花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

沖縄慰霊の日に想ったこと

2024-06-24 20:22:00 | Weblog
 6月23日は、太平洋戦争末期、沖縄での戦闘で犠牲となった方々を悼む「慰霊の日」でした。今年は1945年から数えて79年目にあたります。慰霊の日の戦没者追悼式には岸田総理が出席し、スピーチを行いました。24日の朝日新聞朝刊には岸田総理と、玉城沖縄県知事のそれぞれのスピーチ全文が掲載されていました。

 両スピーチを読んだ時、どちらも平和への願いを訴えているにも関わらず、どこか色合いの違うものを感じました。同じテーマなのにふたつが重なってこないなぁと感じる、その理由は何なのでしょう。もしかすると、実際に戦場となった沖縄の人たちの平和に対する思いの根底にあるのは郷土愛で、一方、政府の考える平和はナショナリズムと密接に結びついたものであり、その違いが平和を語りつつも、印象の違いとなって表れているのかもしれません。

 思うに、郷土愛は自己完結的かつ調和的で、他の人々の郷土愛をも尊重し、共存しようとの志向を持っています。方や、ナショナリズムはそもそもが自国対他国の構図を前提としており、どちらかと言えば対立的な姿勢になりがちです。この観点から岸田総理と玉城知事の23日の言葉を読み直してみました。岸田総理は言っています。「美しい自然、アジアの玄関口に位置する地理的特性、国際色豊かな文化や伝統。こうした魅力や優位性を最大限に活かしつつ、『強い沖縄経済』の実現に向けて、国家戦略として、沖縄振興を総合的に進めてまいります」と。この論理の組み立ては、ナショナリズムに基づくものと言えそうです。

 玉城知事は、「世界の平和と安定に向けて、各国・各地域に求められているのは、それぞれの価値観の違いを認め合い、多様性を受け入れる包摂性と寛容性に基づく平和的外交・対話などのプロセスを通した問題解決です」、と述べています。これは、郷土愛的を持つもの同士の連携、連帯を呼び掛けています。

 もっとも、スピーチの一部のみを切り出して「ナショナリズムだ。郷土愛だ」と決めつけるのは本意ではありません。来る慰霊の日・80年に向けて、また沖縄のみならずそれ以外の地域における平和を考えていくうえで、郷土愛とナショナリズムが交わらないまま平行線を続けていては、議論が不毛なものとなってしまいそうです。両者をつなぐ橋を架け、それぞれの質の異なる方向性のバランスを上手くとり、信頼の醸成、利害の調整を図りつつ平和が実現されることを願うものであります。

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