花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

朝鮮通信使

2023-05-29 20:56:47 | Weblog
 李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節を朝鮮通信使と言うそうです。時代で言えば主に江戸時代のことです。その足跡をたどるウォーキングイベントがありました。「21世紀の朝鮮通信使 友情ウォーク」と呼ばれ、今年は第9次に当たります。4月1日にソウルを出発し、5月23日に皇居へ到着しました。全行程を歩き通す本隊のほか、1日単位のデーリー隊もあり、最終日の川崎駅~皇居(最終ゴールは日比谷公園)の区間に参加しました。雨中ではありましたが、特にトラブルもなくすんなりと21kmを歩き切り、予定の15時より少し前にゴールしました。

 江戸時代の朝鮮通信使は全部で12回あったので、その回数を目指すとすればあと3回は続くでしょう。機会があればまた歩いてみたいと思います。参加者には韓国の方もたくさんいらっしゃり、完歩後のセレモニーでは日韓親善の気運が強く出ており、是非継続してもらいたいものです。川崎から皇居へ至る行程を備忘録的に書き残しておきます。次に参加する際、あるいは参加を考えている方の参考になれば幸いです。


・川崎駅東口でデーリー隊参加受付。参加費用は500円
・8時、川崎駅出発
・六郷橋を渡った先の宮本台緑地でトイレ休憩
・第一京浜に沿って歩き、大田区六郷地区地域力推進センターでトイレ休憩
・大森を過ぎてから旧東海道に入りしばらく歩き、また第一京浜に戻る
・品川区民公園でトイレ休憩
・鈴ヶ森刑場跡から旧東海道に入る
・目黒川を渡り南品川から北品川に入る
・北品川駅の先、新八ツ山橋側のポケットパークでトイレ休憩
・11時50分、品川駅港南口で昼食休憩のため一時解散、12時50分再集合
・第一京浜の田町を過ぎたところで日比谷通りに入る
・芝公園でトイレ休憩
・皇居の馬場先門から二重橋方向に曲がり、二重橋前で再度日比谷公園の方へ曲がる
・日比谷公園がゴール

 余談ですが、徳川吉宗将軍の許へやって来た朝鮮通信使の一員、申維翰による記録は「海游録」というタイトルで平凡社東洋文庫で読むことが出来ます。その中で相模から武蔵の海沿いには寺社が多く、人々の信仰は篤いと記されています。今回、品川区の鈴ヶ森刑場跡から品川駅の間を歩いている時、確かにお寺が多いなと思いました。

  ★第9次 21世紀の朝鮮通信使 ソウルー東京 友情ウオーク        (2023・4・1~5・23)★

★第9次 21世紀の朝鮮通信使 ソウルー東京 友情ウオーク      (2023・4・1~5・23)★

ソウルから東京まで(約2,000㌔)、毎日30㌔の道を日本人・韓国人・在日韓国人ウオーカーが共に歩き日韓交流を深めます【 ★第9次 21世紀の朝鮮通信使 ソウルー東...

goo blog

 

ムラブリ、もうひとつ

2023-05-12 22:03:00 | Book
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

 「ムラブリになれないことが大事なのだ」 

 著者はムラブリを研究するにつれ、ムラブリのように生活がシンプルになっていった。身体性においてもムラブリに近づいたと思い、フィールド調査の際、「ムラブリにはなれないかな」と尋ねると、「なれない」とキッパリ否定されてしまう。ムラブリに関心を持ち、その言語を研究することは、ムラブリになるためではない。その経験やムラブリの存在を介して、自分らしい生き方が出来れば良いと考えた。「カラム ドゥ モイ(そいつ次第だ)」、ムラブリの生き方を象徴するこの言葉も、「それぞれが自分らしさを尊重していけばいいのさ」と言っているように聞こえる。

伊藤雄馬著 「ムラブリ」(集英社インターナショナル刊)から

ムラブリ

2023-05-07 14:35:22 | Book
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

 「自分の生を外注している間は、お金に頼らざるをえない」

 タイの山岳地帯に住む少数民族のムラブリは、衣食住に必要なものを森の中から得て自給自足の生活を営む。一方、家賃を払い、服や食材を買うことで生きるためのスキルを外注している私たちは、お金に頼って暮らしている。ムラブリの話す言葉に惹かれて言語学の研究を始めた著者は、気がつけば収入を安定させるため、成果の出やすいテーマを選ぶようになってしまう。不自由のない生活でありながら、やりたいことから遠ざかり、胸を張れない自分に疑問を抱き、改めてムラブリの生き方を目指し、大学教員の職を辞する。

伊藤雄馬著 「ムラブリ」(集英社インターナショナル刊)から