花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

それでいいのだろうか

2009-07-22 21:29:37 | Weblog
 民主党政権が現実味を帯びてきた中、霞ヶ関ではそれを睨んだ人事が行なわれているそうです。今朝の朝日新聞によると、国土交通省や外務省では民主党にパイプを持った人を待機ポストにつけ、次の与党との関係如何によっては前線に投入出来るようスタンバイしているそうです。この記事を読んで、ちょっとがっかりしました。と言うのも、世の中が新しい政治を求めているのに、霞ヶ関は相も変わらぬ手法に固執しているように取れるからです。各省庁が自分の管轄領域を指導するための法案を考え、カウンターパートである自民党の○○部会や○○族に働きかけて国会に通していったり、逆に業界から陳情を受けた議員が監督省庁に働きかけて法律にしていくのは、これまでのやり方だったと思います。パイプを持った人を配するのは、こういったやり方を前提にしているように思えます。しかし、そんなやり方を、今や多くの有権者は望んでいないのではないでしょうか。民主党の言う「政治主導」がどこまで本気なのかは分かりませんし、そもそも政治を動かしていくのに官僚の力は不可欠だと思います。与党と霞ヶ関の協力関係の大切さは分かっているものの、すぐさま組織防衛に走る姿を見せられると、「それでいいのだろうか」と言いたくなります。

可哀相な女子高生

2009-07-21 21:07:17 | Weblog
 真夏にも関わらず女子高生が厚手のベストを着て通学しているのを時々見掛けることがあり、この暑さの中、どうしてベストなんか着ているのだろうと不思議に思っていました。7月のある日、朝日新聞の投稿欄を読んでいて 、その疑問が解けました。高校生のおしゃれに関する内容でしたが、投稿者が通っていた高校では、ブラウスだけでは下着が透けて見えるのでベスト着用が校則で決められており、暑苦しいのと中学生のように見られるのが嫌だったそうです。「そういうことか」と合点がいきましたが、と同時にこの校則を決めた教師は弥縫的過ぎはしないだろうかとも思いました。下着が透けて見えるのがダメなら、濃いめ色の透けないブラウスにするとか、ブラウスの下にTシャツを着るとか他のやり方もあるのに、どうしてベストなのでしょうか。理由が分かった今、ベストを着ている女子高生が、前にも増して可哀相に思えてきます。

官僚たちの夏

2009-07-13 21:11:12 | Weblog
 日曜日、ドラマ「官僚たちの夏」を観ていました。懐古ドラマとして観るには楽しめそうですが、ビジネスドラマとしては「もう、そんな時代じゃないよね」といった感じです。アメリカがお手本であった追いつけ追い越せの頃なら、霞ヶ関が民間産業を保護育成していく護送船団方式は有効に機能していたと思いますが、そんな時代はもう遠い昔です。でも、今のように、「それなら、自由競争だ」で良いかと言えば、必ずしもそうではないと思います。同じ日曜に、エマニュエル・トッドの「デモクラシー以後」(藤原書店刊)を読みましたが、自由競争がもたらすのは格差社会で、何らかの保護主義的政策が必要と書いてありました。確かに、自由競争の下では、ひとり勝ちが起こり得ます。そうすると、少数の勝者と多数の敗者の間で格差は大きくなります。保護主義には何となく悪しきイメージがありますが、もしかするとそれはジャパン・バッシングによってアメリカから植え付けられたイメージかもしれません。保護主義にも良い保護主義、適度な保護主義があるのではないか、あるいはひとり勝ちにブレーキをかける制度的枠組みが必要なのではないか、そんなことを思いながらドラマを観ていました。自由競争に手綱を付けることを自由に競争している人たち自身によって実現することは、そもそも矛盾していて、無理な注文です。それは、利に付く人ではなく、理に付く人の成し得ることです。そんなことを考えていると、「官僚たちの夏」は案外現代的なドラマなのかもしれないと思えてきました。

AI RABU SAMAA

2009-07-09 20:51:00 | Weblog
 今朝、出勤途中の横断歩道で信号が青に変わるのを待っている時、目の前を走り抜けた一台のトラックが妙に気になりました。何がどう気になったかと言うと、そのトラックの車体に「TEKUNO TORANSU」と書かれたいたことに違和感を覚えました。「TEKUNO」は「TECHNO]であり、「TORANSU」は「TRANS」だと思うのですが、英語の音をそのままローマ字表記している大胆さに、ちょっとびっくりしました。この衝撃はしばらく続き、地下鉄の乗込む時も、「こういったのを和魂洋才と言うのだろうか」などと考えてしまいました。それから、変な想像をしてしまったのですが、もし英語の音のローマ字表記が、「cool じゃない」とみんなに受け(cool じゃなく kuuru かも)、巷に氾濫したとします。そうしたら、例えば「Global Warming」が「Guroobaru Uoomingu」になったり、「Windows PC」が「Uindouzu PiiSii」になったりする訳です。「Guroobaru Uoomingu」のせいか、ひどく蒸し暑い中、言葉に関する日本人の柔軟性に感心しながら、駅から会社まで汗をかきかき歩きました。

二人の違い

2009-07-01 23:39:52 | Weblog
 4年前、郵政民営化で自民党と対立した小泉さん、そして今回、党役員人事で自民党と対立した麻生さん。小泉さんは自分の意向を貫き、麻生さんは顔に泥を塗られました。二人の違いは、小泉さんは高支持率で国民が味方についていましたが、麻生さんには国民の支持が無く、自民党に足元を見られたこと。それから、小泉さんの争点は政策選択に関わるもので、国民の審判を仰げる内容であったのに対して、麻生さんは自民党内の内輪もめに過ぎず、国民不在であったことでした。そもそも、次元の低い喧嘩であり、結局、ただでさえなめられているのに、さらに傷口を広げる羽目になってしまいました。福沢諭吉は「文明論之概略」で政治について、「悪さ加減の選択」と言っていますが、それにしても、悪さの程度が悪すぎて、呆れてしまいました。