花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

啄木のお正月

2013-12-31 09:22:24 | Weblog
 何となく、
 今年はよい事あるごとし。
 元日の朝、晴れて風無し。

 これは石川啄木の「悲しき玩具」にある歌です。年が改まり「今年こそは」と期待する気持が現れています。しかしながら数日経つと、

 いつしかに正月も過ぎて、
 わが生活が
 またもとの道にはまり来れり。

と、元日も所詮一年の365分の1に過ぎず、カレンダーを掛け替えるように普段の暮らしが一新される訳ではないことに気付くことになります。啄木は同じ「悲しき玩具」の中で、

 何となく明日はよき事あるごとく
 思ふ心を
 叱りて眠る。

と詠み、結局は何かを変えるのは自分しかないと戒めています。

 よごれたる手を洗ひし時の
 かすかなる満足が
 今日の満足なりき。

 「無為から満足は生まれて来ない」、この啄木の気持ちを持って新しい年を迎えることにします。

時は金なり

2013-12-13 08:06:36 | Weblog
 11月最終日に弟と群馬県横川のアプトの道を歩きました。アプトの道の終点から先は車道を軽井沢まで歩きました。11時に横川駅から歩き始め、軽井沢駅に着いたのがだいたい15時頃、途中でお昼ご飯を食べた時間を差し引くとおおよそ3時間30分の行程になります。鉄道なら高崎を出た新幹線は安中榛名を経て軽井沢へ至り、横川-軽井沢に相当する距離は数分で走り抜けることでしょう。缶ビール1本飲みきれないくらいの時間です。歩けば3時間半掛かるところを新幹線なら数分で行けるとは、まさに「時は金なり」です。しかしながら実際に歩いた身としては、このような見方も出来るのではないかと思います。新幹線だったら缶ビール1本飲みきれないほど、そんなあっという間の時間で通り過ぎてしまえば横川-軽井沢間の道のりなんて記憶にも残らず、無きに等しき物です。ただ、その分浮いた時間を別のことに使えると言ってしまったらそれまでですが。とは言え、森閑とした山道で葉っぱの落ちた木の間越しに見える、空を塗り込めた目を奪うような明るい青色、あるいはキラキラとした陽光が書き割りでもあるかのように、きゅっと差し込んでくる空気の冷たさ、私たち兄弟はしっかりとこれらのものを意識に刻みました。この日の碓氷峠越えはきっと私たちの引き出しに何かを残したことでしょう。いつの日か、「そう言えばあの時は」と話すことがあるかもしれないと想像するだけでも楽しくなります。新幹線ならたかだか数分、そこをわざわざ歩いて費やした時間は、これも金なりではないかと思います。それは時間を金で買うという意味ではなく、金のように価値がある時間だという意味で。

アプトの道

2013-12-06 23:27:00 | Weblog
 11月最後の日、弟と群馬県横川のアプトの道を歩いてきました。JRの快速で高崎へ、高崎で信越線に乗り換え、約30分で横川。横川駅にあるおぎのやの売店で峠の釜飯を買って歩き始めました。釜飯をリュックにしまう際、「何もウォーキングの時にわざわざ器の重さがある弁当を買わなくてもいいのにね」と言って笑い合いました。アプトの道はアプト式鉄道の線路跡に沿って歩けるように整備したもので、歩きやすい綺麗な遊歩道でした。アプト式鉄道とは電車に急勾配を登らせるために左右のレールの間に歯車と噛み合うようなレールを敷設し、電車側に付けた歯車と噛み合わせて上り下りしていく鉄道のことです。アプトの道と言うからには随分急な斜度だろうと予想していましたが、終点の熊ノ平までは緩やかな登りで息が上がるような箇所はありませんでした。観光客でも歩けるように楽な区間を遊歩道にしたのでしょう。アプト式だからまっすぐなのか、まっすぐにしか線路が敷けなかったのでアプト式なのかは分かりませんが、遊歩道に大きな曲がりくねりはありません。その代わり、随所にトンネルが通してあります。それがいい具合にアクセントになって飽きずに歩けます。途中、碓氷湖やメガネ橋などの観光スポットがありました。メガネ橋はトンネルとトンネルの間、つまり山と山の間の谷に渡してあり、ここでは線路を離れて下まで降り見上げる角度でカメラに納めました。メガネ橋から折り返しの熊ノ平まではすぐでした。熊ノ平で峠の釜飯を食べました。お昼を食べた後、弟と「さて、ここで引き返すか、碓氷峠を越えて軽井沢まで行くか」を相談しました。来た道を帰るのは面白みがない一方で、軽井沢までの道がどうなっているのか調べてなかったので不安な面もあり、しばし思案しました。結局、いにしえより交通の要衝であった碓氷峠に惹かれて軽井沢を目指すことにしました。西条八十の「ぼくの帽子」の有名なフレーズ、「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね? ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ」のイメージが強力に後押ししたこともありました。熊ノ平から碓氷峠へは車道歩きです。勾配もアプトの道よりはだいぶ急です。その道を弟とポツリポツリ話しながら歩き、話したことを沈黙の中で反芻しながら歩き、そしてまたポツリポツリと話しながら歩くこと9㎞、約2時間弱で碓氷峠に着きました。碓氷峠は特にどってことない峠で拍子抜けしましたが、この峠までの道を開くことには相当の困難があったのだろうと思いました。碓氷峠から軽井沢駅までは20分ちょっと。軽井沢駅に着いて生ビールで乾杯しました。軽井沢からはバスで横川まで戻り、JRでは信越線、高崎線と来た通りを戻り、最後は上野でコロッケをつまみにビールを飲みました。「ぼくの帽子」の最後の方に、「母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう」とあります。間もなく、私たちが歩いた道も雪に隠されるのかと思うと、お店の喧噪をよそに、晩秋の今宵のビールは少ししんみりと胃の中に落ちてゆきました。