花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

雪が舞い、寒い一日だった2月18日

2010-02-18 23:52:47 | Weblog
 朝、ママの「雪が降ってるよ」の声で起きて、外を見てみるとボタン雪が舞っていました。
 朝食の時、ワイドショーの占いコーナーで、私の星座のラッキーアイテムは「赤ピーマン」と言っていました。
 会社でお昼が近くなってきて、「今日は寒いから温かいものを食べに行こう」となり、職場の仲間と築地の「赤とうがらし」というお店へ出掛けました。ここは焼肉のお店ですが、ランチタイムの人気メニューはチゲ鍋にインスタントラーメンが入ったチゲラーメンです。グラグラとたぎった石鍋で出てきたチゲラーメンは美味しくて、身体が温まりました。今日のラッキーアイテムの「赤ピーマン」と「赤とうがらし」の赤つながりで、午後はミニハッピーになるかと期待しましたが、何もありませんでした。
 夜、お風呂に入って頭を洗おうとお湯をかぶったら、髪の毛からお昼に食べたチゲのにおいが再び現れてきました。

 「髪洗う 手にかすかなる 昼のチゲ」 (チゲは季語になるでしょうか?、ならないでしょうね)

参加することに意義がある

2010-02-14 22:32:38 | Sports
 バンクーバー冬季五輪の競技がいよいよ始まりました。早朝まで寝ずに頑張って起きてジャンプのノーマルヒルを見ました。3時間ちょっと寝て、朝9時過ぎからは女子モーグルの予選をみました。予選を見た感じでは、日本期待の上村選手と比較してアメリカのカーニー選手とカナダのハイル選手はさらに好調なようで、この二人がミスなく自分の滑りをすれば、上村選手がその上に出るのは難しいのではないかと思いました。それでも、五輪の大舞台のことです、何が起こるか分かりませんし、上村選手も十分メダルを狙える滑りをしてくれそうでした。ですが、午後に行われた決勝の順位は4位、残念な結果に終わりました。今度こそ、今度こそで、4回目の五輪、メダルにかける思いは相当なものがあったと思いますので、さぞ悔しかっただろうと可哀想でした。でも、競技後のインタビューを見ていると、この人は、勝てなかったことからも大きなものをつかんで、自分を成長させることが出来る人だと感じました。その意味では、参加することに意義があるという有名な言葉は、紛れもない真実です。すべての国のすべての選手の健闘を祈ります。

やってみなはれ

2010-02-09 23:43:01 | Weblog
 キリンビールとサントリーの経営統合が流れたことの関連記事を、今日の朝日新聞夕刊で読んでいると、サントリー社員のコメントが載っていました。曰く、「発泡酒が登場した頃からは、低価格競争が激化し、とにかく得意先の奪い合いになった」、「将来は統合も必要なのかなあと思うけど、今月の売り上げをどうするかで現場は必死。経営陣とはまるで別世界で、破談で動揺する人なんていないよ」、だそうです。
 この記事を読んで思い出したのが、このブログでも取り上げたことのあるリチャード・セネット氏の著書「それでも新資本主義についていくか」でした。セネット氏はこんなことを書いています。「何らかの葛藤状態に直面すると、人の注意は長期的視野よりも目先の環境に釘づけになる傾向がある。・・・(中略)・・・このような葛藤にとらわれたとき、その人の中で『専一的注意』(focal attention)が喚起される。読んで字の通り、目先の必要に焦点を合わせ、一つの問題に注意を集中させることである。」 これはまさしく、「今月の売り上げをどうするかで現場は必死」といった状態を指しているのではないでしょうか。
 続けて、セネット氏はこうも書いています。「『どこへも着けない』『いつも出発点』 これが、意味のなさそうな成功と向き合わされたり、努力しても報酬を得ることが不可能なことを見せつけられた人の実感である。こうした感情の動きのなかで、次第に時間が止まっていくように感じられる。この苦悶のただ中に立たされた人間は、『現在』の囚人となり、ジレンマのために身動きが取れなくなる。」
 朝日新聞が紹介したサントリー社員のほんの短いコメントで、サントリーの社内事情が分かるわけなどあろうはずもありませんが、「やってみなはれ」の企業風土は残り続けて欲しいものだと思います。ちなみに同じ朝日新聞夕刊の記事には、「サントリーは体育会系で熱意がすごい」という、北新地のバーのママの言葉も載っていました。

単に澤乃井を飲んだだけでした

2010-02-04 22:43:24 | Weblog
 昨日は節分でした。正岡子規が節分を詠んだ句に、「節分や親子の年の近うなる」があります。幸い、私も親も毎年ひとつずつ年を積み重ねていますので、早くに父親を亡くした子規と違って「年の近うなる」ことはありませんが、おそらく気持ちの上での年齢の隔たりは小さくなっていることかと思います。一方、私と子供では、年の差が同じままで変わらないのはもちろんながら、私は年の数だけ豆を食べるのがだんだんつらくなってきたので、食べる豆の数で言えば近づく傾向にあります。
 ところで、関西には節分に恵方巻を食べる習慣があります。巻き寿司の「巻き」と福を巻き込むを掛けて、また縁を切らないために切らずに食べるのだそうです。そして、その年もっとも縁起の良い方角である恵方を向いて、黙って一気に食べるのが正しい食べ方とのことです。最近ではこの習慣が関東にも浸透しつつあります。何となく作られた風物の感がなきにしもあらずですが、我が家でも母娘で太巻き寿司を作ったので、今年の恵方である西南西を向いて食べました。ママの「ちゃんと願い事をしながら食べた?」の声に「あっ」と思ったので、やり直しとして「恵方飲み」なるものを勝手に考えてやってみました。と言っても、グラスに注いだ日本酒を恵方を向いて一息で飲むだけのことです。「ただの一気飲みじゃん」と言われ、日本酒を飲むための口実に過ぎないことを見抜かれたようでした。しかも、お酒が口の中に入った瞬間、願い事のことはすっかり頭から消えてしまい、無理矢理こじつけた意味すらなくなっていました。