花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

八歳の思い出

2021-02-27 11:57:21 | Weblog
 兼好法師は八つの時、「仏は如何なるものにか候ふらん」との問いを父親に投げ掛けます。父の答えて曰はく、「仏には、人の成りたるなり。」少年兼好はまた尋ねます。「人は何として仏には成り候ふやらん。」父が再び答えるには、「仏の教によりて成るなり。」

 この論でいけば、「ニワトリが先か、卵が先か」同様、最初の仏がどうやって生まれたかを説明することが出来ません。結局父は、「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」となってしまいました。(徒然草・第二百四十三段)

 さて、私が八歳の頃はどうだったでしょうか。テレビでボクシングの試合を見ていると、我が父は言いました。「ボクサーのグローブの中には鉄が入っている。だから、パンチが当たると相手は伸びてしまう。」その時、無垢な私は「確かにそうだろうな」と納得したものでした。

 またある時、父はこんなことも言いました。「紅白歌合戦に出る歌手のギャラはみんな一万円。紅白に出るのは名誉だし、日本中に名前が売れるから一万円でも出る。」私は遊ばれているとも知らず、「お父さんは物知りだ」と感心したものでした。

 今となっては、たまに親子でお酒を飲む際の笑い話ながら、八歳にして聡明な子と愚昧な子に既に分かれているとは、「三つ子の魂百まで」もまた然りかと。

山奥ニート

2021-02-13 14:57:06 | Book
 小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫著・中公文庫)の中に、「逃げて逃げて逃げまくる方法」というのが出てきます。何か問題にぶち当たったら、先ず逃げる、ひたすら逃げる。大した問題でなければ、無事逃げ切れるが・・・。つまり逃げることに要する力と問題の大きさは比例し、どのような問題に捕まるかでその人の力が明らかになる。だから逃げて逃げて逃げまくれ、そんなことを言っています。

 じゃぁ、力のない人間はいろんな問題にすぐ捕まってしまうのかと言えば、必ずしもそうではないようです。和歌山県の山奥(一番近い信号機まで車で1時間)で共同生活、いや住むところをシェアして暮らしているニートたちを描いた『「山奥ニート」やってます。』(石井あらた著・光文社刊)に出てくるのは、働くのが嫌で都会から「逃げて」集まってきた人々です。

 廃校となった小学校にタダで住み、食費や水道光熱費、その他もろもろで月1万8000円。自称「浪人・留年・中退の親不孝三重奏でひきこもり」の著者いわく、「集まったのは、なるべく働かないための生活の知恵。もし、ここより生活費が安い場所が見つかったら、多くの人は出ていくだろう。山奥ニートの仲間意識は紙のように薄い。」その著者自身、気が向いた時だけのバイトで年収が約30万円、それでやっていけるのだそうですから、言ってることもうなずけます。

 ある時、ソーラー発電の事業を手伝わないかと誘われ、「週1でいいなら」と答えて、相手が唖然としてしまったエピソードの紹介のあと、著者の石井さんはこんなことも述べています。「この資本主義じゃ、みんな生活を人質に取られて、手足を縛られてる。でも、ニートは違う。札束で顔をひっぱたかれても、働きたくないと言える。それはある意味、総理大臣より強い。」

「生活を人質に取られて」、毎日、「はたらけど、はたらけど猶」の啄木的生活を送っている身からすると、「生活」という大きな大きな問題を逃げると言うより上手くかわしているニートの姿は、どことなくしたたかさを感じます。「こんな生き方もあるんだ」と思えるだけで、ちょっと痛快でもあります。

恥の上塗り

2021-02-04 20:27:00 | Weblog
 総務省の幹部が省内の規定に反する形で接待を受けていたと、本日の朝日新聞朝刊に出ていました。接待の相手は総務省の許認可権に関連する企業で、相手側の参加者には菅総理の子息が含まれていたそうです。総務省幹部のひとり、吉田真人審議官は取材に対して「反省すべきところは反省したい」と答えたとか。実際の発言がどうだったかは分かりませんが、「悪かった部分があったかも」といったどこか他人事のようなニュアンスが感じられます。また「反省したい」なんて未来形にするあたり、「悪いと決まったわけじゃないだろう」的な往生際の悪さがにじみ出ています。

 同じ紙面の別の頁には、官邸と官僚人事に関する記事があり、そこで福田康夫元首相の内閣人事局に対するコメントが紹介されていました。官邸が官僚の人事を左右するようになり、その結果、官僚に悪い影響が及んでいるという批判です。曰く、「各省庁の中堅以上の幹部は皆、官邸(の顔色)を見て仕事をしている。国家の破滅に近づいている」、「官邸の言うことを聞こうと、忖度以上のことをしようとして、すり寄る人もいる。」

 たまたまかもしれませんが、二つの記事が妙に符合しているように思えます。「菅総理の子息と会食してるんだから、とがめられるわけないだろう」と考えているんじゃないかと、吉田審議官の発言は勘繰りたくなります。総理の子どもにすり寄れば、官邸が守ってくれると思っていやしないでしょうか。確かに、森友・加計問題渦中の官僚はしっかり守ってもらえましたが・・・。

 ところで、今日、女性を軽んずる発言を批判された首相経験者が謝罪会見を開きました。テレビで見る限り謝ってんだかどうだか分からないような偉そうな態度でした。さっさと謝っちゃえば良いものを、あくまでも「自分は偉いんだぞ」と見せようとする根性が透けて見えては、恥の上塗りでみっともないったらありません。それに本人が気づかないのは、みっともなさを通り過ぎて、見ている方が恥ずかしい思いをしなければなりません。