花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

老境

2013-08-31 09:53:45 | Book
 川端康成の「山の音」を読みました。主人公は60歳台で、小説の舞台となっている時代を考えれば老境と言っても差し支えない年齢です。実際、物忘れがひどく、話の後半ではネクタイの締め方を忘れる場面もあります。但し主人公の信吾は身体の衰えはあっても、心の部分に限れば一般的に「老境」から私たちが思い浮かべる「円熟」だの「枯淡」だのといった境地には至っていません。息子の嫁に気があったり、人に言えない願望によると思われる夢を見たりと、どちらかと言えば肉の思いにまだまだ囚われています。また、家族内で問題事が起こった時も、年長者の威厳を示すでも、長年の経験に導かれた的確な判断を下すでもなく、優柔不断で対処を先延ばしにしています。齢を重ねるごとに必ずしも人は成熟していくわけではないのだな、と感じさせられる小説でした。しかしながら主人公は若い頃、或る女性に強い好意を寄せていて、その女性が嫁いでも若死にしても忘れられず、面影を胸に残しつつ、いや残すがために女性の妹と結婚します。以来、折に触れお姉さんのことを思い出し、封印された恋心の無念さに心を焼かれます。思うに、憧れの人が死んだ時に心の時計が止まってしまい、そこからは生物的時間のみが流れていったような気がします。そう思えば、未だ、或いは永遠に老境へはたどり着かないことになります。そして、奥さんのお姉さんとの思い出がある信州のいなかへ久方ぶりに行ってみようと話すところで話は終わります。人の一生は死をもって円が閉じますが、信吾の心は奥さんのお姉さんの円に閉じ込められたのかもしれないと思いました。

今年初めてキリン秋味を買いました

2013-08-28 01:44:25 | 季節/自然
月曜日、飲んで帰りが遅くなり、終電少し前の地下鉄に乗って最寄駅に降りたら、強めの雨が降っていました。この雨が連れて来たのか、火曜日は朝から涼しく、通勤が楽でした。昼ごはんを食べに外へ出た時も、べたっとまとわりつくそれまでの風と違って、吹き抜ける感じの風が心地よく、今日は暖かい麺でも食べようかと中華料理店に入りました。でも、もしここで一気に秋が訪れたなら、もう冷し中華を食べることもなくなってしまうので、この季節最後になるかもしれない冷し中華を食べました。夕方からの会議が長引き、残業のため2日続けて終電間際での帰宅になりました。駅から家への途中、コンビニで夕食代わりのキリン秋味を買いました。コンビニ袋を手に歩いていると、そこらでコオロギが鳴いています。演劇で舞台が一回りしていきなり場面が変わったかのような、コオロギの登場にびっくりしました。ようやく秋が近づいて来たのかと思わせられました。一進一退はあるでしょうけれど、足元に転がる蝉の死骸も増えてきて、コオロギの鳴き声が聞こえ始めたとなれば、「残暑」も「暑」よりは「残」の方にアクセントが移ってくることでしょう。

「エアコンを 消して寝る夜の 虫の声」

改めて生命線について

2013-08-16 20:27:40 | Weblog
 4年前の今日、このブログで生命線について書きました。そこでは、慶應義塾大学で西洋経済史を教えていらっしゃった中村勝己先生の著書である「経済的合理性を超えて」(みすず書房刊)の次の箇所を紹介しています。「経済的権利であるとか、あるいは軍事的安全であるとか、国家的な威信、そのようなものは決して武器で守れるような性質のものではありません。もしそれを武器に訴えて守ろうとするならば、その他のもろもろの犠牲、すなわち貸借対照表の反対側の項目とを計算するならば、到底それは引合わない、バランスしないものなのであります。(中略)しかし戦争によらなければ護られない利益、戦争によってのみ得られる利益というものは結局のところありえないものであるし、手中にしえたように思えても指の間からこぼれ落ちるような性質のものであることを知らなければなりません。このことがわからなければ太平洋戦争に負けたことから何事も学ばなかったことになります。」確かに、戦時中叫ばれた「護れ満蒙帝国の生命線」のスローガンも、満州や蒙古を失ってみて決して生命線ではなく、それらなしでも日本はやっていけたことが明らかになりました。そのことが分かるのに、いったいどれだけの命が失われたことか。そして、昨今の情勢を見るや、4年前に比べて中村先生の言葉の持つ意味がますます大きくなったように思えることは残念でなりません。アメリカには、‘Crime does not pay.’、すなわち「犯罪は引き合わない」という言葉がありますが、‘War does not pay.’、「戦争は引き合わない」もまた真ではないかと思います。中村先生の言葉に今改めて耳を傾けなくてはなりません。