花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

メッシは本気じゃなかったのか

2018-06-28 23:12:01 | Weblog
 今日の朝日新聞朝刊をめくっていたら、サッカーW杯・ロシア大会のある記事につけられた「やっと 本気のメッシ」の見出しに目が留まりました。「やっと 本気」ということは、その前は本気じゃなかったのか。「メッシほどの大スターが、もっとも注目を集めるワールドカップで本気を出さないなんて・・・」といぶかしく思いながら記事を読みました。すると記事には、「メッシへのパスに執着しすぎた初戦、エースにパスが渡らず孤立した第2戦。3戦連続で布陣と先発を変えたサンパオリ監督はなお、『周囲のサポートがメッシには必要だ』」、と書いてあります。どうやら第1戦、2戦は、メッシが本気を出さなかったわけではなく、チームとしてメッシを生かし切れていなかったことのようです。それならば見出しは、「やっと メッシの本領」の方が合っているのではないかと思いました。
 それからまた数ページめくると、今度はプロ野球の阪神-DeNA戦の記事に「陽川に胸キュン」と見出しがついていました。この見出しに続く記事は、「阪神打線が、うっぷんを晴らすように打ちまくった。立役者は陽川。前夜4打点の26歳が、この日も3本の二塁打を含む4安打3打点。福留も逆転3ランを放ち、『もらったチャンスで何とかしたかった』とうなずいた。連日大当たりの陽川に金本監督は『これぐらいの働きなら』と4番起用の可能性も口にした」、です。普通、「胸キュン」とは異性に心ときめく時に使います。記事を読んで、「金本監督が陽川選手に胸キュンするなんて、ちょっと使い方が違うんじゃないのかな。これは遊びすぎだ」と思いました。
 さて、この日の朝日新聞1面にある「折々のことば」で紹介されていたのは、作家・柴崎友香さんのとあることば、「あれこれ言う人が手伝ってくれるわけでなし、言う通りにしてもさらに上を求められるだけでお駄賃くれるわけでなし、きりもない」、でした。鷲田清一さんによる解説は次の通りです。「『自分のやり方でいいやん』と続く。乾燥きざみ揚げを買ったらこれが『めちゃめちゃ便利』、ほんと助かると作家は言う。世の中、どれだけ手をかけたかで『愛情』を測りすぎ。暮らしを上手に回すにも『完璧以外』のやり方があると。手抜きできないものは人それぞれに異なる。」
 「折々のことば」を踏まえた上で先の見出しに帰るとすれば、「細かいことをあれこれ言う人はきりもなし。新聞社で一番大事なことは読者の知る権利にちゃんと応えること。自分のやり方でジャーナリズムを貫けばいいやん」、とでもなるのでしょうか。一番大事なことをなおざりにしていなければ、メッシも陽川もご愛嬌としましょうか。

浅草から渋谷へ

2018-06-17 20:26:17 | Weblog
 銀座線は渋谷‐浅草間を走っています。ふと浅草から渋谷まで歩けるかなと思い、父の日の日曜日にトライしてみました。銀座線の上をなぞるのはさておき、足の向くまま行けるところまで行ってみることにしました。雷門をスタートして蔵前へ、蔵前から春日通りに沿って上野広小路、湯島を経て、本郷三丁目。本郷三丁目で春日通りと別れて御茶ノ水へと下り、総武線を横に見ながら水道橋、飯田橋、市ヶ谷、四谷。四谷から赤坂見附へ下って、赤坂見附からは246で渋谷、そして生ビール。日光方面へ行く時の行き帰り、起点の浅草は遠いなぁと思っていましたが、実際に歩いてみると途中挫けることもなく、その一方特に達成感もなく完歩出来ました。思うに、次から次へと馴染のある地名が出てくるので、とりあえずどこそこまでと、気持ちが切れずに歩けたのが良かったと思います。ただ青山で、渋谷まで2km、厚木まで48kmの表示を目にした時、厚木まで歩いてみようとは思いませんでした。

忖度してほしいこと

2018-06-10 13:35:16 | Weblog
 「新しい法律ができたとします。それはどんな社会情勢の中で、どんな議論を経てできたのか。国民がその時々の政治や行政を評価するためには、後々まで残る正確な記録が必要になる。それが選挙では投票行動につながり、政治家が選ばれ、政策が決まっていく。正しい情報なくして正しい民主主義は行われない。」土曜日の朝日新聞朝刊には、公文書改ざん問題に対する福田元首相のコメントが掲載されていました。改ざんに至るには官僚の忖度があったのではないかと言われていることについて、元首相は「官邸の力があまりに強すぎ、政官のバランスが少し悪くなっているのではないでしょうか。加計学園をめぐる総理秘書官らの言動も、いまの官邸の雰囲気を表している」としています。併せて、「秘書官というのは総理が何を考えているかわからないまま勝手に動くなどということはできない。でも意向さえ把握できれば、細かい確認はしなくてもその方向に合わせて動くことになる」と述べています。
 意向を把握するとは相手の気持ちを思いやることです。気持ちを思いやること自体は悪いことでも何でもなく、逆に思いやりに欠けると人間関係や社会がぎくしゃくしてしまいます。今、批判を受けている忖度の場合で言えば、忖度した後の行為が本来の職務とかけ離れていたことが問題とされているわけです。
 さて、最近、父親から虐待を受けた女児が亡くなったことがニュースになりました。ひらがなの練習といってノートに書かれた「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」の言葉を読むと、胸が締め付けられる思いがします。この女児が可哀そうなことはもちろんですが、「可哀そうな事件があったね」で終わらせてはなりません。ニュースになった虐待のほかに、世の中ではたくさんの虐待が行われていることを思いやって頂きたいと思います。虐待を受けている幼児の気持ちへの忖度が広がり、適切な施策が行われてほしいものです。