花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

指先の春

2009-02-27 22:24:00 | 季節/自然
 東京は今日、雪が舞いました。この時期、三寒四温で春の訪れは一進一退ですが、それでも最近、春の足取りが確かであることを感じています。時々、ひとり遅い夕食を食べた時など、自分で食器の後片付けをすることがあります。少し前までは食器を洗っていると、指の骨まで水の冷たさが伝わるのが分かり、心臓がドクドクすることもありました。ところが、最近はそこまでの冷たさはなくなってきたようです。食器を洗った後、指にキーンとした痛さが残ることもなく、心臓もドクドクしなくなりました。また、家で子どもが観察しているカタツムリですが、ここ2、3ヶ月は産卵がありませんでした。それが、近頃また卵を産むようになりました。「春遠からじ」を感じる今日この頃です。

分からないなら分からないなりに

2009-02-17 22:17:26 | Weblog
 以下はあくまでも個人的な印象です。何月何日何時何分何処で誰が言ったことに対してかと追及されても、返答に困ってしまう類の話です。さてこのところ、景気の冷え込みに関する話題の出ない日はありません。一方、「じゃあ、景気はいつ回復するんだい」といったことへの言及を目にすることもちょくちょくあります。エコノミストと言われる方々のコメントが新聞などに出ていたり、財界の方や政治家の発言が報じられたりしています。「景気が立ち直るのは早くても2010年だろう」とか、「いやいや、あと4、5年はかかるかもしれない」てなことを読んだり聞いたりしていて思うのは、何だか「ほとぼりが冷めるのはいつだろう」的な物言いだなということです。何か大きなやらかしがあった時、「ほとぼりが冷める」のに要する時間を、やらかしの度合いに応じて私たちは何となく感覚的に見積もることがあります。その見積に個人差はあるとしても、100年と10年のような開きはなく、人々の話題となっている間にだいたい近いところへ収斂していくように思います。例えば、主要7ヶ国財務相・中央銀行総裁会議で、つい「ごっくん」して記者会見で醜態をさらしてしまった人が仮にいたとしたら、その人は2、3年は表舞台に立てないだろう、のように。でも、経済環境の悪化はやらかしとは訳が違います。ほとぼりが冷めたら、「そろそろよかんべ」と景気が良くなるものでもないでしょう。未曾有と形容されるこの経済危機を脱するのはいつかなんて、本当のところはおそらく誰にも分かっていないのかもしれません。それなら、「ほとぼりが冷めるのはいつ頃だろう」的な観測ではなく、潔く「分かりません」と言うか、いっそのことみんなで「もうすぐ、もうすぐ」とせめて言葉の上だけでも空元気を出してみてはどうかと思ったりします。少なくとも、「諸行無常の響きあり、盛者必衰の理をあらわす」の、諦念には陥りたくないものです。

温故知新

2009-02-13 22:45:46 | Book
 去年の暮れ頃から時々図書館へ行くようになりました。大学を卒業して以来、図書館で本を借りることはとんと無かったので、しばらくぶりに図書館を利用してみて、最近のサービスの充実ぶりに驚いています。先ず、インターネットで蔵書検索が可能で、しかも予約まで出来ちゃいます。そして、予約した図書の準備が整ったらメールで知らせてもらえます。また、自分の利用したい図書館に無い本については、他の図書館の蔵書を調べてくれて、見つかれば最寄りの図書館へ取り寄せることが出来ます。世の中の多くの方からすると、「今時そんなの常識だよ」となるかもしれませんが、お役所イメージのあった区の図書館がそこまでやってくれるとは、ちょっとびっくりしています。
 そんな手厚いサービスの恩恵を蒙ったのは、有賀喜左衛門著作集Ⅲ「大家族制度と名子制度」(未来社刊)を借りた時でした。近所の図書館の蔵書に無かったので、これこれの本を探してくださいとリクエストすると、数日経って図書館から連絡があり、「都立多摩図書館にあるので取り寄せます」とのことでした。実はこの本を買おうか買うまいか迷っていて(何せ7,500円もするので)、図書館から借りて少し読んでみて判断しようと思ったのですが、わざわざ立川市からやって来た本なので、しっかり読まなきゃと思い2週間かけて全部読み切りました。お陰で7,500円の本代が浮きました。久しぶりに家族にランチでもご馳走しようかと思っています。そうすれば、日頃の風当たりも幾らか和らぐかもしれません。
 さて、前置きがやたらと長くなってしまいましたが、この本は、社会学者・有賀喜左衛門さんが戦前、戦後にわたって調査した岩手県石神における共同体内の相互的給付関係をまとめたものです。大家を中心として分家や名子の間で取り交わされる相互給付は、村の主たる生業の農作業においてはもちろん、家の屋根葺きや冠婚葬祭に至るまで、いろいろな局面に及んでいました。これらの村全体に張り巡らされていた給付関係との比較で考えが及ぶのは、昨今取りざたされているセーフティーネットのことでした。形態は時代とともに変わるでしょうが、相互扶助の機能はやはり必要だと思います。昔は良かった的なことを言うつもりはさらさらありませんし、石神の相互的給付関係は身分的な上下を前提としているので、今からそこへ戻るのは全く現実的ではありません。ただ、ある社会を維持する上では、各構成員(石神では家)の負担とその負担の集積の再配分が必要だということです。その際、負担と再配分のバランスがとれていること、負担の内容、それと再配分の内容がそれぞれ公正であり、人々がそれを納得的に受け止めていることが大切です。再配分のあり方を考えることはセーフティーネットを考えることであり、再配分を実現するためにはどんな負担を求めなければならないかを考えることです。私たちの生活の保障を考える際、負担と再配分の視点は不可欠です。かつて東北の寒村で営まれた相互的給付関係のモノグラフを読む時、負担と再配分の関係として読んでみると、多くの示唆にあふれる記述が見つかります。
 有賀喜左衛門著作集を所蔵している図書館が東京においてすら少ないことからも想像がつきますが、有賀喜左衛門さんが残した業績は今や社会学史の文脈で語られるものなのかもしれません。しかし、私は有賀喜左衛門著作集Ⅲ「大家族制度と名子制度」を読んで、それは「むかしむかしあるところで」的なお話ではないと強く感じました。

ポスト戦後社会

2009-02-02 20:55:08 | Book
 前の土日、吉見俊哉著の「ポスト戦後社会」を読みました。これは岩波新書の「シリーズ日本近現代史」全10巻のうちのひとつで、高度経済成長の後から小泉改革までの期間を扱ったものです。自分の人生と重なる時代を辿ったものであるせいか、いったん読み始めるとなかなか頁を繰る手を止められず、休みの日、家族サービスを怠る後ろめたさを感じながらも、それでも終わりまで一息に読みました。大づかみですが各章ごとの内容を振り返ってみると、第1章「左翼の終わり」では、革命を夢見ながらも自壊していった連合赤軍からシングルイシューが争点となる市民運動への変遷が、続く第2章「豊かさの幻影のなかへ」では、高度経済成長の結果、豊かになった社会の中で、ものからイメージへと消費の対象が移ってきていることが、述べられています。以降、実体を失いつつも観念の上では逆に強く存在が意識されている家族の姿(第3章「家族は溶解したか」)、政治に翻弄されながら徐々に地崩れ的に壊れていく地方の姿(第4章「地域開発が遺したもの」)、効率性の飽くなき追求とそこからこぼれ落ちた人たちを切り捨てていく新自由主義の姿(第5章「『失われた10年』のなかで」)、外国との交流が進む中、自他の境界が明確ではなくなり、歴史的主体としての存在が曖昧になりつつある日本の姿(第6章「アジアからのポスト戦後史」)、これら日本の変化の諸相が描き出されています。そして、その変化を経て、私たちが今どういった地平に立っているかですが、私には吉見さんが「未来からの解放」と呼ぶ次の記述が、その地平を指し示しているのではないかと思います。かなり長くなりますが、その箇所を引用してみます。「変化は、家族と企業の全人格的な結合力が、同時に弱まったことだけではない。同時期に、『しっかりと計画を立てて、豊かな生活を築く』(<利>志向)や『みんなと力を合わせて世の中をよくする』(<正>志向)といった未来中心の考え方が弱まり、『その日その日を自由に楽しく過ごす』(<快>志向)や『身近な人たちとなごやかな毎日を送る』(<愛>志向)といった現在中心の考え方がより支配的になっていった。(中略)<未来>を準拠点にして現在を位置づけることは、近代社会の根幹をなす価値意識であったわけだから、七〇年代以降に顕著になるこの変化は、戦後社会という域を超えて、近代社会の地殻変動が始まっていたことを示している。一九世紀半ば以来、日本社会は、文明開化・殖産興業という名の近代化路線、日清・日露の戦争を経ての帝国化と総力戦体制、さらに敗戦を経て高度成長期まで、未来の豊かさのために国民が団結し、現在の生を犠牲にして努力する体制を作り上げてきた。この体制にとって、家父長制的な近代家族の維持、つまり<平等>を求める女たちの生と<自由>を求める若者たちの生を抑圧することは、必要な社会的基盤であった。だが、高度成長以降の「豊かさ」の実現は、このような生産主義の必要を相対的に弱める。<未来>の拘束は相対化可能なものとなり、その弛みから、個人的な<快>や<愛>を志向する声が大きくなっていったのである。」
 この本を読み終えて私のこころに残ったのは、桎梏から自らを解放しようとしてきたけれど、いざ自由を手に入れてみるとその自由を持てあましている日本人の姿でした。自由を得ることで可能性が拡がると思っていたのに、自由というのは思いがけずも過酷なものだったわけです。ドイツに「フォーゲルフライ」という言葉があります。文字通り訳すと「鳥の自由」となり、何だか良い印象を与えますが、この言葉の意味するところは「鳥のついばむがままにされる自由」であり、つまり共同体の庇護のないものには生存を維持するための試練が待ってるよ、と言っています。「ポスト戦後社会」を読んで、私たち日本人が戦後60数年掛けて獲得してきた自由が、実は「フォーゲルフライ」だったのではないかとの思いを強くしました。けれども、だからと言って、私たちが歩いて来た道を引き返すことは何の解決にもなりません。福沢諭吉ではありませんが、「独立自尊」の精神で踏ん張って生きていくしかないと思いました。