日本漢字能力検定協会が発表した2011年を表わす漢字は「絆」でした。また、年末恒例の流行語大賞の発表でも、「絆」はトップテンに入っていました。確かに、震災以後、さまざまなニュースの中で「絆」・「きずな」という言葉が使われているのを目にしてきました。思うに、人々が絆を求めるのは、不安感に囚われているからです。不安感を自分一人で受け止められないので、誰かとつながって軽減しようとします。震災後、日常化した不安感が私たちを取り囲む状況下、「絆」がにわかにクローズアップされたことはうなづけます。また、facebookなどのソーシャルネットワークサービスによって、人と人とのつながりに新しい展開が見られるようになり、今年になってそれが社会を動かす大きな力となりました。ジャスミン革命がそれを何よりも物語っています。私たちは人とつながることによって、不安感をやわらげ、安らぎを得ることが出来ます。傷ついた人たちは「絆」によってその傷を癒し、「絆」によって再び立ち上がろうとする気力がみなぎってきます。一方で、「絆」は勇気や力の源ともなります。抑圧されている人たちは、「絆」によって圧政に立ち向かう勇気が沸いてきます。
貨幣経済や行政サービスの充実によって、人と人とのつながりは段々希薄になってきました。お金を出せば、一面識もない人でも私たちの望むものを提供してくれます。隣人に頼らなくても、行政が社会的インフラを整備してくれます。はるかな昔に、「ユイ」や「モヤイ」といった相互扶助がいきていた頃は、具体的な誰かとのつながりが切れてしまえば、自分の生活が立ちゆかなくなってしまいましたが、今は収入の途が確保され、きちんと税金を納めている限り、生活の基盤が揺らぐことはありません。そのような中で、人と人とのつながりが希薄になっていったのは不思議でも何でもありませんが、行き過ぎた針が逆に振れるかのように、ここにきてまた「絆」の大事さに気づいたのが2011年だったのかもしれません。いつかある時、2011年を振り返った時、「絆」が私たちに安らぎや勇気を与えてくれた年、あるいは2011年を転換点として「絆」の重要性が再認識され始めた年として、思い出されそうな気がしています。
貨幣経済や行政サービスの充実によって、人と人とのつながりは段々希薄になってきました。お金を出せば、一面識もない人でも私たちの望むものを提供してくれます。隣人に頼らなくても、行政が社会的インフラを整備してくれます。はるかな昔に、「ユイ」や「モヤイ」といった相互扶助がいきていた頃は、具体的な誰かとのつながりが切れてしまえば、自分の生活が立ちゆかなくなってしまいましたが、今は収入の途が確保され、きちんと税金を納めている限り、生活の基盤が揺らぐことはありません。そのような中で、人と人とのつながりが希薄になっていったのは不思議でも何でもありませんが、行き過ぎた針が逆に振れるかのように、ここにきてまた「絆」の大事さに気づいたのが2011年だったのかもしれません。いつかある時、2011年を振り返った時、「絆」が私たちに安らぎや勇気を与えてくれた年、あるいは2011年を転換点として「絆」の重要性が再認識され始めた年として、思い出されそうな気がしています。