花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

二流の楽しみ

2010-07-29 22:10:52 | Weblog
 朝日新聞夕刊に「人生の贈りもの」というインタビュー記事の連載があります。今日は、悪役商会の八名信夫さんの7回にわたって続いた掲載の最終回でした。八名さんは、明治大学からプロ野球の東映フライヤーズに入団、その後怪我のため東映は東映でも野球から映画の方へ転身して、悪役専門の役者となります。その八名さんが、半世紀を超える悪役人生をめぐって、記者と次のようなやり取りをしています。

 『悪役を演じて52年。辛抱の半世紀、ですか』
 『いや、高倉健さんなんか、ほんとに辛抱強い。「網走番外地」のロケで北海道に行くでしょう。零下何度の中、ぺろんぺろんの囚人服着て、ゴム草履でね、ガタガタ震えますよ。健さん用のブースがあるんです。テント張って、中で東映の「ガンガン」がブワーッと燃えて、火にあたるようになってる。でも、健さんがあたりに行ったの、見たことない。外で足踏みしてる。(中略)健さんは「スタッフが外で凍えてるのに、火にあたっておれるか」と。(中略)あんな辛抱強い先輩はいないですね。意志が強いです。「おれは高倉健だ」っていうものを崩さない』
 『そうなりたい?』
 『なりたいなあと思うけども、なれない。もう死んでしまう。ほんとに。上を見て、「上がろう、上がろう」としても上がれない。野球でも二流 、役者になっても二流。でも、二流のおもしろさっていうんですか。楽しさは二流の中にあるなって。ありのまんまでいいから肩が凝らない 。肩の力をふっと抜いて「持って生まれた器が二流なんだから、そこからはみ出せっこないんだ」と。「二流人生、また楽しきかな」、ですね』

 「二流人生、また楽しきかな」と八名さんはおっしゃってますが、これを言葉通りに受取ってはいけません。二流が楽しいのかなと思って、ぬー、にゃーと安逸をむさぼる人に、決して人生の楽しさは分からないでしょう。人の何倍も努力の汗をかいて、仮にそれが報われず、一流になれなくても、それで腐ることなく、肩の力をふっと抜いて「持って生まれた器が二流なんだから、そこからはみ出せっこないんだ」と軽く流す生き方、その中で二流の楽しさが見えてくるのではないでしょうか。結果にこだわるあまり自分を見失う人がいますが、そうではなく、八名さんは自分が良しとすることを貫き、そのための努力を惜しまないできたのでしょう。その意味では、健さん同様、「おれは八名信夫だ」っていう意識を忘れずに持ち続けたのかもしれません。それが何流であれ、楽しさが分かるということは、流した汗の裏打ちがあってのことだと思います。

ショクダイオオコンニャク

2010-07-25 10:01:30 | 季節/自然
 昨日、小石川植物園へショクダイオオコンニャクを見に行ってきました。世界一大きな花として朝日新聞の夕刊1面で紹介されて以来、テレビの情報番組で取り上げられるようになり、その結果植物園のキャパを遥かに超える人数が押しかけ、大混乱となったそうで、この日は、通常は9時開園のところを2時間繰り上げて7時開園となりました。世界一大きなその花の姿は新聞やテレビで見ていたので、今さら感がありましたが、死体の臭いがすると言われる異臭を実際に嗅いでみたいと思い、ミーハーだなと思いつつも、6時から並んで、話題の花を見てみました。怖いもの見たさで期待した死体臭は、開花2日目で弱まっており、周りの人たちの虫除けスプレーのにおいに消されて、全然臭いませんでした。上野動物園にパンダが初めて来た時や、ミロのヴィーナスが来た時のように、立ち止まって見ていいのはほんのわずかの間で、すぐに次の人たちと入れ替えられたので、細かなところは観察出来ず、肩透かしのまま世界一大きな花から離れました。でも、子どもは自分の身長よりも大きな花を実際に見られたのが印象的だったのか、絵日記にショクダイオオコンニャクの花を描いていました。ちなみに、ショクダイオオコンニャクの「ショクダイ」とは、花の姿が燭台に似ているところからきているようです。

マルク・シャガール

2010-07-20 21:30:00 | Weblog
 シャガールは辺境の人です。先ず、芸術の都パリから遠く離れた、当時文化的に後進であったロシアに生まれたこと、それもサンクトペテルブルクやモスクワの生まれではなく、生まれ故郷はベラルーシにあるヴィテブスクという街でした。次に、シャガールの父は、このヴィテブスクのニシン倉庫で働くユダヤ人でした。シャガールの子ども時代は帝政ロシアの治世で、オーソドキシーはロシア正教でしたから、シャガールは文化の中心地から地理的に隔たった場所で生まれただけでなく、民族、宗教的にも中心勢力とは距離のある、マージナルな存在でした。しかも、シャガールは、戦争とそれに伴うユダヤ民族迫害から逃れるために故郷を離れ、ヴィテブスクで過ごした年月より遙かに長い月日をフランスやアメリカで送ります。そのため、シャガールはマージナルであると同時にハイマートロスでもありました。巨匠となった後も世界を転々とするシャガールにとって、こころの確かな拠り所となったのは、子どもの頃家族と一緒に暮らした、そして愛する妻、ベラの故郷でもあり、二人が出会った街、ヴィテブスクであったのでしょう。
 現在、東京芸術大学・大学美術館で、「シャガール ロシア・アバンギャルドとの出会い」展が開かれています。7月の三連休の最終日、炎暑の中、上野へ足を運びました。シャガールの代表作である「ロシアとロバとその他のものに」をはじめ、パリのポンピドー・センターが所蔵するシャガールの名品の数々を鑑賞してきました。シャガールの作品には、ヴィテブスクの風景や思い出が随所に描かれています。世の中から見れば辺境に見えるものも、辺境にある人間からすれば、それは決して辺境ではなく、逆に辺境であると見る世間の目ゆえに、シャガールのこころの中心をしっかりと占めていたのだろうと感じました。

勝間さんはトイ・ストーリー3を観て、ワクワクしただろうか?

2010-07-16 21:35:49 | Weblog
 今日の朝日新聞夕刊に、ピクサー・アニメ「トイ・ストーリー3」の広告が載っていました。この広告は、勝間和代さんが「トイ・ストーリー3」の中に、人が幸せに生きるうえで役立つ五つの「技」を見た、という仕立てになっていました。その五つの技とは、次のようなものです。技①:苦しい時、それを誰かのせいにしない心がけ、技②:今、自分にできる精一杯の努力を試みる、技③:成功率が51%以上なら、失敗を恐れない、技④:思い切って仲間に頼ってみる、技⑤:トイ・ストーリー3にならって、おもちゃに学ぶ。それぞれの技の説明を読むと、お説ごもっともなのですが、私は、「そんなに何でもかんでも教訓や処世術に結びつけなくてもいいのになぁ」、と思いました。映画を観る時は、手に汗握るとか、食い入るように画面を見るとか、時の経つのも忘れるとか、そういったハラハラドキドキワクワクが大事ではないかと思います。また、子供の時分は、理屈抜きで「あぁ、面白かった」と思ったり、登場人物へ感情移入する経験を積んでもらいたいものです。いつも説教めいたことばかりを考えていると、頭でっかちになっちゃいそうです。映画を観て、結果として何らかの教訓を得るのは結構ですが、教訓を得ようとして映画を観ても、それでは映画がつまんなくなり、映画がつまんないと、映画を観るために掛けたお金と時間がムダになるのではないかと思います。私は、自分の子供が「トイ・ストーリー3」を観た時に、「役に立った」ではなく、「共感した」と言ってもらいたいです。

バナナは世界を駆け巡る

2010-07-14 23:22:00 | Book
 一冊の本で風景が変わることがあります。新しい世界観に触れた時などに世の中が違って見えるのはもちろんですが、今まで知らなかった因果関係が分かった時などにもそれは起こります。最近読んだ「生物多様性〈喪失〉の真実」(みすず書房刊)は、熱帯雨林破壊とその結果もたらされる生物多様性喪失のメカニズムを扱った本です。コスタリカでの現地調査に基づいて、バナナ栽培と熱帯雨林破壊が密接に関係している様子が書かれています。バナナ栽培と熱帯雨林と聞けば、バナナを栽培するために熱帯雨林を切り開いて、それによって熱帯雨林が破壊されていると想像しがちですが、実際のところはもう少し混み入っています。アメリカの巨大資本がバナナの栽培拠点を作るために中南米に進出し(この本ではコスタリカ)、バナナ畑を作ります。バナナ畑は世界市場にバナナを供給するプランテーションなので、規模は大きく、大勢の働く人が国内外から集められます。ところが、市場におけるバナナ需要は変動するので、一旦需要が冷え込むと、バナナの生産調整が入り、余剰人員となった人たちが解雇されます。解雇された人たちは、もともとが貧しい人たちなので、替わりの職も帰る家もなく、仕方がないので熱帯雨林に分け入り、木を切り倒して、勝手に土地を耕し、作物を作り始めます。かくして、熱帯雨林は失われていくのです。この本を読むと、私たちが食卓で食べるバナナと熱帯雨林、そして生物多様性や地球温暖化がつながっていることが分かります。けれども、私たちはバナナを食べても良いのか、それとも食べない方が良いのか、それは良く分かりません。しかしながら、朝の食卓のフルーツにバナナが出てきたら、これまでのように「バナナはカリウムが多く含まれるから、塩分を流してくれるんだよね」と思うだけでは終わらないことは確かです。