花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

007/カジノロワイヤル おまけ

2007-01-28 22:00:27 | Weblog
 お酒は007に欠かせないキーアイテムのひとつであろう。ボンド氏のスノビズムを表す小道具として、シリーズ中頻繁に登場する。例えば、海辺でドライマティーニを注文したボンド氏に、水しぶきがかかるシーンがある。その後、すかさずこの一言。「服は濡れても、マティーニはドライさ」(「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」だったような)。最新作の「カジノロワイヤル」でも、お酒がうまく使われている。殺しのライセンスを得て、00(ダブルオー)・エージェントに成り立てのボンド氏が、カジノの酒場でウォッカ・マティーニを注文するのだが、ここでウェイターに「ステアにしますか、シェイクにしますか」と聞かれ、「どちらでも」と答えている。007ファンなら、「シェイク」の答えを期待するであろうが、「どちらでも」と答えさせることで、まだスノビズムに磨きのかかっていない若さを印象づけている。あるいは、ポーカーの勝負で頭に血がのぼり、ウォッカ・マティーニの作り方なんかに頓着できない姿を出しているのかもしれない。どちらにせよ、危地に及んでもスノッブないつものボンド氏ではなく、駆け出しっぽさをうまく表現している憎いシーンだと思う。でも、別のところでは、シャンパンにボランジュを注文するシーンがある。今となってはバブリーな色のついたドンペリではなく、ボランジュを注文するところに私はボンド氏のスノビズムを感じる(どうしてスノッブなのかは説明できないけれど。余計なことだが、「リビング・デイライツ」でソ連からの亡命者にボンド氏が差し入れたのもボランジュだったような)。「カジノロワイヤル」に出てくるお酒のシーンで最後にもうひとつだけ。ボンド氏がマッカイのハイボールをオーダーするシーンがあったが、イギリス紳士としてマッカイは問題ないとしても、ソーダ割りは似合わないなぁと思った。それとも、ソーダ割りにも何か意味が含ませてあるのか、あるいはイギリス人にもハイボール好きが結構いるのだろうか。それはさておくとして、こんな風に、007シリーズはディテールでも相当楽しませてくれる。

007/カジノロワイヤル

2007-01-27 23:10:52 | Weblog
 007の新作が封切られたと思っていたら、あっという間に2ヶ月が過ぎようとし、あぶない見逃してしまうということで、「カジノロワイヤル」を見に行った。「犬神家の一族」同様こちらもリメイクだが、犬神とは大違いで同じなのはタイトルだけ。007シリーズは毎回違った味付けで楽しませてもらえる。でも、味付けは変わっても、チェイス、格闘、舞台となる世界の観光名所(今回はナッソーやベニス)、そして美女といった基本の食材は、当然ながらきっちり押さえている。また、付け合せの車やハイテク装備にも抜かりはない。またまた、これは毎回感心しているのだけれども、どうやって撮ったんだろうとびっくりさせられるカメラワークも相変わらず冴えている。このように、007シリーズの魅力は、ふだんこころの中に眠っている幼稚な願望の部分(おそらく特に男性の)を刺激して止まない基本アイテムと、とにかく人を楽しませてやろうとあの手この手で趣向を凝らしてくる味付け、このふたつの相乗効果(マーケティングで好んで使う言葉を使うなら〝シナジー〟でしょうか)だと思う。プロ中のプロが手加減せずに、これでもかと楽しみどころをちりばめて作った映画なので、話の展開などに無理な面があったりしても、エンドロールを見ながら、やっぱり次回作もまた見に来ようと思うことになる。そういえば007を見た後、どこがどう面白かったと感じるよりは、ただ「面白かった!」という印象のみ残ることが多い。思うに、007の消化の良い面白さも、これだけ長くシリーズが続いている理由なのかもしれない。どんな感動の名作でも、胃もたれしたんじゃ、そうそう軽い気持ちでは見れないしねぇ。最後にひとつだけ無いものねだりを。せっかくアストン・マーチンが、それも2台も出ているのに、カーチェイスのシーンがほとんど無かったことが残念だった。ボンドとヴェスパーのラブラブ世界旅行のシーンをもう少し縮めても、アストン・マーチンが疾駆する姿が見たかったなぁ。

犬神家の一族

2007-01-26 01:49:03 | Weblog
 遅ればせながら「犬神家の一族」を見た。30年ぶりのリメイクで、どんな映画になっているか楽しみだったが、リメイクと言うよりは撮りなおしといった方が良く、前作に比べて小ぶりな感じの出来だったように思う。角川映画の第1弾として新しいエンターテインメントを作ろうとした前作とそれを模した今回の作品。ひょっとすると、製作に携わるひとりひとりの熱の入り方にいくらか差があったのかもしれない。また、両方の作品で同じキャスティングだった主要人物が何人もいるが、やはり30年の月日は重く、動きやせりふ回しにシャープさが欠けるのはいたし方がないだろう。金田一耕助の石坂浩二が走る場面は、少々つらいものがあった。ただ、もともと全く新しい犬神家の一族を期待していたわけではなく、リメイク具合に興味があって見に行ったので、新鮮味こそなかったものの前作が懐かしく思い出されて、それなりに楽しめた。それから、大野雄二の音楽は古びた感じがせず、今度の作品ともぴったり合っていた。
 どうでもいいことだが、珠世さんは島田陽子の方が雰囲気が出ていた。松嶋菜々子と犬神家の忌々しい業は結びつきにくかったようだ。

土曜の午後の公園で

2007-01-13 22:57:42 | Weblog
 今日は気温こそ低かったものの、風は無く、日差しもそこそこあったので、お昼ご飯の後、日比谷公園へ出かけた。もちろん、吉田修一の「パーク・ライフ」にあるようなスタバ女との出会いはなかったが、平日とは違ってかなり緩い感じの間延びした雰囲気の中、しばし子供と遊んできた。追いかけっこをしたり、滑り台を滑ったり、ブランコに乗ったりした。子供は「公園、楽しいねぇ」と眼をキラキラさせて、次から次へと遊具を変えながら遊んでいた。噴水の周りで鳩を一生懸命追いかけている子供の姿を見ながら、ルーマニアだかどこか、確か東欧の国の言葉だったと思うが、「月並みこそは黄金である」という言葉を思い出した。そして、きっとこのひと時は「黄金」の時なんだろうなぁ、と思った。「月並み」から満足を感じられれば、ワイン瓶で殴ったり殴られたりすることもなく、バラバラにしたりされたりすることもないんだろうけどねぇ。
 葉がすっかり落ちて寒々しい趣の木々の間から差し込む光が、だいぶ弱くなった頃、子供がプラタナスの樹の下に落ちていたフワフワの毛が付いた木の実を、「ママに見せてあげるんだ」と大事そうに拾い上げた。子供はそれをしかっり握りしめ、長くなった影を連れて家路に着いた。

玉秀

2007-01-08 23:05:17 | Weblog
 おとといの雨、昨日の風と、二つ目玉の低気圧による影響で大荒れになった天気も収まり、障子越しに差し込むまぶしい朝日で目が覚めた。背筋がシャキっとするような冷気に、何となく散髪にでも行こうかという気になり、理容店へ出掛けた。順番を待っている間、持って行った文庫本、谷崎潤一郎の「幼少時代」(岩波文庫)を読んでいると、谷崎潤一郎が幼い頃を過ごした日本橋蛎殻町界隈に触れた箇所で、『鳥屋の「玉秀」』なる文字が目に入った。これは、あの親子丼で有名な「玉ひで」に違いないと思うが、その「玉ひで」のちょっと甘めでトロリ感のある玉子、そしてそこにちりばめられたにゅっと歯に吸い付くような鶏肉の食感が思い出された。リアルな感覚の覚醒にふと文庫本から目を上げると、髪を切るハサミのシャキシャキという音や、ドライヤーのヴォーという唸りが、やや間遠な感じで聞こえてきた。店内のラジオからは、成人式の話をしているDJの声が流れていた。祝日の中、人それぞれに時は過ぎているんだろうなぁ、と思った。