花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

風とともに去りぬ

2011-09-22 01:44:13 | 季節/自然
 9/21、東京は午後から台風による暴風雨に見舞われました。夕方、会社の窓を雨がビシャビシャ叩くので、外はどんな様子かと斥候に出てみました。風は絶え間なくゴォーと吹きつけ、横殴りの雨でした。数日前に髪を短く切っていたので、風で頭がぐしゃぐしゃになることはありませんでしたが、顔には大きな雨粒がへばりついていました。強風を全身に受けながら、「冬の八ヶ岳の烈風はこんなもんじゃないね」と強がってみました。確かに、冬山ではこんなものじゃない凄い風が吹くことがあります。冬山装備で固めた身体を風がダッダッダッと容赦なく打ち、風に向かってぐいと踏ん張っていなければ飛ばされそうなくらいの風が吹きます。しかし、風に対して踏ん張ることばかりを考えていると、一瞬風が止んだ時につっかえ棒が外されたようになって、つんのめって転がることになります。それが急峻な場所であれば、宙を舞って谷底に落ちてしまいます。冬山で強風にあおられた時は、踏ん張りつつも、風が止まる一瞬を頭の片隅に置いておかなければなりません。そんなことを思いながら、大荒れの中の帰り道も冬山で鍛えた耐風技術があればなんてことはないさと、またまた強がっていましたが、生憎の残業で遅くまで残り、会社を出た時には台風の暴風圏は既に過ぎ去っていました。大荒れを期待した帰り道では、何事もなかったかのように蟋蟀が鳴いていました。

読書の秋

2011-09-16 22:37:36 | Book
 秋は読書の季節とされています。おそらくそれは、「秋の夜長」からきていると思います。夜が長いから本を読む時間がたくさんあるだろう、ということでしょう。でも、果たしてそうでしょうか。秋は夜が長いと言っても、夕方が早くなるだけです。それに合わせて、会社の終わる時間が早くなる訳ではないので、秋の夜長イコール読書に割ける時間が増えることにはなりません。ですから、「秋の夜長」と「読書の秋」の結びつきは弱くなりますが、それとは別に、秋は涼しくなるので読書に適しているという理屈もあるかもしれません。しかしながらここで私は、学生の頃、夏休み前になると本屋のレジの辺りに「新潮文庫の100冊」の小冊子が積まれていたのを思い出します。出版社としては長い休みがあるので、暑かろうがどうだろうが本を読んで欲しいと思っているのです。そもそも、暑いから本を読まないなんて言う人は、涼しくなっても本を読みません。涼しさを「読書の秋」の理由にするのも無理がありそうです。結局、出版社や教育関係者は季節に関係なく本を読んで欲しい訳で、それぞれの季節で本を読ませる理屈をこしらえようとします。たまたま、秋は文化的なイメージがあるため、どこかの誰かが「読書の秋」と言い出したのが、何となく定着してしまったような気がします。その意味では、「読書の秋」は「土用の丑の日」に似ています。
 ただ、自分に関して言えば、こんなことを考えないでもありません。秋は寝苦しい暑さから解放され、ぐっすり寝られるようになり、また春と違ってどれだけ寝ても寝足りないということもないので、朝、しゃきっと起きられます。そこで、早めに起きて、本を読むのも悪くないなと思います。虫の音がまだ残り、新聞配達のバイクの音が聞こえる早朝、朝ご飯までのしばしの間、頁をめくるとすればどんな本が良さそうか、そんなことを考え始めると、いろんな本のタイトルが頭に浮かんできます。読書にふさわしい季節を考えるよりも、季節に応じた読書の楽しみ方を考える方が、ずっと愉しそうです。

続・サッカーと野球

2011-09-11 08:36:07 | Sports
 サッカーと野球の違いについて思ったことをもうひとつ。それは、仮に自分のひいきのチームが負けたとして、野球の方が慰めがあるように思えることです。例えば、試合に負けた巨人ファンは肩を落として家路に就きつつも、「小笠原のホームランが見られて良かった」とか「沢村の真っ直ぐは凄かった」と、自らを慰めることが出来ます。私自身、ジャイアンツ時代の松井選手が宣銅烈投手(ソン・ドンヨル)と対決した時、試合の勝ち負けとは全然別のところで、二塁打を打った松井選手のスイングの速さに驚き、宣投手の150キロのストレートや切れ味鋭いスライダーに「これは打てないな」と感心したのを、今でも覚えています。試合の中のある場面を切り取り、それに満足を見出すということが、野球にはあると思います。もちろん、サッカーにそういった面がないとは言いませんが、9/2の北朝鮮戦に関して言えば、もしこの試合に負けていたとすると、消耗感のみ抱えてスタジアムを後にしたと思います。野球でも大敗すれば消耗感のみ残るでしょう。でも、9/2の北朝鮮戦に負けていれば、日本の惜しいシーンはたくさんあったにも関わらず、慰めはなかったように思います。やはり、サッカーは組織プレーなので、野球のような一対一の対決的な場面は少なく、従って心に残る一場面を切り取ることも難しいのかもしれません。サッカーは、応援する側からすると、勝った時の喜びも大きい代わり、負けたときの消耗感も大きい、ハイリスク・ハイリターン型のスポーツではないかと思いました。

サッカーと野球

2011-09-09 23:20:36 | Sports
 9/2(金)、埼玉スタジアム2002で行なわれたサッカーW杯3次予選「SAMURAI BLUE(日本代表)対朝鮮民主主義人民共和国代表」戦を見てきました。ナマでサッカーを見るのは初めてでしたが、割と見る機会の多かった野球と比較して、サッカーは攻守の切替が早いせいか観戦スタイルが随分違うなぁと感じました。また、この試合はロスタイムに日本が決勝ゴールを決めるまで、ずっと0-0だったためかと思われますが、ジリジリ感たっぷりの最後まで気の抜けない試合でした。この焦れた感覚の中で考えたのは、野球は27のアウトを取られるまで試合は終わりませんが、サッカーは90分経てば終わってしまうので、サッカーの方が待ったなしの度合が大きいのではないかということです。例えば、野球なら9回2アウトから最後のアウトを取られるまでどれくらいの時間が掛かるか、それは投手と打者の勝負の行方次第です。出塁が続けば、ハラハラ感に合わせて期待感が生まれることもあります。一方、サッカーは時間が経った分だけ確実にゲームの終わりが近づきます。その違いが見る者の神経に与える影響を変えているような気がしました。つまり、野球に比べてサッカーの方がよりジリジリ感を生みやすいということです。そして、ジリジリ感が強い分、勝った時の「やったぁ!」感も大きいと思いました。この日は、サッカーど素人の私でもゴールの瞬間思わず声が出る程、ジリジリ感と「やったぁ!」感を味わえる試合でした。