花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

第二の池田純一を捜すよりも

2008-10-20 22:47:39 | Sports
 池田純一の落球伝説を知っている人は、ある程度年輩の方であるか、大の阪神ファンのどちらか、あるいは両方ともかでしょう。私が池田純一なる選手や落球伝説を知ったのは、山際淳司さんの「落球伝説」(角川文庫「ナックルボールを風に」所収)を読んでからで、その時、当の池田選手は既に引退していました。(蛇足ながら、山際淳司さんの「男たちのゲームセット」・角川文庫でも落球伝説は取り上げられています)
 伝説となった池田選手の落球とは、実は全然伝説と呼ばれるような劇的なものではありません。1973年8月初めの阪神-巨人戦での出来事です。9回表、最後のバッターとなったであろうジャイアンツの黒江選手の平凡な外野フライを、芝生の切れ目に足を取られて転倒した池田選手が捕球出来ずに(落球ではなく捕球出来なかった!)長打とし、試合を逆転されそのまま負けてしまいました。後味の悪い負け方ですが、それでも伝説などと言うよりは珍プレーとして済まされる類のものではないでしょうか。山際さんの文章を読めば、池田選手のこのプレーによって、この年、阪神がペナントを逸した訳でないことは明々白々です。しかしながら、「あと1勝していれば優勝だったのに」と悔やむ諦めきれない気持ちから、優勝争いがまだ佳境に入る前の、あるひとつの不運な逆転負け、そしてその逆転負けの原因となった転倒が、いつの間にか「阪神が優勝出来なかったのは池田のせいや」となり、しまいには伝説となってしまったのです。
 ところで、私は多くの野球ファンがもう忘れてしまったであろう、またはそもそも知らないお話について、何かを言いたいのではありません。ただ、今年、最大13ゲーム差をつけて首位を独走していたにもかかわらず、優勝出来なかった阪神、その阪神に対して「なんで優勝出来んかったんや」と思うのは意味がないと考えています。「なんで」と思うということは、「ほんまは優勝しとったのに」という意識がどこかにあるはずです。でも、阪神の8月からの試合ぶりを見ると、「優勝するほんまの力はなかった」と見るのが妥当だと思います。ですから、戦犯捜しは全くの無意味で、優勝出来なかったのは誰か特定の選手のせいではなく、要は一年を通してコンスタントに力を発揮するチーム力が無かったということに過ぎません。ですから、第二の池田純一を捜そうと思っている人がいれば、そんなことは止めて、「鳴尾浜でもっと汗を流して、もっともっと力をつけろ」と叱咤激励を送ってみてはどうでしょうか。

永遠の実践主義で行こう

2008-10-18 00:46:51 | Weblog
 今日の朝日新聞朝刊に掲載された経済学者・岩井克人さんへのインタビュー記事は大変興味深いものでした。見出しにある「資本主義は本質的に不安定」、「貨幣それ自体が純粋な投機」、「セカンドベスト目指すしかない」は、まさしく岩井さんの言いたいことですが、その中の「資本主義は本質的に不安定」な理由については、次のように述べています。「たとえば自動車会社は、自動車を自分が乗るためでなく、将来だれかが乗るために買ってくれるという予想のもとにつくる。そこに一種の投機の要素が入ってくる。」確かに、どんなにマーケットリサーチをして開発した商品でも、結局のところ売れるか売れないかは市場に出してみなければ分かりません。
 一方、営利活動の交錯する市場にしても、新古典派経済学が信頼を置くほど万能ではないことは、現在の世界大恐慌で実証済みです。岩井さんは、「頭の悪い投資家は、すぐ市場から淘汰され、頭のいい投資家だけが残るから、市場は安定し、投機は安定につながる」との見方を、「牧歌的な市場だけの話」と切って捨てています。仮に、「頭のいい投資家」だけが残ったとしても、「頭のいい投資家」が揃って足をすくわれることもたまにはある訳で、その時のダメージは「頭の悪い投資家」が手痛い授業料を払わされるのとは桁違いの損失となります。ましてや、金融工学とやらを駆使した複雑な金融商品が出回っている今、一旦ほころびが出たら何が何だか訳が分からなくなり、混乱の糸を解きほぐすのはたやすいことではありません。
 では、そんな不安定な資本主義のもとで、私たちはどうすれば良いのでしょうか。不安定だからと言って資本主義を否定することは、資本主義によってもたらされた自由を放棄することになります。ですから、資本主義を見限ることが無理なことは明らかです。そこで岩井さんはこうおっしゃいます。「危機のたびに、国家資金の注入や、ある程度の規制など、理論的に裏付けられた対策でパッチワークをしていくしかない。・・・歴史を顧みれば、経済はバブルの発生と崩壊をくり返しながらも、確実に効率性は増している。より良いセカンドベストを求めるプラグマティズムというか、永遠の実践主義でいかざるを得ない。」
 私たちは何回も何回も学んで賢くなっていかなければならず、国家は危機に際してこそ存在意義を示さなければなりません。資本主義は不安定かもしれませんが、人間の手によるメンテナンスを必要としているシステムなのだと、自覚することが大切ではないかと思いました。

K2本3冊

2008-10-14 23:11:50 | Book
 近頃、チョモランマに次ぐ世界第2位の高峰、K2に関する本を続けて3冊読みました。それぞれについて短い感想を。

・出利葉義次著 「K2苦難の道程」(東海大学出版会刊)
 2006年の東海大K2登山隊の遠征記。著者がK2隊の隊長なので、遠征に至るまでの過程やベースキャンプの様子などは詳しいですが、登攀自体の描写は少ない(登ってないので仕方ないですね)。大学登山の特徴かもしれませんが、隊の統制の良さが伝わってきます。

・クルト・ディームベルガー著 「K2夏の嵐」(山と渓谷社刊)
 1986年、K2で13名が亡くなったブラック・サマーの生還者が著者。経験が凄絶過ぎることや大量死の状況を克明に残したいたいとの気持ちは充分理解出来ますが、やや冗長な感あり。読み物としては、あと100ページかそこら削れば良かったのにと思います。余談ですが、山野井泰史さんの「垂直の記憶」でK2の章を読むと、このブラック・サマーから教訓を得ていることが分かります。

・ジェニファー・ジョーダン著 「K2非情の頂」(山と渓谷社刊)
 著者が執筆を思い立った時点で、K2女性登頂者の5名は全員山で命を落としていました。この本はその5名の生き様を描いたものです。女性の視点によるクライミングの本では、これまで今井通子さんや田部井淳子さん、海外ではリン・ヒルの本を読んだことがありますが、男性対女性といった葛藤はなく、純粋なクライミングの本だったように思います。しかし、「K2非情の頂」はジェンダー的なものが濃厚で、みんな男性に伍していくために相当無茶、無理をしています(フランスのリリエンヌ・バラールは別のようですが)。ヨーロッパの登山界が女性に対して閉鎖的なのか、彼女たちの個性が強すぎたのかは分かりませんが、女性が8000メートル峰に登るのは大変だったことが分かりました。比べること自体無意味ですが、奥多摩や丹沢あたりをガハハ笑いで闊歩するオバチャンたちと何たる隔たり具合でしょう。

オヤジ化のメルクマール

2008-10-09 21:05:44 | Weblog
 このところずっと、「国仲涼子さんは痩せたんじゃないかなぁ」と思っていましたが、痩せた国仲涼子さんと思っていたのが、実は加藤ローサさんであることに、最近になって気がつきました。歳がちょっと離れているのにねぇ、顔は似てるかなぁ、雰囲気はねぇ、似てるかもしれないけどねぇ、てな具合に、気がついてみると見間違うのは変じゃないかと思います。なぜそんな思い違いをしてしまったのでしょうか。若いタレントの区別がつかないオヤジがいますが、ひょっとして自分も? ミニ・ショックでした。

北部九州紀行 「ムラオカさんの話」

2008-10-05 15:03:28 | Weblog
 長崎のハウステンボスへ行った時の話です。園内に自動演奏の楽器を集めたミュージアムがあり、前を通りかかった時、ちょうどエキシビションが始まろうしていたのと、この日は大変暑い日でちょっと冷房にあたって涼みたいなと思っていたので、何となく軽い気持ちで入ってみました。先ずは自動オルガンの演奏を聴きました。かつてオランダでは街頭でも同じような音楽が流れていたのかもしれませんが、低音の効いた迫力満点の演奏に「ややっ」と思いながら、次はオルゴールの部屋へ案内されました。オルゴールと言えば小さな木箱に入ったものを思い描きがちですが、大小さまざまなオルゴールがところ狭しと並んでいました。ここで驚いたのは、突起の付いた円筒部分が回るにつれて横にスライドしていき、かなりの長時間演奏を行なうものがあったことです。自宅にあるオルゴールはあるメロディーが繰り返し流れるだけなので、これを見た時は「よく考えたなぁ」と思いました。3番目の部屋で最後でしたが、その最後の部屋の自動演奏楽器は凄かったです。ピアノとバイオリンが同時に自動演奏する機械で、両者の演奏の調和が外れることはなく、精緻な演奏とこれを作った人たちの技術にただただ脱帽でした。ミュージアム内ツアーを案内してくれた係の方の話では、このピアノとバイオリンの自動演奏楽器はベルギーだったかどこかの万博に出展するために作られたもので、万博会場内でも人々の驚異の的だったそうです。ですが、この万博の後、蓄音機が発明され、自動演奏楽器は一気に過去の遺物となってしまったとのことでした。当時、世界最高峰の技術を持っていた自動演奏楽器職人は、最高の技術を持ったまま化石となった訳です。余人の追随を許さない技術を追求してきた努力が、全くあずかり知らぬ分野の発明でいきなり反古にされてしまったことになります。いきなり、「君たちの技術は時代遅れだから」となった人たちの気持ちは、どんなものだったのでしょうか。これは「深イイ話」なのか、「寒イイ話」なのか分かりませんが、とてもこころに残った話でした。