花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

隅田川花火大会

2017-07-31 21:44:02 | 季節/自然
 7月最後の土曜日は隅田川の花火大会がありました。向島でお酒を飲みながら花火を見ようと前から誘われていて、午後から会社に出て少し仕事を片付けた後、地下鉄の駅へ向かいました。会社を出るといつの間にか厚い雲が頭上を蔽っていて、きっと雨が来るぞと花火が危ぶまれました。地下鉄は花火見物の人たちでいっぱい、下手にかかとでも上げようものなら、もう下す場所がないといった混み具合でした。目的の駅に着いて地上に出ると、懸念された通り大粒の雨が落ちていました。お店に入ってビールを飲んでいると、花火大会決行を知らせる合図の花火の音がどぉーんと聞こえ、用意した花火玉が無駄にならなくて良かった、テレビ中継が間が持たないものにならずに良かったと思いました。7時頃から花火の音がどんどん聞こえ出しましたが、先ずは酒、酒とビールに続いて日本酒の銀盤を飲み始めました。一時、凄い降りになったものの、花火大会の終盤は小降りになったので、お店の屋上に出て花火を見ることが出来ました。空の塵が洗われたのか、花火が輪郭も鮮やかにくっきりと見えたのは雨のおかげでした。また、花火が消えた後に薄白くもやっと残る煙がなく、花火師が描くキャンバスは常にクリアでした。もっとも、花火と花火の間にもやっとした煙が形を変えながら流れていくのを見るのは、動と静のメリハリが出来て嫌いではなかったのですが。ともあれ、花火は短期集中、途中ダレることなく目に焼き付き、お酒はしっかりどっしり楽しめ、密度の濃い花火飲みでした。

バッタを倒しにアフリカへ

2017-07-18 21:06:17 | Book
 7月2日付朝日新聞の読書欄で今売れている本として光文社新書の「バッタを倒しにアフリカへ」が取り上げられていました。著者の前野ウルド浩太郎さんがアフリカのモーリタニアでバッタの生態を研究した時の苦労話と、ポストドクターの辛い境遇や就職活動が話の中心です。この本の推薦者である京都大学客員准教授・瀧本哲史さんは、「馴染み薄い国でのマイナーテーマにもかかわらず、知的好奇心に引っ張られてページをめくっていく読書体験がある。それは、著者自身が、圧倒的な知的好奇心の塊で見るもの聞くものの面白さを書き連ねているからだ。そして、この知的好奇心こそ、優れた研究者の最も重要な資質にして、新発見の源であり、研究と社会との大連携すら起こしてしまう。発見の多い一冊」と評しています。
 記事を読んで面白そうだなと思ったので図書館に置いてあるかネットで検索してみたところ、予約待ちが35人。これじゃ借りられるのは何ヶ月先か分かったものではないので、本屋で立ち読みして良かったら買おうと思いました。翌日、もう一度図書館の予約待ちを見たら、1日で85人まで増えていました。新聞の読書欄の力は凄いものだと驚く一方、やっぱり図書館から借りるのはあきらめなきゃと思い、書店で買い求めました。通勤電車だけで読みましたが、1週間で読了。面白かったところや、少し期待外れだったところはあるものの、それはさて置きここではおしまい近くの次の文章を紹介したいと思います。3年間のモーリタニア暮らしを経て、前野さんが気付いた研究者冥利について語っています。「子供心に憧れたファーブルは、キラキラと輝いていて、昆虫学者としてのすごさしか伝わってこなかった。だが、実際に昆虫を研究しながら生きていく舞台裏にこそ、彼のすごさが潜んでいることにようやく気がついた。子供の頃は、夢の美談しか聞かされない。夢を叶えるためにどんな苦労が待ち受けているのか、想像もできなかった。夢の裏側に隠された真実を知ることで、また一歩ファーブルに近づけた気がしていた。」
 つまり、ファーブルのすごさは昆虫記にあるのではなく、昆虫記を書き上げるまでの研究の積み重ねにこそあり、それはファーブルのみならず研究に携わるものに共通して当てはまることだとおっしゃってます。しかしながら、舞台裏のすごさに世間が気付くには、すごい業績を上げねばなりません。前野さんがファーブルに近づいたと本当に言われるには、研究生活を綴った体験記である「バッタを倒しにアフリカへ」のその先で、優れた論文を書くことが求められると思います。話題の新書の作者となった次はすごい研究成果を期待したいものです。
 最後に蛇足ながら、著者の名前にある「ウルド」とは、モーリタニアでは何々の息子の意味で、ひとかどの人物となって初めて名乗ることが出来るそうです。前野さんは現地の研究所の所長から与えらます。研究者としての姿勢が評価され、かつ人柄が愛されていることの証左でしょう。

煖陶

2017-07-07 22:11:52 | Weblog
 「煖陶」、見慣れない言葉ですが、「かんびん」と読みます。「煖」はあたたかいとかあたためるという意味を持ち、「陶」は陶器、焼き物のことで、「煖陶」ではあたためられた焼き物、つまりお酒のお燗、熱燗の意味になります。私がこの言葉を知ったのは国木田独歩の短編「忘れ得ぬ人々」からです。次のような文章の中で使われています。溝の口の宿屋「亀屋」に泊まるふたりの客が座敷で一緒になっている場面です。「二人とも顔を赤くして鼻の先を光らしている。そばの膳の上には煖陶が三本乗っていて、杯には酒が残っている。」また、ふたりの語らいが深更に及んだ箇所にも出てきます。「秋山は火鉢に炭をついで、鉄瓶の中へ冷めた煖陶を突っ込んだ。」(冷めた煖陶とはおかしな感じがしないでもありませんが)
 ところで、国木田独歩の作品における「煖陶」から話は離れて、何故私がこの言葉に関心があるかです。家でお酒を飲もうとした時、気になるのは家人の視線です。視線だけならまだしも、「飲み過ぎ」と待ったが掛かることもあります。そこで「煖陶」の登場です。「明治時代の作家・国木田独歩に『忘れえぬ人々』という短編があってね、その中に『煖陶』て言葉が出てくるんだけど、意味は分かる?『煖』はあたためる、『陶』は焼き物、つまり熱燗のことなんだ・・・」みたいなうんちく話で相手の気を緩めて、やおら「今日は煖陶にしてみるか」という展開に持っていけないか、それを期待しているからです。
 さて、国木田独歩の「忘れ得ぬ人々」にはオチがあります。「鉄瓶の中へ冷めた煖陶を突っ込んだ」後、ふたりの客の片割れ、売れない作家の大津は、同じく売れない画家の秋山に自分が旅先で出会った忘れられない人々のことをつぶさに語って聞かせます。溝の口の宿屋「亀屋」での一夜以来、このふたりが会うことはありませんでした。二年の後、大津のもとには「忘れ得ぬ人々」と題する原稿の束が置かれています。その最後に書かれた人物は秋山ではなく「亀屋」の主人であったということです。