花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

政党支持の食べログ化

2016-09-30 21:25:22 | Weblog
 支持政党の調査によると若い世代の与党支持が強まっているそうです。今日の朝日新聞朝刊ではその背景に関する3人のコメントが紹介されていました。極めて大雑把ではありますが、それぞれの見かたのポイントは次のようなものでしょうか。平野浩さん(学習院大学法学部教授):東日本大震災の時の政権が民主党だったので、民主党と悪い記憶が結びついている。自民党の情報が圧倒的に多く、野党のことは好き嫌い以前の知らない存在になっている。安永彩華さん(小倉高校3年生):批判的な芽を摘み取り現状追認を助長するような教育現場の雰囲気がある。フェイスブックやツイッターは偏った意見が多く参考になる情報が得られなかった。山田昌弘さん(中央大学文学部教授):「現状に満足/不満」を縦軸に、横軸に「将来への希望がある/なし」をとった時、「満足×希望あり」=リベラル(昔の自民党支持者)、「満足×希望なし」=保守(今の若者)、「不満×希望あり」=ラジカル(1980年代までの若者)、「不満×希望なし」=反動(トランプ現象の担い手)と、政治的傾向の特徴を4つの象限に分けることが出来る。今に満足しているが将来が不安な若者は、「せめて現状維持」と考え保守化する。
 ところで、お店選びで失敗したくない人たちが食べログで☆の多いお店に集中したりしますが、政治の世界も似たようなことになっているのかもしれません。また、フォロワーやリツイートの数が多い人の発言は信頼出来ると思い込むように、数の多さに安易にもたれかかる心性もあるのでしょうか。朝日新聞の記事を読んで、世の中の「長いものには巻かれろ」的風潮が今後支配的になっていくようで、薄気味悪い感じがしました。「自由からの逃走」みたいなことにならなければ良いのですが。

ティツィアーノの受胎告知

2016-09-29 21:03:15 | Weblog
 先日、イタリア・ルネサンス期の画家であるティツィアーノの「受胎告知」を観てきました。著名な美術史家のケネス・クラークはこの作品を「カンヴァスの上に叩きつけられた絵具があたかもその熱気によって発火し、炎となって燃えあがるかと思われる」(「絵画の見かた」白水uブックス)と評しています。また、岩波新書「ヴェネツィア 美の都一千年」において著者の神戸大学・宮下規久朗教授は、「ティツィアーノ晩年特有の荒々しい表現主義的なタッチと燃えあがるような色彩によって、天が割け、まばゆい光と天使たちが降下してくる情景が捉えられている」、「ティツィアーノ芸術が晩年に到達した前人未到の境地を示し、見るたびに心が震える傑作だ」と絶賛しています。この絵の下の部分は聖母マリアが天使から受胎告知を受ける場面で全体的に暗く、その暗さが厳粛さと緊張感を醸し出しています。一方、絵の上方は主キリストを宿したマリアを祝福する天使たちが描かれ、雲の切れ間から射し込む光に包まれ、光を受けた雲の赤と金、それに空の青がコントラストをなし、このコントラストの中に天使たちを配置することで神々しさや歓喜が表現されています。私はこの絵を下から見上げた時、絵全体が上へ昇っていくような錯覚にとらわれました。それくらい劇的な構図と迫力のある描写を持った絵でした。
 ところで、ティツィアーノの「受胎告知」は、財力のあるヴェネツィア商人がサン・サルヴァドール聖堂に寄贈するために制作を依頼したものだそうです。依頼主が個人ということは、極端な話、画家はひとりの満足を勝ち得れば良いことになります。画家の個性と依頼主の趣味が一致している限り、画家は自分の思うままに描くことが出来ます。それはとりもなおさず経済的な保証にもつながります。売れた数と収入がリンクしている現代の小説家や歌手に比べれば、つかむべき心の数は無きに等しかったと言えるかもしれません。もっとも、たった一人の依頼主がNoと言ったら大変なことになってしまう訳ですが。それはさておき、おそらくティツィアーノは「いいね!」の数を心配することもなく、自分が描きたいものを存分にカンヴァスに表現すれば良かったのでしょう。その精神的余裕は少なからず傑作の数々を産み出す力になっただろうと思います。

読書感想文マニュアル論議

2016-09-23 21:07:07 | Weblog
 本日の朝日新聞朝刊に読書感想文の書き方マニュアルに関する記事が載っていました。感想文のマニュアルを子どもに与えることについては賛否両論あるそうです。感想文の書き方が分からない子どもは、マニュアルがあれば何らかのものは書けるようになると、先ずは書いてもらえるようにすることが大事と考えるのが賛成派。一方、反対派は、マニュアルに頼ると体裁を整えることに終始し、考えたことを文章化するスキルは身につかないとの意見です。「本を読み終えた後の余韻を味わうのが楽しいのに、感想文で結論を急がせる必要があるのか疑問」と、感想文自体に反対の方もいらっしゃるようです。それぞれごもっともと思いますが、感想文が苦手な子どもにも感想文を書いてもらおうという立場と、きちんとした文章が書ける力を身に着けさせたいと願う立場の違い、つまり賛否は子どもに求めるものの違いではないかと思います。底上げにはマニュアルの存在が役に立つでしょうし、意欲のある子は質の高い文章に触れながら自分でスキルを積み上げてもらえば良いでしょう。それから、自分が感想文を書かされた時を振り返った時、課題図書と自分が読みたい本が重ならなかったことが思い出されます。教師が読ませたい本は必ずしも子どもの興味を引くものではありません。本を選ぶ楽しさに気づけば、感想文のハードルはいくらか低くなると思います。どうすれば自分なりの本の選び方が見つかるかは、課題のひとつになるでしょう。10月には読書週間が設けられています。子どもたちが心に残る本に出会えると良いのですが。

相づちロボット欲しいですか?

2016-09-14 21:33:27 | Weblog
 ヤマハが相づちを打つロボットを開発したと9/13の朝日新聞朝刊に出ていました。記事によると、「呼びかけが断定調か、質問調かなどにより、話しかけた人が気持ちよく感じる抑揚やタイミングで『うん』『はい』などと返す」そうです。この記事を読んで、星新一のショート・ストーリー「ボッコちゃん」(新潮文庫)を思い出しました。バーのカウンターに立つ美形ロボットのボッコちゃんは、「年はいくつ」「若いのよ」、「映画に行こうか」「映画に行きましょうか」、この程度の受け答えが出来ました。ヤマハのロボットによってSFの世界が現実になるのでしょうか。ロボットなら気乗りしない相手でもストレスを感じなくて済みます。したたかに酔っぱらって、脈絡のないことをうだうだと独り言でつぶやいている止まり木の客相手なら、ヤマハのロボットが十分相手になることでしょう。いやいや、酔客の相手よりも、こちらの方がもっとニーズがありそうです。毎日の愚痴や不満、あるいは芸能人の噂話を聞かされる、世の亭主族の代わりになってもらえれば。