花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

セールスマンの死

2018-10-31 21:54:14 | Weblog
 今日はハロウィーン。渋谷駅周辺の若者による迷惑行為に対する警戒が、数日前からニュースになっていました。仮装して騒ぐだけならたまには良いかもしれませんが、渋谷では軽トラックがひっくり返されたり、破廉恥行為で警察に連行されたりと、そこまでいけば笑い事では済まされなくなってしまいます。昔の「ええじゃないか」みたいにうっぷんのはけ口として騒動になっては、せっかくのお祭りが台無しです。もっと穏便にガス抜きをしてくれればなぁ、と思います。

 閑話休題、ハロウィーンとは無関係な男の話です。
 もし、セールスマンとして35年間せっせと働き、ローンだ何だといった支出をまかなうことに気をもみ、老いてきたのでそろそろ楽な仕事に回りたいなと思っていたら、解雇を言い渡され、子どもたちは頼りにならず、八方ふさがりの挙句、自ら命を絶つとしたら、考えただけでもぞっとしてしまいます。しかも、葬儀の場で自分の子どもから次のように言われるなんて・・・
「あの人は、セールスの仕事よりも、大工仕事のほうが向いていたんじゃないでしょうか。」
「お父さんは、悪い夢を見ていたんだ。とんでもない見当ちがいの。」
「自分というものがわからない人だった。」
 自分の人生とはいったい何だったのか、くず同然の人生ではなかったのかと、あまりの救いのなさに心が滅却してしまいそうです。
 アーサー・ミラー作「セールスマンの死」(ハヤカワ演劇文庫)の主人公、ウィリー・ローマンはそのような人生でした。「セールスマンの死」について私が思うのは、ウィリー・ローマンの悲劇は単に劇中のみの悲劇ではないのではないかということでした。「セールスマンの死」の初演は1949年、大衆社会がアメリカ中に広がっていった時代です。社会学者のデイヴィッド・リースマンは「孤独な群衆」(みすず書房)で、大衆社会において見られる人間のパターンを「他人指向型」と呼びました。「他人指向型」は「レーダー型人間」とも呼ばれ、絶えず他人の意向を気にして、それに合わせて行動しようとする人間類型を指しています。
 ウィリー・ローマンは、「人に好かれれば、困ることはない」とか、「この世の中では、人にいい印象をあたえ好かれさえすれば」と言っています。おそらく、他人の顔色を気にするあまり、自分の個性をどこかへ置き忘れてしまい、それが結果として他人に好かれるどころか、顧みられることのない存在となり、みじめな死にざまをする破目になったような気がします。他人に好かれようとしたセールスマンが、寂しく死んでいったとは、まったくもってやるせない思いがします。

残金一銭五厘

2018-10-20 21:11:11 | Weblog
 100年前の今日、つまり1918年10月20日、のちに詩人にして女性史学の創始者として名を成す高群逸枝さんは弱冠24歳。2日前に愛媛県の菅生山大宝寺で四国遍路の八十八番目の札を打ち、本願成就を果たしていました。「何だか嬉しい、訳もなく嬉しい」と八幡浜へ向かう途中、身なりの汚れた若い女性のお遍路さんから掛けられた言葉は、「お銭(あし)を少しお貸し下さいませんか。」自身の路銀も尽きかけながら、財布の中で手に触れた十銭銀貨を渡した後、残金は一銭五厘。しかし、一銭五厘は響きが良いと感じる高群さんに悲壮感はありません。そして、「八幡浜に着いたらどうかなるのだ、純な魂を忘れちゃいけない!」と前向きな姿に、私などは「若さだなぁ」と思ってしまいました。(岩波文庫「娘巡礼記」より)
 さて、2018年10月20日の本日、私の財布の中身は2388円。懐具合は全く持って心もとなし。でも、図書館で借りた本を読み、500円のチリワインでも飲めば、悪くない週末になりそうです。100年の月日を隔ててなお、こちらも悲壮感はありません。

秋は悲しき

2018-10-05 21:07:58 | Weblog
 歩いていると道の隅っこでダンゴ虫が死んでいました。丸くなって死んでいるのでもなく、伸びきって死んでいるのでもなく、ひらがなの「し」の字になって。これぞまさしくダイイングメッセージ。
 違う道ではバッタが死んでいました。車にでも轢かれたのか、アスファルトにシールのようになって貼り付いていました。生きている間は3次元だったのが、死んで2次元の世界へ行ってしまいました。
 朝、玄関を出てポストから新聞を取って戻る時、見るからに弱り切った蚊が腕に止まりました。とっさにパシっと叩き、指に取って丸めるようにこねまわしていたら、影も形もなくなりました。自分が巨大怪獣か何かにパシっとやられ、指先でゴシゴシされている間に跡形もなくなるとしたら、そんな死に方は嫌だなぁと思いました。
 あす、83年間続いた築地市場が幕を閉じます。周辺の飲食店の中には市場と一緒に豊洲へは移らず、閉めてしまうお店もあるとか。寂寥感をぬぐえないまま、小糠雨越しに市場を見ていました。