何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。
これは石川啄木の「悲しき玩具」にある歌です。年が改まり「今年こそは」と期待する気持が現れています。しかしながら数日経つと、
いつしかに正月も過ぎて、
わが生活が
またもとの道にはまり来れり。
と、元日も所詮一年の365分の1に過ぎず、カレンダーを掛け替えるように普段の暮らしが一新される訳ではないことに気付くことになります。啄木は同じ「悲しき玩具」の中で、
何となく明日はよき事あるごとく
思ふ心を
叱りて眠る。
と詠み、結局は何かを変えるのは自分しかないと戒めています。
よごれたる手を洗ひし時の
かすかなる満足が
今日の満足なりき。
「無為から満足は生まれて来ない」、この啄木の気持ちを持って新しい年を迎えることにします。
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。
これは石川啄木の「悲しき玩具」にある歌です。年が改まり「今年こそは」と期待する気持が現れています。しかしながら数日経つと、
いつしかに正月も過ぎて、
わが生活が
またもとの道にはまり来れり。
と、元日も所詮一年の365分の1に過ぎず、カレンダーを掛け替えるように普段の暮らしが一新される訳ではないことに気付くことになります。啄木は同じ「悲しき玩具」の中で、
何となく明日はよき事あるごとく
思ふ心を
叱りて眠る。
と詠み、結局は何かを変えるのは自分しかないと戒めています。
よごれたる手を洗ひし時の
かすかなる満足が
今日の満足なりき。
「無為から満足は生まれて来ない」、この啄木の気持ちを持って新しい年を迎えることにします。