党への変質を宣言したに等しい。しかも、その階層の利害を代表せず、単に支持基盤として利用するのだ、と。
先日、若い女性を主要購読層とするファッション誌「ViVi」の広告企画が批判された。同誌のモデルに「権利平等」「文化共生」といった主張を語らせた自民党の広告だ。これらの主張が、自民党議員の多くや中核的な支持層の価値観とかけ離れていることは、簡単に分かる。だが、まさにこれが分からない(と思われる)層を対象に、自民党は広告を打った。消費社会に生まれ育ち、政治の知識に乏しい人々の感情をふんわり肯定し、決して内実を知らしめず、ただ好印象を抱かせる戦略だ。
自民党は「ViVi」以外でも、イラストレーターに安倍晋三首相を侍として描かせるなど、政策を直接語らない、特に若者向け広告を次々と仕掛けている。若年層全体を「B層」扱いして、「これからの日本の主役は総じてバカでいい」との前提に立っている。この前提でどんな未来を描くつもりか。
ただ、「B層」扱いされている有権者も市井の人々である。生活を見返せば、山積する問題は明らかだ。なぜ「好景気」なのに生活が苦しいのか、なぜ子どもを産み育てる余裕がないのか・・・。今の年金問題も、人々がふんわりとした政治宣伝の洪水から頭を上げ、眠っていた怒りを沸き立たせるきっかけにはなりうる。いずれにせよ、怒りが復権しないままでは、この国は滅びるほかないだろう。(記事ここまで)
この記事を読んで、率直なところ怒りの復権に期待しようという気持ちは持てず、じゃあこの国は滅びてしまうんだろうかと、暗くなってしまいました。ただ、民主主義が崩壊してしまうのは嫌なので、少なくとも「B層」扱いされないように、自分の頭でちゃんと考えることを心掛けていくつもりです。そのことで、世の中の大勢から外れようとも、気落ちしたり自棄になったりせず、野党がだらしないなら、「自分が政権与党と対峙することで、ひとり二大政党制を実現してやる」とうそぶく、カラ元気の「夜郎自大」野郎になってやろうと思います。
「下流」層を取り込む自民 白井聡・京都精華大専任講師
「金融庁の報告書はもうない」などと事実をもみ消す現政権の言動の背景には、民主主義を成り立たす大前提の崩壊がある。国民全体が政治と社会の知識を広く得ている、せめて得ようとしているという前提の崩壊を、現政権は徹底活用している。
新聞も野党も政権の論理矛盾や隠蔽体質を批判している。だが、麻生太郎財務相いわく「新聞読まない人は全部自民党支持だ」。批判が効果を発揮しないのは、自民党が論理整合性に関心を払わない有権者層を主たる「顧客」として取り込んでいるからだ。野党が同じ土俵で「顧客」獲得に励んでも勝利は望めない。資金力で勝負にならないからだ。
小泉純一郎政権(2001~06年)時代、広告代理店が政府に提出した広報戦略資料が話題になった。政権の支持基盤である「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する」主婦や若者、高齢者を「B層」と名付け、彼らに「分かりやすい」宣伝を提案していた。
同時期にマーケティングアナリストの三浦展氏は、低い所得だけでなく、意欲に欠ける生活習慣や思考様式を共有する階層「下流」の出現を説いていた。
「B層」は「下流」の言い換えともいえよう。小泉政権向けの広報戦略資料が暗示したのは、政権が新たな格差の拡大を防ぐのではなく、利用し尽そうという意志ではなかっただろうか。
これは、自民党の自己否定ともいえる。自民党は、少なくとも建前では、あらゆる社会階層の利益を調和的に実現する国民政党を標ぼうしていた。その自民党が特定の階級・階層に依拠する党への変質を宣言したに等しい。しかも、その階層の利害を代表せず、単に支持基盤として利用するのだ、と。
先日、若い女性を主要購読層とするファッション誌「ViVi」の広告企画が批判された。同誌のモデルに「権利平等」「文化共生」といった主張を語らせた自民党の広告だ。これらの主張が、自民党議員の多くや中核的な支持層の価値観とかけ離れていることは、簡単に分かる。だが、まさにこれが分からない(と思われる)層を対象に、自民党は広告を打った。消費社会に生まれ育ち、政治の知識に乏しい人々の感情をふんわり肯定し、決して内実を知らしめず、ただ好印象を抱かせる戦略だ。
自民党は「ViVi」以外でも、イラストレーターに安倍晋三首相を侍として描かせるなど、政策を直接語らない、特に若者向け広告を次々と仕掛けている。若年層全体を「B層」扱いして、「これからの日本の主役は総じてバカでいい」との前提に立っている。この前提でどんな未来を描くつもりか。
ただ、「B層」扱いされている有権者も市井の人々である。生活を見返せば、山積する問題は明らかだ。なぜ「好景気」なのに生活が苦しいのか、なぜ子どもを産み育てる余裕がないのか・・・。今の年金問題も、人々がふんわりとした政治宣伝の洪水から頭を上げ、眠っていた怒りを沸き立たせるきっかけにはなりうる。いずれにせよ、怒りが復権しないままでは、この国は滅びるほかないだろう。(記事ここまで)
この記事を読んで、率直なところ怒りの復権に期待しようという気持ちは持てず、じゃあこの国は滅びてしまうんだろうかと、暗くなってしまいました。ただ、民主主義が崩壊してしまうのは嫌なので、少なくとも「B層」扱いされないように、自分の頭でちゃんと考えることを心掛けていくつもりです。そのことで、世の中の大勢から外れようとも、気落ちしたり自棄になったりせず、野党がだらしないなら、「自分が政権与党と対峙することで、ひとり二大政党制を実現してやる」とうそぶく、カラ元気の「夜郎自大」野郎になってやろうと思います。