花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

泣ける本

2022-07-25 19:10:00 | Book
(※朝日新聞朝刊連載「折々のことば」風に)

「『泣ける本』という言いかたが嫌いである」
 
 お金と時間をかけて本を読む以上、何か見返りがなければ割に合わないと思うのは、いじましい。涙は心を揺さぶられた時に思わず出るもの。「思い出づくり」も同様。思い出は作ろうと思って作れるものではない。「手軽に読める本からは手軽なものしか得られまい。」35年間、読書会を続けてきた向井さんは戒める。上澄みは多くの泥水があってこそ生まれるものではないか。コスパの良さを求めすぎると、思いもよらない驚きや、心に響く深い感動との出会いがない、ライトな人生になってしまうかも。

向井和美著 「読書会という幸福」(岩波新書)から

国葬

2022-07-21 20:10:00 | Weblog
 今日の朝日新聞朝刊で天声人語子は、吉田茂さん以来となる安倍元首相の国葬について次のように述べていました。「非業の死をとげた政治家を追悼したい。そう感じる人が多いのは自然だろう。そうであっても国葬という選択は問題があると思う。みなで悼むことが、みなでたたえることに半ば自動的につながってしまうと感じるからだ。国葬は吉田以来行われていないというより、彼を最後に途絶えたというのが実情に近いように思う。疑問が高まれば、本来の追悼にも水を差す。これまで避けてきたのは、政治家たちの一種の知恵かもしれない。」

 これを読んで「政治家たちの一種の知恵」には、人の葬儀を政治利用しない自己抑制の意味もあったのではと思いました。岸田首相は国葬の方針を示した時、「安倍元首相を追悼するとともに、我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示していく」とおっしゃったそうですが、この発言はまさしく政治利用を物語っています。

 また、国葬を執り行うことで「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜」けるなんて思えません。そんな実体のない言葉を聞かされると、政治的なポーズとしての決意表明で得をするのは誰かと考えてしまいます。さらには、安倍元首相暗殺の背後に潜む闇の部分にどう向き合っていくかの課題を、民主主義vs暴力の単純な構図にすり替てしまう政治的意図があるんじゃないかと、邪推したくなります。世論調査によると国葬に賛成する人ばかりではないようです。反対の声のいくらかは、弔う側に胡散臭さを感じてるからじゃないでしょうか。

元総理が逝きし日に

2022-07-08 21:55:50 | Weblog
 参院選の投開票日を2日後に控えた7月8日、奈良市で選挙応援中の元総理が銃弾に倒れ、国内外に衝撃が走りました。現総理は記者団に向かって、「民主主義の根幹をなす選挙中に行われた蛮行を断じて許すことは出来ない。もっとも強い非難を表する」といった旨を述べられました。各党の党首による「暴力に訴える行為を許すまじ」との憤りも、ニュースは報じていました。

 かつて、フランスの思想家、ヴォルテールは「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」と言いましたが、この民主主義の世にあって銃で言葉を奪うことはあってはならないことです。そして、ヴォルテールの「命をかけて守る」からすると、犯人の行為を糾弾するに留める訳にはいきません。言論の自由を守る不断の努力は当然ながら、そのもうひとつ先を目指すべきではないでしょうか。不満があっても銃を取らない社会にする、あるいは銃を取るほどの不満を生まない社会にする、その誓いが元総理の死を無駄にしない鎮魂の声だと思います。