花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

コキト・エルゴ・スム

2022-11-28 19:32:00 | Weblog
 年老いた父母の様子を見に実家へ帰ろうとした矢先、母が骨折で入院してしまい、様子見どころではなく家事全般を引き受けることになりました。数日ではありましたが帰省中は、朝食、後片付け、洗濯、風呂掃除、昼食の準備、後片付け、買い物、洗濯物の片付け、夕食の準備、後片付け、明日の夕食のメニューを考え買い物の内容を整理、で一日が過ぎる繰り返しでした。

 途中、老人の栄養を考えると、どんな料理が良いか妻に意見を求め、レシピを教えてもらいました。慣れない家事に追われる中、明日はこの料理を作ってみようと思うことは、ちょっとしたアクセントになり、前向きな気持ちが持てました。自発的に何かをやってみよう、新しい工夫を加えてみようとすることは、精神衛生上大切なことだと感じました。

 日常生活で「明日はこんなことを」と考えることを小さな企図、略して小企図と呼ぶなら、小企図の有る無しで風景は変わってきそうです。デカルトが人間存在の根本を示した「コギト・エルゴ・スム=我思う、故に我あり」は、あまりにも有名な言葉です。深遠な思考とは程遠いですが、「コキト・エルゴ・スム=小企図、故に我あり」ってのを自分を支える言葉のひとつにするのもアリかなと思いました。

消極的能力(negative capability)

2022-11-22 20:02:00 | Weblog
 イギリスの詩人、ジョン・キーツは弟たちに宛てた手紙の中で、偉大な仕事を達成する人間は「消極的能力」を持っていると書いています。キーツの言葉を借りれば「消極的能力」とは、「不確実さとか不可解さとか疑惑の中にあっても、事実や理由を求めていらいらすることが少しもなくていられる状態」のことだそうです(「詩人の手紙」冨山房百科文庫)。

 「消極的能力」を持った人物としてキーツはシェイクスピアを挙げています。多彩な人物が織りなすシェイクスピアの劇を思い浮かべると、そのような戯曲を生み出す力と「消極的能力」の結びつきが、さもありそうな気がしてきます。

 「消極的能力」がないとどうなるかについて、キーツは次のように述べています。「半解の状態に満足していることができないために、不可解さの最奥部に在って、事実や理由から孤立している素晴しい真実らしきものを見逃すだろう。」つまり、性急に答えを出そうとすると、あるいは早々に分かったつもりになってしまうと、大事なことを見落として気づけなくなるのかもしれません。

 「消極的能力」を私なりに解釈すれば、なかなか答えの出ない問題をあれこれ時間を掛けて考えることが、人の思想を深めることにつながっていくのではないでしょうか。さらには、時間を掛けても簡単に答えの出ない、でも自らに問い続けずにはいられない、そんな問題を見つけてくる能力も「消極的能力」に含めて良いように思います。

サード・キッチン

2022-11-13 10:32:31 | Book
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

 「気にしてるってことは、私の気持ちを想像してくれたってことでしょ?」

 友人の性自認に対して思わず傷つけるような言葉を発してしまった主人公が、過ちを後悔し謝罪しようとした時、友人はわだかまりなく許しの言葉を与える。思いやる気持ちを持っていることに、自らも思いを致す。小説の中とは言え、そういう心の広さがあることに、私は救われる。差別や偏見の根っこには無理解があり、知ろうとする代わりにややもするとステレオタイプを当てはめ、安易に不安を除きたがる。想像力が、理解を深め寛容の精神を育てる大きな力となることを期待したい。

白尾悠著 「サード・キッチン」(河出文庫)から