花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

抜け毛

2018-04-28 10:49:20 | Weblog
 お風呂から上がってタオルで頭をゴシゴシやるとタオルに髪の毛がついています。あるいは、朝起きた時に枕カバーに毛がついていることがあります。髪の毛は定期的に生え変わるので、多少の抜け毛は気にはならないものの、抜けた毛をよく見ると、かつては太くて長かったものが、今では細くて短くなっています。かつては天寿を全うして抜けていたのが、今では成長途上で夭逝してしているのかも。変なたとえですが、戦場で倒れているのは歴戦の古参兵だと思っていたら、いつの間にか身体も華奢な学徒兵になってしまったかのようです。兵力が底をつき始めた証左でしょうか。これでは戦況は悪化の一途、戦線は後退。なすすべもなく退却を見守ることになるのかと思うと、寂しくありますが、強がって開き直りたくもなります。

静と動の間

2018-04-17 21:26:08 | Weblog
 松尾芭蕉は今で言う滋賀県で洒落堂なる名前の庵を営む門人を訪ねた際、「山は静かにして性を養い、水は動いて情を慰す。静、動二つの間にして、住みかを得る者あり」としたためました。山とは比叡山、水とは琵琶湖を指しています。何と贅沢な眺めの住まいであろかとうらやましくなります。方や、猫の額ほどの地面に建つウサギ小屋の如き拙宅では、性を養い、情を慰すこともままならぬかと思いきや、天は決してお見放しにはなっていません。4月の暖かさに誘われて我が猫の額では、マーガレットの白、ツツジのピンクが目を楽しませ、心に静穏をもたらしてくれます。また、日に何度かヒヨドリが1羽、あるいは2羽で訪れて、「ぴーよ、ぴーよ」のさえずりとともに、そのしぐさが気持ちを明るいものに変えてくれます。
 山は静、水は動と言っても、新緑が萌えいだす時は「山笑う」、また紅葉の頃は「山が燃える」と、山にも動きを感じます。水にしても「悠久なる大河」と言えば、動ではなく静の響きがあります。自然における静と動とは相容れない別のものではなく、併存するものではないでしょうか。私たちの心がどちらの周波数を捉えるかによって、山は静でもあり動でもあり、水も然りかと思います。
 ところで、何とはなしに感じる自然の静と動は好もしいものですが、このところの政治の静と動にはざらっとした違和感を覚えます。火の粉が上がっているのに知らぬ存ぜぬで幕引きを図ろうとしたり、こっそり隠していたものが露見して批判が巻き起こったり。渦中にある霞ヶ関や永田町住人たちの「詫び」を入れない居直りと、品性の「寂び」しさ、体制腐敗の「錆」には、ため息が漏れるばかりです。

追いかけてシロヤマ

2018-04-09 21:45:15 | Weblog
 吉田類さんの著書「酒は人の上に人を造らず」(中公新書)の「鴉天狗のハッピーアワー」の章に、吉田さんが小仏城山に登った際、頂上の茶屋で飲んでいたグループと一緒になったことが書かれています。「熟年の山男たち5、6人が、冷酒の小瓶とグラスを手元に据えてほろ酔い気分。誘われるまま、僕もお相伴に預かった。卓の下には、夥しい数のビール瓶が並んでいる。冷酒の前に彼らが飲み干した空き瓶だというから驚く。」昨日の日曜日、夥しい数のお酒を飲むこの山男の皆さんに、「山はちょうど桜が見ごろだから花見酒をしよう」と誘われ城山に登りました。1時間半くらい歩いて山頂へ着くや否や先ずビール。この日はちょっと肌寒かったこともあり、早めにビールを切り上げて熱燗へ移行。ここからは熱燗をクックが始まりました。「どうです」とお銚子を向けた時、杯を差し出すことをためらう人は皆無。人や木の影がやや長く伸びだした頃には夥しい数の瓶が。そこでやっと、「桜でも見るか」と杯を放して立ち上がりました。大きなオオシマザクラの木の下には、気持ちよさそうに寝ているおじさんが。起こさないよう気を付けて桜を見上げていると、呑兵衛の山男のおひとりから、「桜餅を包んでいる葉っぱはオオシマザクラの葉だよ」と教えてもらいました。桜のほかではハナモモが赤、ピンク、白の花を咲かせ、幻想的な雰囲気を醸し出しており、桃源郷の「桃」はハナモモのことではないかと思ったりしました。
 さて、今年の3月は仕事が忙しく休日出勤もあり、ちゃんと桜を見ることが出来ませんでした。4月には随分前から花見の予定が入っていましたが、当日訪れた公園はすっかり葉桜になっていて、提灯の明かりが風に揺れているのを見ただけでした。そそくさとお店に入り、飲み放題コースで飲み、時間が来て追い出され、ふつうの飲み会に終わりました。ですから、平地で見損ねた桜、飲み損ねた花見酒を、山の上まで追い掛けて、なんとか間に合った感じでした。
 桜もお酒も充分味わって、山を下りましたが、相当量を飲んだにも関わらず、皆さん下山の足は確かで、コースタイム通りで麓のバス停に着きました。このメンバーの凄いのは、下山後もまた飲むところ。バスで駅まで戻り、駅近くのお店でまたまた夥しい数のお銚子が並ぶことになりました。吉田類さんと同じ驚きを感じた山行でした。