朝日新聞夕刊に「人生の贈りもの」というインタビュー記事の連載があります。今日は、悪役商会の八名信夫さんの7回にわたって続いた掲載の最終回でした。八名さんは、明治大学からプロ野球の東映フライヤーズに入団、その後怪我のため東映は東映でも野球から映画の方へ転身して、悪役専門の役者となります。その八名さんが、半世紀を超える悪役人生をめぐって、記者と次のようなやり取りをしています。
『悪役を演じて52年。辛抱の半世紀、ですか』
『いや、高倉健さんなんか、ほんとに辛抱強い。「網走番外地」のロケで北海道に行くでしょう。零下何度の中、ぺろんぺろんの囚人服着て、ゴム草履でね、ガタガタ震えますよ。健さん用のブースがあるんです。テント張って、中で東映の「ガンガン」がブワーッと燃えて、火にあたるようになってる。でも、健さんがあたりに行ったの、見たことない。外で足踏みしてる。(中略)健さんは「スタッフが外で凍えてるのに、火にあたっておれるか」と。(中略)あんな辛抱強い先輩はいないですね。意志が強いです。「おれは高倉健だ」っていうものを崩さない』
『そうなりたい?』
『なりたいなあと思うけども、なれない。もう死んでしまう。ほんとに。上を見て、「上がろう、上がろう」としても上がれない。野球でも二流 、役者になっても二流。でも、二流のおもしろさっていうんですか。楽しさは二流の中にあるなって。ありのまんまでいいから肩が凝らない 。肩の力をふっと抜いて「持って生まれた器が二流なんだから、そこからはみ出せっこないんだ」と。「二流人生、また楽しきかな」、ですね』
「二流人生、また楽しきかな」と八名さんはおっしゃってますが、これを言葉通りに受取ってはいけません。二流が楽しいのかなと思って、ぬー、にゃーと安逸をむさぼる人に、決して人生の楽しさは分からないでしょう。人の何倍も努力の汗をかいて、仮にそれが報われず、一流になれなくても、それで腐ることなく、肩の力をふっと抜いて「持って生まれた器が二流なんだから、そこからはみ出せっこないんだ」と軽く流す生き方、その中で二流の楽しさが見えてくるのではないでしょうか。結果にこだわるあまり自分を見失う人がいますが、そうではなく、八名さんは自分が良しとすることを貫き、そのための努力を惜しまないできたのでしょう。その意味では、健さん同様、「おれは八名信夫だ」っていう意識を忘れずに持ち続けたのかもしれません。それが何流であれ、楽しさが分かるということは、流した汗の裏打ちがあってのことだと思います。
『悪役を演じて52年。辛抱の半世紀、ですか』
『いや、高倉健さんなんか、ほんとに辛抱強い。「網走番外地」のロケで北海道に行くでしょう。零下何度の中、ぺろんぺろんの囚人服着て、ゴム草履でね、ガタガタ震えますよ。健さん用のブースがあるんです。テント張って、中で東映の「ガンガン」がブワーッと燃えて、火にあたるようになってる。でも、健さんがあたりに行ったの、見たことない。外で足踏みしてる。(中略)健さんは「スタッフが外で凍えてるのに、火にあたっておれるか」と。(中略)あんな辛抱強い先輩はいないですね。意志が強いです。「おれは高倉健だ」っていうものを崩さない』
『そうなりたい?』
『なりたいなあと思うけども、なれない。もう死んでしまう。ほんとに。上を見て、「上がろう、上がろう」としても上がれない。野球でも二流 、役者になっても二流。でも、二流のおもしろさっていうんですか。楽しさは二流の中にあるなって。ありのまんまでいいから肩が凝らない 。肩の力をふっと抜いて「持って生まれた器が二流なんだから、そこからはみ出せっこないんだ」と。「二流人生、また楽しきかな」、ですね』
「二流人生、また楽しきかな」と八名さんはおっしゃってますが、これを言葉通りに受取ってはいけません。二流が楽しいのかなと思って、ぬー、にゃーと安逸をむさぼる人に、決して人生の楽しさは分からないでしょう。人の何倍も努力の汗をかいて、仮にそれが報われず、一流になれなくても、それで腐ることなく、肩の力をふっと抜いて「持って生まれた器が二流なんだから、そこからはみ出せっこないんだ」と軽く流す生き方、その中で二流の楽しさが見えてくるのではないでしょうか。結果にこだわるあまり自分を見失う人がいますが、そうではなく、八名さんは自分が良しとすることを貫き、そのための努力を惜しまないできたのでしょう。その意味では、健さん同様、「おれは八名信夫だ」っていう意識を忘れずに持ち続けたのかもしれません。それが何流であれ、楽しさが分かるということは、流した汗の裏打ちがあってのことだと思います。