兼好法師は八つの時、「仏は如何なるものにか候ふらん」との問いを父親に投げ掛けます。父の答えて曰はく、「仏には、人の成りたるなり。」少年兼好はまた尋ねます。「人は何として仏には成り候ふやらん。」父が再び答えるには、「仏の教によりて成るなり。」
この論でいけば、「ニワトリが先か、卵が先か」同様、最初の仏がどうやって生まれたかを説明することが出来ません。結局父は、「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」となってしまいました。(徒然草・第二百四十三段)
さて、私が八歳の頃はどうだったでしょうか。テレビでボクシングの試合を見ていると、我が父は言いました。「ボクサーのグローブの中には鉄が入っている。だから、パンチが当たると相手は伸びてしまう。」その時、無垢な私は「確かにそうだろうな」と納得したものでした。
またある時、父はこんなことも言いました。「紅白歌合戦に出る歌手のギャラはみんな一万円。紅白に出るのは名誉だし、日本中に名前が売れるから一万円でも出る。」私は遊ばれているとも知らず、「お父さんは物知りだ」と感心したものでした。
今となっては、たまに親子でお酒を飲む際の笑い話ながら、八歳にして聡明な子と愚昧な子に既に分かれているとは、「三つ子の魂百まで」もまた然りかと。
この論でいけば、「ニワトリが先か、卵が先か」同様、最初の仏がどうやって生まれたかを説明することが出来ません。結局父は、「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」となってしまいました。(徒然草・第二百四十三段)
さて、私が八歳の頃はどうだったでしょうか。テレビでボクシングの試合を見ていると、我が父は言いました。「ボクサーのグローブの中には鉄が入っている。だから、パンチが当たると相手は伸びてしまう。」その時、無垢な私は「確かにそうだろうな」と納得したものでした。
またある時、父はこんなことも言いました。「紅白歌合戦に出る歌手のギャラはみんな一万円。紅白に出るのは名誉だし、日本中に名前が売れるから一万円でも出る。」私は遊ばれているとも知らず、「お父さんは物知りだ」と感心したものでした。
今となっては、たまに親子でお酒を飲む際の笑い話ながら、八歳にして聡明な子と愚昧な子に既に分かれているとは、「三つ子の魂百まで」もまた然りかと。